坂士仏

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坂 士仏(さか しぶつ、1327年嘉暦2年)- 1415年4月12日応永22年3月3日))は、南北朝時代から室町時代前期の医師である。名は慧勇。別号に健叟。

経歴・人物[編集]

坂十仏の子として生まれる。家は祖父である坂九仏から代々続く京都の医師の系であった。後に父から家業を継ぎ、十一に因んで士仏という号をもらった。

当時の北朝天皇であった後光厳天皇後円融天皇後小松天皇侍医となり、後に室町幕府将軍足利義詮足利義満足利義持の侍医ともなった。これによって多くの皇族の診察、治療にあたり、民部卿法印に叙せられる。晩年には「上池院」という号ももらった。子に坂浄快坂時宗らがおり、孫に允能がいる。

出典[編集]