鹿児島神宮

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鹿児島神宮
勅使殿
勅使殿
所在地 鹿児島県霧島市隼人町内2496
位置 北緯31度45分13.37秒
東経130度44分16.33秒
座標: 北緯31度45分13.37秒 東経130度44分16.33秒
主祭神 天津日高彦穂々出見尊
豊玉比売命
社格 式内社(大)
大隅国一宮
官幣大社
別表神社
創建 (伝)神武天皇年間
本殿の様式 入母屋造
別名 大隅正八幡宮
例祭 旧暦8月15日
主な神事 初午祭
御田植祭
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鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

別名として大隅正八幡宮とも。

祭神[編集]

主祭神
相殿神

歴史[編集]

創始は社伝によると「神武天皇の時に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされるが、不詳。当社の北西13kmの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山陵がある。

欽明天皇の代に八幡神が垂迹したのもこの場所とされる。当社を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に、「震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、その太子を八幡と名付けたと言う。継体天皇の代のことであると言う。」との記載がある。 八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたと『今昔物語集』にも記載されている。

信頼できる史料での初出は、醍醐天皇の時に編纂された『延喜式神名帳』に「大隅国桑原郡 鹿児嶋神社」とあるもので、大社に列している。その高い社格から桑幡氏税所氏などの有力国人をその神職より輩出した。平安時代に宇佐八幡が九州各地に別宮を作ったのに伴い、当社に八幡神が合祀されたともされている。それ以降、正八幡宮・大隅八幡宮・国分八幡宮などとも称される。

戦国時代から江戸時代には、地元の大名である島津氏の尊崇を受けた。

1874年明治7年)に神宮号宣下及び近代社格制度において官幣中社に列し、1895年(明治28年)に官幣大社に昇格した。戦後は神社本庁別表神社となった。

主な祭事[編集]

初午祭の様子(2012年撮影)
  • 初午祭 (はつうまさい、旧暦2月の初午の日に近い日曜日)
  • 御田植祭(おたうえさい、旧暦5月5日)

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

上記のうち刀2件は、第二次世界大戦後、進駐軍に接収され、所在不明となっていた。うち、秋広銘の刀はアメリカのオークションに出品されているのが発見され、2003年に神社が買い戻した。伝則重の刀は所在不明である。

鹿児島県指定有形文化財[編集]

  • 本殿、拝殿、勅使殿 - 島津重豪建立
  • 鹿児島神宮文書(『正八幡宮神官命婦職補任状』・『正八幡宮執印下文』・『酒井季時 正宮修理職補任状』・『酒井為春正八幡宮修理所職補任状』)

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス

関連図書[編集]

  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、19頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、89-90頁
  • 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、240頁
  • 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、284-285頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 鹿児島神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)