立山

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立山
立山立山とその周辺
標高 3,015m
位置 北緯36度34分22秒
東経137度37分22秒
所在地 富山県中新川郡立山町芦峅寺
山系 飛騨山脈立山連峰
種類 活火山ランクC(弥陀ヶ原[1]
初登頂 飛鳥時代佐伯有頼
立山の位置
  
立山
剣岳、立山三山
黒部平駅(1,828 メートル)から望む立山の裏側

立山(たてやま)は、富山県飛騨山脈北アルプス)にある山地日本三名山日本百名山の一つ。立山は、この山地の総称である。

目次

[編集] 地理

最高峰大汝山の標高は 3,015 メートルであり、日本の3,000メートル超級の山の最北端である。

立山は富山県内から、東部の海寄りの場所から西部の氷見市にかけて7~8割方の場所から見ることができる。

また、立山連峰は富山県高岡市雨晴海岸から能登半島石川県珠洲市にかけては、海越しに一望できる。[2]

[編集] 概要

古くから日本の山岳信仰の山として、日本三霊山の一つとされる。

一帯は信仰の対象であり神域である。雄山の山頂には、雄山神社本宮がある。 2008年平成20年)4月現在、世界文化遺産登録申請中。

[編集] 立山とは

立山はどれかというのは、地元の人でも教わらないとわからない問いである。なぜなら、立山という山はないからである。

立山とは古くからの霊峰であり、複数の山の総称である。大伴家持卿は「皇神(すめかみ)の うしはきいます~」と詠んだ。[3]。現在では、最高峰の大汝山(おおなんじやま、3,015 メートル)、主峰の雄山(おやま、3,003 メートル)、富士ノ折立(ふじのおりたて、2,999 メートル)の3つの峰を合わせて立山と称している。

その他、雄山・浄土山・別山を「立山三山」と呼び、その周辺の山々と合わせて「立山連峰」(狭義)ということがあるが、「立山連峰」という場合は僧ヶ岳から黒部五郎岳の辺りまでである。[4]

だが「立山」は単なる地理的な名称ではない。室堂、地獄谷、弥陀ヶ原や立山カルデラという立山一体を含んだ地理的な広がりと、信仰や登山など精神的な広がりの多種多様な概念を含んだ複合的な意味を古くから持っている。[5]

[編集] 由来

立山についての記述のある最古の文献である万葉集には「多知夜麻」と記され、古くは「たちやま」と呼ばれていたようである。[6]立山が刃を上に太刀を横に置いた形だとも聞く。また、たちやまは「太刀山」であるから、本来は剱岳のことである[7]という説もある。また、日本を作り終えた神が天界に戻る際に踏み台代わりに足をかけて立った山だから「たちやま」と言う説もある。

[編集] 立山信仰

立山は、古くから立山修験と呼ばれる山岳信仰の場であり、信仰の対象であった。

[編集] 開山縁起

鎌倉期から江戸期に成立した開山縁起によれば、開山者は10世紀頃の越中国守佐伯有若[8]の息子有頼という少年とされている。[9]

有頼が居城[10]近くの片貝川下流[11]で鷹狩をしているときに父の白鷹が逃げてしまい、それを追いかけて上市を通り立山山麓に至るとが現れた。有頼が矢で熊を射ると、熊は血を流しながら逃げていった。血をたどって着いた室堂の岩屋[12]で有頼が見たものは、矢を射立てられた阿弥陀如来であった。この出来事により、有頼[13]は発心して立山寺[14]を建立したと伝えられている。

現在、立山の山荘経営者や山麓の芦峅寺地区の住民の名字は「佐伯」「志鷹」の2つが大半を占めるが、これは開山伝説とも関係があると考えられる。

[編集] 信仰登山

立山は実際に山頂エリアに地獄(地獄は古い日本語で温泉の意味)がある山としても知られていた。

地獄極楽思想が行き渡ると、立山を極楽、地獄谷を地獄、剣岳を針の山として見たて、立山登山によって死後の世界を疑似体験することができるとして、修験者以外でも登拝する人が多くなった。

近世以降、立山曼荼羅と呼ばれる山中の地獄極楽図、巡礼図が盛んに作られ、それを使って岩峅寺や芦峅寺の衆徒により全国に布教され、立山に信仰登山する人が増えた。(立山権現)

山麓の岩峅寺及び芦峅寺は古来、巡礼者のための登山基地として繁栄し、かつては多くの宿坊が建ち並んでいた。また岩峅寺で俗世の穢れや罪を祓う神事を受けた後で入山し芦峅寺の布橋(ぬのばし)では実際に白い布が橋に敷かれて、大灌頂と呼ばれる修験の法会が行われるなどしていた。

今はスポーツとしての「立山登山」が行われるが、本来は立山の神仏に参拝に行くのが本来の入山の目的で「立山登拝」と称した。

[編集] 学校登山

越中の多くの村では成人儀礼として立山(雄山)に登る風習があったという。[15]

明治以来、富山県内の小学校で、学校行事として立山登山[16]が行われてきた。近代の学校では、費用や安全確保の困難にも関わらず立山登山に教育的意義を見出していたと思われる。また、県教委主催で、県下から小学6年生を募集し「12歳立山夢登山」も行われた。

