青い山脈 (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

青い山脈』(あおいさんみゃく)は、石坂洋次郎小説青い山脈』を原作として制作された映画。

1949年1957年1963年1975年1988年の5回製作され、興行的にも1949年・1957年・1963年はいずれもヒットした[1](1975年・1988年は不明)。最も名高いのは1949年今井正監督作品。主題歌の『青い山脈』は、日本映画界に限らず、広く国民に知られている(主題歌については、「青い山脈 (曲)」の項目も参照のこと)。

作品中、ラブレターの文に「恋しい恋しい私の恋人」と書かれるべきものが、「しいしい私の人」となっているエピソードは名高い。

1949年版[編集]

青い山脈 / 續青い山脈
『青い山脈』ポスター
監督 今井正
脚本 今井正
井手俊郎
製作 藤本真澄
出演者 原節子
池部良
若山セツ子
杉葉子
伊豆肇
木暮実千代
龍崎一郎
音楽 服部良一
主題歌 藤山一郎奈良光枝青い山脈
撮影 中井朝一
製作会社 藤本プロダクション
東宝
配給 東宝
公開 日本の旗 1949年7月19日(青い山脈)
日本の旗 1949年7月26日(續青い山脈)
上映時間 93分(青い山脈)
84分(續青い山脈)
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 正編續編計約2750万円[2]
テンプレートを表示

監督は今井正、主演は原節子池部良。正続2編(正篇7月19日公開、続篇7月26日公開)。モノクロ、スタンダード。

東宝松竹が映画化権を争い、松竹が木下惠介監督を提示したことから東宝側は負けるのを覚悟したが最終的には東宝が映画化権を獲得。しかし、東宝争議で企画審議会に加わっていた組合が「プチブル作家の石坂がブルジョア新聞に連載した作品をなぜ東宝がやる必要があるのか」と猛反対していた[3]。今井は「戦時中抑圧されていた若い男女が一緒に町を歩く、それを描くだけでも意味がある」と反論した[3]。プロデューサーの藤本真澄は東宝を退社して藤本プロを設立する。この時期機能が麻痺していた東宝では各プロデューサーの独立プロにスタジオを貸す方式をとっており、本作は藤本プロと東宝の共同作品となる。 東宝からの製作協力者として代田謙三、井手俊郎らが当り、当初小国英雄が脚本を執筆したが、監督の今井正と意見が対立し降板したため、今井が井手俊郎に書き直させた[3]。井手の脚本家デビュー作となる。以降のリメイク作品のほとんどは、この井手脚本が元になっている[3]。今井は芸者の梅太郎役に杉村春子を推したが、最終的に木暮実千代に落ち着いた[3]。また服部良一主題歌も今井正監督が好まなかったにもかかわらず、国民的愛唱歌になるほどヒットし、以降のリメイク作品にも使用された。ロケ地は静岡県下田市他。

打ち上げ花火やカモメなどの描写にアニメーションが用いられ、前年に東宝を退社した鷺巣富雄が作画を担当した[4][5]

平成元年(1989年)「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)では第20位にランキングされている。

スタッフ[編集]

配役[編集]

青い山脈

杉葉子(左)と原節子(右)
杉葉子(左)、原節子、若山セツ子(右)

續青い山脈

  • 島崎雪子:原節子
  • 金谷六助:池部良
  • 梅太郎(笹井とら):木暮実千代
  • ガンちゃん (富永安吉):伊豆肇
  • 沼田玉雄:龍崎一郎
  • 笹井和子:若山セツ子
  • 駒子:立花満枝
  • 松山淺子: 山本和子
  • 寺沢新子:杉葉子
  • 井口甚蔵:三島雅夫
  • 武田校長:田中栄三
  • 八代教頭:島田敬一
  • 岡本先生:藤原釜足
  • 宝屋のお内儀:岡村文子
  • 田中先生:生方功
  • 中尾先生:三田國夫
  • 小野先生:諏訪美也子
  • 白木先生:原緋紗子
  • 北原先生:飯野公子
  • 岡本先生の妻:馬野都留子
  • 柳屋の主人:深見泰三
  • 長森の主人:高堂国典
  • 国民服の男:大町文夫
  • 婆や:一色勝代
  • 六助の父:石島房太郎
  • 六助の姉:志茂明子
  • 六助の母:英百合子
  • 与太者A:津田光男
  • 与太者B:相原巨介
  • 与太者C:成田孝
  • 小使:鈴木左衛門
  • 父兄A:春野音羽
  • 父兄B:藤間清江
  • 父兄C:滝鈴子
  • 野田アツ子:岩間湘子
  • 田村靜江:江幡秀子
  • 女学生:廣瀬嘉子津山路子、日高あぐり、島村芳子
  • 看護婦:上野洋子

