生島足島神社

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生島足島神社
生島足島神社 拝殿
所在地 長野県上田市下之郷中池西701
主祭神 生島大神
足島大神
社格 式内社(名神大)・国幣中社・別表神社
  

生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)は、長野県上田市にある神社である。

生島大神・足島大神の二神を祀る。生島大神は生みの神、足島大神は満たす(足る)神とされる。社伝では、御名方命出雲から当地へ下って来た時、両神が粥を奉仕したとあり、この伝承の通りであればこの地方の地主神と考えられる。しかし、宮中で奉斎される二十二座の中に同じ名前の二神があり、信濃国造の多氏らが国魂の神として勧請したものとみられている。

この神社は日本の中央にあるとされ、日本総鎮守とも称された。

目次

[編集] 歴史

創建時期は不明であるが、平安時代初期の大同元年(806年)には時の平城天皇神封戸の寄進があったとされているため、古来から存在していたのは間違いない。延喜式神名帳では名神大社に列している。

皇室や武将の崇敬が篤く、北条国時が社殿を営繕、真田昌幸信之等の武将が神領を寄進し社殿を再建する等、崇敬を表している。また、武田信玄上杉謙信との戦いに際し奉じた直筆の願文(重要文化財)が現在も残されている。明治32年(1899年)には国幣中社に列せられた。

[編集] 社殿

御神体は「土」または「酒」とされ、本殿の中は何も無い。古代からの信仰の形式をそのまま受け継ぐ神社である。

[編集] 文化財

重要文化財(国指定)
  • 生島足島神社文書
文書のうち、生島足島神社起請文は武田家臣団が信玄への忠誠を誓約した起請文。起請文において一般的な熊野牛王宝印が使用され、甲斐本国に加え武田領国化された信濃や西上野など武田家臣団の一部にあたる237名が誓約し、うち83通が現存している。日付は永禄9年8月23日付のものが3通、翌永禄10年8月7日付のものが72通、同年8月8日付のものが8通。
起請文作成の背景には永禄10年に信玄嫡男の義信甲府で幽閉され自害した義信事件に際した家臣団の動揺を鎮める意図があったと指摘され(1959年に奥野高広が指摘して以来)この見解が支持されているが、一方で信玄期に北信地域で繰り広げられていた川中島合戦に代表される越後の上杉謙信との対決に際した戦勝祈念の意図も指摘されている(西川広平による)。
重要文化財(県指定)
  • 歌舞伎舞台
  • 摂社諏訪社本殿及び門
  • 本殿内殿

[編集] 交通

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