県教委によれば、ここ数年では県内で立山登山を行った小中学校は60~70校で推移している。[17]なお学校数は小学校210、中学校86である。これは、23パーセント程度であり、約三分の一ではない。

[編集] 近代の登山

信仰登山とはいうものの立山周辺には温泉もあるため、江戸から明治にかけては信仰とレジャーの意味を併せ持っていたと思われる。また、立山と弥陀ヶ原周辺は3,000m級の山々とはいえ古くから多くの人の参拝が可能であった。それに対して、剣岳を初めとする山々は近代になってようやく登山の対象となった。その意味で明治40年(1907)7月の宇治長治郎の案内による、日本陸軍陸地測量部測量官・柴崎芳太郎らの剱岳登頂が立山周辺の近代登山の夜明けであり、明治42年(1909)7月の山岳会の吉田孫四郎ら4人による剣岳登頂が近代登山の始まりであろう。[18]

[編集] 観光

1964年(昭和39年)6月20日高原バス全線(美女平~室堂)営業開始後、標高2,450 メートルの室堂までバスで行くことができ、立山登山も非常に手軽に行えるようになった。また、黒部ダム建設の後、1971年(昭和46年)6月1日に立山黒部アルペンルートが開通して、長野県大町から立山まで首都圏からの観光客が多く訪れるようになった。

平成に入り、県民の広報活動の成果で富山の食が注目され始め、食事と温泉宿泊を併せて立山観光を楽しむ人々が増加している。また、高山に手軽に登れるため、そのような体験が難しい(一方で経済発展の著しい)中国、台湾、韓国などのアジアからの観光客も多い。

[編集] 雪の大谷

立山アルペンルートが春に除雪され開通すると、室道ターミナル直前の大谷の道路は両側が10~20mの高さの雪の壁となる。ちょうど5月の連休と重なり、この景色を見るために多くの観光客が訪れる。3000m級の山岳地帯であるのに天気が許せばハイヒールで歩き回ることもできるが勧められない。 垂直に高く白く光る壁と、薄く澄んだ空気のために深い青色となった空の対比が美しく、数十分間の異世界体験ができる。

[編集] 環境保護

登山者以外にも観光客が毎年大量に室堂周辺にまで登ってくるようになったため、外来植物や病原菌の侵入といった自然破壊に直面することとなった。 対策として全国的にも早い段階でマイカー全面乗り入れ禁止(マイカー規制)をはじめ、草刈り十字軍などの民間ボランティアによる環境保護活動を生み出した。

[編集] 自然

主峰の雄山の標高は、1等三角点の標高から2,991.6 メートル(2,992 メートル)とされているが、雄山三角点は最高地点の山頂ではなく、雄山神社社務所の隣のため、神域である山頂からは低い位置である。雄山の峰本社神殿右端の前にある平たく大きな石が3,003mの基準になっている。

日本海から蒸発した水蒸気が、シベリアから吹く寒風に運ばれて3,000 メートル級の山々にぶつかり、大量の雪を降らせる。風をさえぎるような地形のためか、積雪 は20m以上にも達する。世界有数の豪雪地帯であり、冬には時に氷点下20℃まで気温が下がる。

[編集] 山崎カール

雄山の西側斜面は、1905年明治38年)地理学者山崎直方によって日本で初めて発見された氷河地形、圏谷(カール)であり、山崎カールと呼ばれる。国の天然記念物に指定されている。

[編集] 登山ルート

ご来光を拝む場合は一の越に宿泊して、雄山神社でお払いを受けることができる。 徒歩による場合は、称名滝の横、八郎坂を登り美女平から、舗装道路を歩けばよい。海岸から走り始め、八郎坂を通って登山マラソンも行われる。[19]

[編集] 脚注

  1. ^ 立山火山の山頂部は侵食で喪失しており、弥陀ヶ原は火砕流堆積物の台地である。
  2. ^ 富山湾から3,000 メートル級までの高低差が特徴。
  3. ^ 万葉集 巻17 4000 立山賦一首
  4. ^ 古くは、三俣蓮華岳から猫又山に至るまでを立山七十二峰と呼んだ。
  5. ^ 付随事項の詳細は各項目のリンク先やキーワードなどを参照されたい。
  6. ^ 巻十七、4000、4024 
  7. ^ なぜ今の場所を立山と言うようになったのかはわからない。
  8. ^ 随心院文書の記述による。
  9. ^ 最初、現朝日町山崎の狩人、後に有若、次に子の有頼と変化。
  10. ^ 新川郡字布施の院 布施城。
  11. ^ 黒部市犬山付近だという。
  12. ^ 立山玉殿であるという。
  13. ^ 後の慈興上人。
  14. ^ 現在の雄山神社前立社壇
  15. ^ 全ての地域というわけではない。
  16. ^ 平成15年に転落死亡事故。
  17. ^ 2008/05/31北日本新聞朝刊
  18. ^ 立山は登りやすいため、近代以降は登山というと剣岳ということになる。
  19. ^ 立山登山マラニック実行委員会。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク


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