1957年版[編集]

「新子の巻」10月17日公開と「雪子の巻」11月19日公開の正続2篇。東宝製作。併映作は、「新子の巻」は『善太と三平物語 風の中の子供(原作:坪田譲治。監督:山本嘉次郎)、「雪子の巻」は『脱獄囚』(主演:池部良。監督:鈴木英夫)。岐阜県 中津川市、恵那市で撮影された。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

1963年版[編集]

『青い山脈』(1963年)

日活製作、1月3日公開。本作では、時代に合わせて設定を、旧制・高等女学校から新制・女子高等学校に、旧制高校生から大学生に変更した。ラブレターの「恋しい恋しい」と「変しい変しい」をめぐって女子高の教職員と父兄とが議論する場面では、大学生がアマチュア無線で主人公たちに向けて実況中継するといった現代的な脚色が加えられていた。ロケーション滋賀県彦根市で行われている。1990年代以降のカラオケの画面に現れることのある映像はこの作品のものである。配給収入は2億7080万円[7]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

1975年版[編集]

東宝映画製作・東宝配給、8月2日公開。同時上映は『花の高2トリオ 初恋時代』( 東宝・ホリプロダクションサンミュージック提携。監督:森永健次郎。主演:森昌子桜田淳子山口百恵

スタッフ[編集]

石川さゆり潮哲也

キャスト[編集]

1988年版[編集]

タイトルは「青い山脈'88」。キネマ東京=ビデオ東京製作、松竹配給、10月15日公開。

舞台を青森県に移し、今までのシリーズを大胆にリメイクしたものである。あまりにインパクトのある舘ひろしの保健の先生は、服装や姿・立ち振る舞いが濃い為に『ウラ関根TV』で紹介されており、ゴルフクラブを握る姿が「ライフルを磨いているみたい」、囲碁を打つ時は「ホシを追い詰めている」という一風変わった役作りで、「刑事みたい」と評される事になる。 また第1作で主人公を演じた池部良が、一転して「封建的な父親」を演じた事で話題になった。おなじみの主題歌は舘が歌った(編曲:神林早人)。

スタッフ[編集]

  • 監督:斎藤耕一
  • 脚本:山田信夫
  • 音楽:服部良一、服部克久
  • プロデュース:藤本潔、曽志崎信二
  • 製作者:高橋松男、山川修
  • 製作協力:電通
  • 後援:青森県

キャスト[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「邦画 四代目六助を演じる三浦友和 『青い山脈』」『スタア』1975年9月号、平凡出版、100頁。 
  2. ^ 藤本眞澄、時實象平(1949年7月19日)"「靑い山脈」はこうして完成した"『映画評論』第6巻、第9号、日本映画出版、1949年、4頁。藤本眞澄「前後篇では非常に安い作品です。」
  3. ^ a b c d e 石坂昌三『巨匠たちの伝説』三一書房、1988年、215頁。ISBN 9784380882340 
  4. ^ 但馬オサム「ピー・プロワークス3 アニメ合成」『別冊映画秘宝電人ザボーガー』&ピー・プロ特撮大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年11月14日、85頁。ISBN 978-4-86248-805-3 
  5. ^ 但馬オサム「うしおそうじ&ピープロダクション年表」『別冊映画秘宝 特撮秘宝』vol.3、洋泉社、2016年3月13日、pp.102-109、ISBN 978-4-8003-0865-8 
  6. ^ 「奇妙なことにかつてファンクが典型的な日本女性だと絶賛を惜しまなかった原の身体は、その大柄さゆえに敗戦国民の観客たちからは、西洋的な新時代の隠喩として受けとられた。誰も彼女の転向を公に非難するものはいなかった。いや、たとえそれに気が付いていたとしても、誰もが多かれ少なかれ、彼女と同じ転向者であったためである」(四方田犬彦『日本映画史110年』集英社新書 2014年)。
  7. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)190頁

外部リンク[編集]