関白宣言
| 関白宣言 | ||||
|---|---|---|---|---|
| さだまさし の シングル | ||||
| B面 | なつかしい海 - My little shore - | |||
| リリース | 1979年7月10日 | |||
| ジャンル | J-POP | |||
| レーベル | フリーフライトレコード | |||
| 作詞・作曲 | さだまさし | |||
| プロデュース | さだまさし | |||
| ゴールド等認定 | ||||
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| チャート最高順位 | ||||
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| さだまさし シングル 年表 | ||||
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「関白宣言」(かんぱくせんげん)は、シンガーソングライターのさだまさしの楽曲、あるいはこの曲を収録した1979年7月10日に発表したシングルである。またこの楽曲を元にした同タイトルの映画作品もある。
目次 |
[編集] 解説
[編集] 関白宣言
[編集] 概要
「関白宣言」は、さだが当時山本直純に紹介されて通っていた京都・先斗町のスナック「鳩」のママ(さだは母親と歳が近かったので「お母さん」と呼んでいた)に、「最近の男は駄目になった。だから若い娘も駄目になった。男はん、しっかりしとくれやっしゃ。お師匠はん[1]、そういう歌を作っとくれやっしゃ」と言われたことがきっかけで作られた作品である。そのためあえて男が強気な内容の歌詩を書いたものであり、これを以ってさだの思想であると解釈するのは間違いである。そもそもさだ自身「こんなのが売れるとは思ってなかった」と述べているし、近年では「男は女の付属品です」とも言っている。ちなみに、「関白宣言」を聴いた鳩のママは「お師匠はん、まだ甘おすな」と言っていたという。
作品は1979年5月28日に大分文化会館でのコンサートが始まるまでの合間を縫って一気に書き上げられた。コンサートで発表された当初のタイトルは「王手」で、副題だった「関白宣言」がレコード化される際に正式なタイトルに変更された。シングル盤ではさだの最大のヒット作であり、約160万枚[2]というミリオンセラーを記録する大ヒットとなりった。しかし、さだ自身「『一番売れた曲』イコール『一番良い曲』ではない」と言っている。聴衆からの人気もさほど高くはなく、テレビやラジオなどの企画でファンによるさだの楽曲の人気投票をしても、ベスト5にも入ってこない[3]ことが多い。1979年さだはこの曲で『NHK紅白歌合戦』に出演した[4]。かなり後年、歌番組でこの歌を歌うことになったとき「俺は浮気はしない…」のあとの「ま、ちょっと覚悟はしておけ」を「見逃してくれよぉ〜」に変えて歌ったことがあった(コンサートではこの部分の歌詩を変えることは多い[5])。長年の心境の変化があったのか、その数年後に「関白失脚」が作られることになる。
結婚を前にした男が相手の女性に向けて「亭主関白」となるとことを宣言しつつも、自分のもろさや弱さ、相手への深い依存心をのぞかせ、不器用な愛情を吐露していく、という内容をコミカルに歌い上げている。発表されるや否やその歌詞をめぐって女性団体などから「女性差別」、「男尊女卑」と反発を受けるなどの騒動となった。当時この歌は普段は歌謡曲を買わない層に訴えた部分が大きく、馴れない姿で買いにくる客が多かった。題名もよく間違えられ、「亭主関白」とか、「関白音頭」と呼んでレコードを買いに来た客もいたという。
なお福田郁次郎と共編ながら、グレープ解散後、ソロ・デビュー以来初めてさだがアレンジを手がけた作品でもある[6]。
[編集] コンサートの余興
コンサートでは本作のエンディング部分を聴衆とともに歌うことが恒例となっている[7]。
