足利貞氏
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| 足利貞氏 | |
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足利貞氏像/浄妙寺所蔵
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| 時代 | 鎌倉時代後期 - 末期 |
| 生誕 | 文永10年(1273年) |
| 死没 | 元弘元年/元徳3年9月5日(1331年10月7日) |
| 戒名 | 浄妙寺殿義観 |
| 墓所 | 神奈川県鎌倉市の稲荷山浄妙寺 |
| 官位 | 従五位下、讃岐守、贈従三位 |
| 幕府 | 鎌倉幕府 |
| 主君 | 久明親王 |
| 氏族 | 足利氏 |
| 父母 | 足利家時、北条時茂の娘 |
| 妻 | 正室:北条顕時の娘(釈迦堂殿) 側室:上杉清子 |
| 子 | 高義、高氏、直義 |
足利 貞氏(あしかが さだうじ)は、鎌倉時代後期から末期にかけての鎌倉幕府の御家人。足利家時の嫡男。室町幕府初代将軍となる足利尊氏(高氏)の父。
[編集] 生涯
父・家時の死去の後を受けて足利氏当主となる。貞氏は当時10歳前後の少年であり、足利頼氏以来3代続けての幼少の当主である。執事高氏の補佐をうけた。北条顕時の娘を正室に迎えるなど、北条氏との関係を重視した。応長元年(1311年)に出家したと『尊卑分脈』に記されるが、正安3年(1301年)、第9代執権・北条貞時の出家に伴って出家したと言う説もある。第8代将軍久明親王の室のための祈祷の際に雑事役や、嘉元3年(1305年)に起きた嘉元の乱の際には、北条時方を討った罪人の預かりを務めているなどの公的活動が知られる。貞氏の頃は足利氏の家政機関が整い、それら機関の活動も充実し、足利氏被官のもとに残された数多くの貞氏発給文書が残されている。
元弘元年/元徳3年(1331年)9月5日、59歳で死去。嫡子高義が早世していたため、側室の産んだ次男の高氏が家督を継いだ。高氏が上杉氏などの家臣の勧めにより北条氏の鎌倉幕府に反旗を翻して滅ぼす2年前であった。
鎌倉における足利氏の菩提寺浄妙寺を再興した他、足利鑁阿寺大御堂の再建も行っている。
- ただし、北条貞時の隠居・出家に伴って貞氏も隠居・出家したとすれば足利尊氏(足利高氏)の家督は年齢から難しく、先に誕生していた正室との間の子・高義が先に家督相続をしたと考えられる。その高義の早世ののち、足利高氏が嫡子として立てられたと思われる。
[編集] 関連項目
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