日本百名山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『日本百名山』(にほんひゃくめいざん)は登山家、文筆家であった深田久弥の随筆。1964年刊行。日本列島の山から百座選び、それぞれの山を主題として百の随筆を記したものである。
目次 |
[編集] 書誌
- 『日本百名山』 新潮社、1964年
- 『日本百名山』 新潮社〈新潮文庫〉、1978年、ISBN 9784101220024
[編集] 概要
以下の100座の山をとりあげ、それぞれについて随筆をまとめている。
| 北海道 | 東北・上信越 | 関東 | 中部 | 西日本 | |
|---|---|---|---|---|---|
登山記として見たときの『日本百名山』は、近代以降の日本の山の随筆ウォルター・ウェストンの『日本アルプスの登山と探検』や、小島烏水・志賀重昂・串田孫一・冠松次郎などの随筆に比べると、一座あたりの文章量が少ない。 文章の多くは山の歴史や山名の由来などに割かれており、山登りの追体験を味わうための山行記録や山の自然について触れたものではない。
[編集] 選定の基準
同書の“百名山”を地域別に見たとき、中部山岳地帯に偏っているという指摘は多い。石川県出身の深田は加賀白山を幼少の頃からみて育ったと記しているが、白山より西の山については、あまり愛着がわかなかったののか、選ばれたのはわずか13座である。
百名山の選定基準は、山の「品格」「歴史」「個性」の3つだったという。しかし、品格・個性はみる者の主観によるし、歴史ならば近畿一円の山にこそ軍配が上がるのではないかとか、また標高877m(当時は876m)の筑波山が選ばれるのであれば、我が地元のこの山をこそ選ぶべき、とする各地の意見もあるであろう。 この点は深田も自覚していたと見え、同書の「後記」において、候補に挙げながらも削った山々が多数あることを記し、「主観によって選んだものであるから妥当とはいえない。今後意見を聞いて差し替えたい」と述べている。
なお、『日本百名山』が広く受け入れられ、ロングセラーとなった理由は、古くから信仰の対象になっていた山を中心に100座選んだからとも考えられている[要出典]。
[編集] 小史
国内の名山を選定することは江戸時代から行われており、たとえば谷文晁は『日本名山図会』において各地の90座を名山としたが、そのラインナップは、伊勢朝熊山や房総半島の鋸山など標高の低い山々が名を連ねるいっぽうで、日本アルプスからはわずか3座しか選ばれないといった、やや独特なものではあった。深田はこの選定に飽き足らず、全国の多数の山を踏破したうえで、品格・歴史・個性を兼ね備え、かつ原則として標高1500m以上の山[1]という基準を設け、“日本百名山”を選定したのである。
読書家でなおかつ山歩きが好き、といった一部愛好者の間でのみ読まれていたこの本が広く関心を集めるようになったのは、徳仁親王の愛読書であると知られたことがきっかけであったと言われている。自身も山好きで日本山岳会にも属する親王が、“日本百名山”の全峰踏破を夢見ていると、当時のマスコミによって伝えられたのだった。
おりしも1980年代に入り、世間では中高年の登山ブームの観を呈しつつあった。登山といってもロッククライミングを含むような本格的なものではなく、ハイキング・トレッキングに近い山行が中心であったが、山小屋や登山道の整備、登山用具の性能向上によって、以前は難路とされたコースへの登山も可能になっていた。こうした中で同書が広く読まれるようになり、そこに掲載されている山に実際に登ってみたり、さらには、徳仁親王にならって“全山踏破”を目標にするような人も少なくなかったと思われる。
その後、百名山を一つひとつ取り上げたドキュメンタリー番組『深田久弥の日本百名山』や、岩崎元郎・みなみらんぼうらが百名山に挑戦する『中高年のための登山入門』(いずれもNHK衛星放送)の放映などを経て、“日本百名山”はいっそう人々に親しまれる大衆的な存在となってきている。
[編集] 『日本百名山』のもたらしたもの
こうしたブームにより、明らかに『日本百名山』に掲載された山への登山者の集中が起こっているようである。登山者の増加は、山小屋や登山道の整備のきっかけとなり、年々、快適な山行が楽しめるようになることが多い。その反面、登山者を呼び込めなくなった山は、道の荒廃などが進んでいる。
また、登山者の増加は自然環境の破壊にもつながるという深刻な問題もある(一例として大規模な山小屋の廃棄物など)。静かな山行を好む人のなかには、百名山ブームに乗った「登山ツアー」を迷惑に感じ、同書を嫌悪する人もいる。昨今は「中高年の登山ブーム」が再燃し、一部の無謀な登山者が自身の力量を十分考慮しないまま百名山への登頂だけを目的としているため、簡単に遭難したり、安易に救助要請をおこなうなどの問題が多くなってきている[要出典]。
これらの弊害の責任が深田に無いことは言うまでもないが、世界遺産に指定された屋久島や白神山地などと同様、特定の自然物件をクローズアップすることの難しさを示唆する事例であるとは言えよう。
[編集] 他の“百名山”
昨今ではさまざまな“名山もの”が選定されたり、書籍なども作られるようになった。以下にその例を挙げる。こうしたブームの草分けでもある『日本百名山』をこれらと区別するために、特に「深田百名山」と呼ぶこともある。
- 日本三百名山 - 日本山岳会の『山日記』編集メンバーによって1978年に選定された。ここで選定されたのは200の山で、それに深田久弥の百名山を加えて300としている。
- 日本二百名山 - 深田久弥のファン組織である「深田クラブ」によって、同クラブ創立10周年を記念して1984年に選定された。ほぼ全てが三百名山に入っているが、三百名山の奈良県の山上ヶ岳を除いて、代わりに奥只見の荒沢岳が入っている。こちらも、深田久弥の百名山が全て入っている。
- 花の百名山 - 作家・田中澄江の『花の百名山』に掲載された100の山。深田久弥の百名山と重複するのは39座のみである。その後、『新・花の百名山』も刊行されている。
- このほかに、山梨百名山など各地の百名山、岩崎元郎選の「新・日本百名山」、小林泰彦選の「日本百低山」など、類似のものは甚だ多い。
- 飛騨山岳会では創立100周年を記念して2008年9月、『飛騨百山』を出版した。山への畏敬の念をこめてあえて「飛騨百名山」の名前は使用しておらず、飛騨山岳会員の思い入れのある多くの飛騨の山から100山を選定し、熱き想いを綴ったものである。
[編集] その他
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||