本作のエンディング部分は小結尾(子どもたちの笑い声)のあと、結尾主題を繰り返してアッチェレランド(次第に速く)しながらフェードアウトして終わる。ただしコンサートの場合はフェードアウト出来ないため、結尾主題を繰り返してアッチェレランドをしながら最後にコーダを添えて締めくくることが常である。さだのコンサートで「関白宣言」を採り上げる際にはテンポを徐々に上げるスピードの限界に挑戦すべく、エンディングの部分だけをアンコールすることが余興のひとつになっている。演奏終了後、エンディングが2 - 3回アンコールされるが、その都度開始のテンポを上げていくために、最後の演奏ではコーダ部分はほとんど聴き取れない状況(プレスティッシモ以上)に至る。
なお結尾主題が「ドー・ミー・ソー」というフレーズで始まることから、そのまま「ソーー・ソッソー・ミッミー」と続けて、J.シュトラウスのワルツ「美しく青きドナウ」の主題を演奏したこともある[8]。
[編集] アンサー・ソング
さだは1980年、軽井沢音楽祭で本作のアンサーソングとして「大きな森の小さな伝説(ものがたり)」(アルバム『夢のつづき』収録)を発表している。1994年には、シングル「ヴァージンロード」のカップリング曲として「関白失脚」を発表。
他のアーティストでは女性側からのアンサーソングとしてたなか愛の「良妻宣言」、渋谷岩子の「奥方宣言」、平松愛理の「部屋とYシャツと私」などが発表されている。他にも「関白宣言に対する宣言」(桜田淳子)、「逆・関白宣言」(沢知恵)、「関白」(SEAMO)といった派生曲も生まれた。2006年に嘉門達夫が、みのもんた、美輪明宏、明石家さんま、さだまさしの4人を題材とした替え歌「働くオジサン宣言〜関白宣言〜」を発売している。後にさだ自身がアンサーソングとして「勇気凛々」を生み出しているほか、さだは「関白宣言」自体が「君といつまでも」のアンサーソングであると語っている[9]。
[編集] 余談
- 1979年に創刊された『オリコン全国ヒット速報(現:オリ★スタ)』創刊号(1979年8月6日号、「00号」)の週間シングルチャート1位(創刊号時点で2週連続1位であった)。ちなみに週間アルバムチャート1位は岸田智史の『モーニング』だった。
- 1995年にラジオ番組『有限会社さだまさし大世界社』の企画で東鳩製菓(現:東ハト)から「関白宣言」のタイトルを捩った「たんぱく宣言」というスナック菓子が発売された。パッケージには「俺より先に喰ってはいけない」(「関白宣言」の一節のパロディ)と記されていた。
- 間奏が「君の瞳に恋してる」の間奏に似ているが、これは意図したものではなく、あとで「あれ?「君の瞳に恋してる」だ」と気づいたという。
- ジャケット撮影の際さだは黒の礼服を着て撮影に臨んだが、不注意で白の靴下を穿いていた。そのためカヴァー写真の右足、靴下の部分は黒く塗りつぶして修正されている。
- 2003年には『末っ子長男姉三人』の中でさだが本人役で出演し、本作を歌唱している。
- 2009年にはBerryz工房・真野恵里菜がカヴァーした(アルバム『チャンプル(1)〜ハッピーマリッジソングカバー集〜』に収録)。
- 2010年にはガガガSPもカバーした(アルバム『PUNK is FOLK』に収録)。
[編集] なつかしい海 - My little shore -
[編集] 収録曲
[編集] SIDE 1
「関白宣言」(作詩[10]・作曲:さだまさし、編曲:福田郁次郎・さだまさし、弦編曲:藤田大土)
[編集] SIDE 2
「なつかしい海 - My little shore -」 (作詩・作曲:さだまさし、編曲:福田郁次郎・さだまさし、弦編曲:藤田大土)
[編集] 映画『関白宣言』
| 関白宣言 | |
|---|---|
| 監督 | 松林宗恵 |
| 脚本 | 紺野八郎 かがみおさむ |
| 製作 | 荒木正也 山田順彦 |
| 出演者 | さだ繁理 名取裕子 ほか |
| 音楽 | 渡辺俊幸 |
| 編集 | 池田美千子 |
| 配給 | 東宝 |
| 公開 | |
| 上映時間 | 86分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
| allcinema | |
| キネマ旬報 | |
| IMDb | |
「関白宣言」のヒットを受け、映画『関白宣言』が製作された(1979年12月22日公開。併映作は山口百恵・三浦友和主演『天使を誘惑』)。
主演はさだまさしの実弟、さだ繁理(佐田繁理:現在はさだの個人事務所「さだ企画」の社長)。共演は名取裕子ほか。さだ本人も端役で度々顔出ししている(クレジットには「ひやかし出演」とある)。また、映画自体もさだの他の曲の要素があり、彼女の父親に主人公が娘さんを下さいと言うシーンでは「親父の一番長い日」(イントロ)が流れた。
[編集] キャスト
- 宇田まさし:さだ繁理
- 鈴木久美:名取裕子
- 鈴木部長:財津一郎
- 古山みのる:新井康弘
- 山川浩:丹波義隆
- 風間好子:佐良直美
- 岡崎:田中邦衛
- 相沢あけみ:テレサ野田
- 野坂めぐみ:亜湖
- 宇田政子:泉ピン子
- 祖母:北林谷栄
- 清子:里見奈保
[編集] 関白失脚
1994年、「関白宣言」のアンサーソングとして「関白失脚」がシングル(「ヴァージン・ロード」のカップリング曲)として発表された。同年のアルバム『おもひで泥棒』にも収録されている。
結婚して数十年。結婚する時には強気な言葉で「関白宣言」してみたものの、元々あった「男が弱くなる」流れには結局逆らえなかった。いまや家族には相手にされず、犬のポチしか話す相手がいない…そんな中年男性の悲哀を描き、同時に応援メッセージを送る作品である。
これは、元々1993年のさだのデビュー20周年記念コンサートで、中年男性の悲哀を描いたさだの人気ステージトークネタ[11]『お父さんとポチ』[12]を下敷きに「関白宣言」のイントロを短調に変えた替え歌を作り、冒頭部分をシャレで演奏してみたところ、これを聞いたファンから「続きが聴きたい」というリクエストが多く寄せられたため、3番以降はまったく別展開とした楽曲を制作。翌年のコンサートツアー「Act21」初日公演(戸田市文化会館)で初演され、6月29日にNHKホールでライヴ録音された。その後、ダスキンのキャンペーンに使用された。
途中、グリーグのピアノ協奏曲の冒頭・序奏部が引用されている。
[編集] 脚注
- ^ 「おっしょはん」。ママは元舞妓だったため、音楽関係者であるさだを、邦楽の師匠と同じ呼び方で呼んでいた。
- ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』社会思想社、1997年、118頁。ISBN 4390116029
- ^ ほとんどの調査で第1位はアルバム『私花集』収録の「主人公」である。
- ^ ちなみに、2005年にNHKが実施したスキウタ〜紅白みんなでアンケート〜でも白組82位にランクインされている。
- ^ 例えば、20周年記念ライヴ・アルバム『のちのおもひに』収録版では「しないと言うより 無理じゃないかな」と歌っている。
- ^ ただし、グレープ時代には編曲も手がけていた。
- ^ 『さだまさし白書〜リサイタル'92〜』『のちのおもひに』『燦然會〜コンサート3000回達成記念集會〜』『さだまさしデビュー35周年記念コンサートFESTIVAL HALL 200』などのライヴ・アルバム盤に収録されている。
- ^ ライブアルバム『のちのおもひに』収録
- ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』119頁
- ^ さだの楽曲はすべて作詞ではなく「作詩」とクレジットされている。
- ^ 学生時代、落語研究部員でもあったさだのステージトークには、落語の演目のように定番のネタがあり、書籍・音源化されている。詳細はさだまさしの項を参照のこと。
- ^ ライブアルバム『さだまさし白書-リサイタル'92-』収録。また別バージョンが2006年リリースの『さだまさし・トークベスト』に収録。
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