駒形神社

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駒形神社
拝殿
所在地 (本社)岩手県奥州市水沢区中上野町1-83
(奥宮)岩手県胆沢郡金ケ崎町西根字駒ヶ岳
(里宮)岩手県胆沢郡金ケ崎町西根雛子沢13
位置 北緯39度8分10秒
東経141度8分18秒
主祭神 駒形大神
社格 式内社(小)・国幣小社・別表神社
本殿の様式 三間社流造
例祭 9月19日
主な神事 勝善詣
神輿渡御祭
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地理院地図 Googleマップ 駒形神社(本社)

駒形神社(こまがたじんじゃ)は、岩手県にある神社である。本社が奥州市、奥宮が胆沢郡金ケ崎町の駒ヶ岳山頂にある。式内社で、旧社格国幣小社陸中国一宮

概要[編集]

当社はの名所として知られる水沢公園に隣接している。

祭神[編集]

  • 駒形大神

この神については、宇賀御魂大神天照大神天忍穂耳尊・毛野氏の祖神など多数の説があり、はっきりしない。現在は、天照大御神天之常立尊国之狭槌尊吾勝尊置瀬尊彦火火出見尊の六柱の総称としている。

駒形大神はの守護神とされ、馬頭観音あるいは大日如来と習合し、東日本各地に勧請されて「おこま様」と呼ばれている。馬の守護神とされたのは、古代、この一帯が軍馬の産地であったためと考えられる。

歴史[編集]

創建の年代は不詳である。社伝では、雄略天皇21年に、京都籠神社から宇賀御魂大神を勧請して奥宮へ祀り、里宮に大宜津比売神事代主神を配祀したとしている。他には、景行天皇40年、東征中の日本武尊天照大神・置瀬命・彦火々出見尊天常立尊・吾勝尊・国狭槌命を勧請して創建したとする伝承もある。国史では、『文徳天皇実録』の仁寿元年(851年)9月2日条に駒形神に正五位下の神階を贈った記事が初出であるが、それより前の延暦21年(802年)に坂上田村麻呂東北平定の際に霊験を得た「陸奥三神」の一柱と見られている。なお、神階は貞観4年(862年)6月18日に従四位下に進んでおり、これは東北地方で最高位である。

元々は駒ヶ岳の南方の大日岳山頂に奥宮があり、近世になって駒ヶ岳山頂に遷座した。駒ヶ岳は仙台藩盛岡藩の境界であり、20年ごとに両藩が費用を出しあって社殿を改修していたという。

奥宮は参拝が困難でありかつ女人禁制であったことから、仙台藩・盛岡藩それぞれが麓に里宮を作り、奥宮から神霊を勧請して祀っていた。仙台藩側の里宮は金ケ崎町西根字雛子沢にあり、第二次大戦後は本社から分かれて独立の神社となっているが、現在も本社との関係を保っている。盛岡藩側の里宮は和賀郡岩崎村(現・北上市)にあり、現存しているが本社との関係は絶たれている。

元々、現在の本社の所在地には鹽竈神社があった。鹽竈神社は、安倍貞任征伐のため源頼義義家親子が宮城の鹽竈神社に祈願し、凱旋の後に鹽竈神社より当地に勧請して創建したものであった。

明治4年(1871年)、駒形神社が国幣小社に列せられる際、奥宮・里宮とも参拝に不便であるとして、当時の水沢県の県庁に近い鹽竈神社の本殿(現在の駒形神社本殿)を仮遥拝所とした。明治7年(1874年)、社殿を改修して正式な遥拝所とした。明治36年(1903年)、奥宮の神霊を遥拝所に遷座し、元は鹽竈神社の社殿であったもの一切を駒形神社に編入した。鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀し、春日神社の社名を鹽竈神社に改めた。

境内社ほか[編集]

  • 別宮 鹽竈神社((塩竈神)塩土老翁神・武甕槌神・経津主神、(相殿 春日神)天児屋根神・比賣神・藤原鎌足朝臣)
  • 末社 山神社(大山祇神・木花開耶姫神)
  • 水沢招魂社(郷土出身の1099柱の英霊)
  • 金ケ崎町駒ケ岳 駒形神社奥宮(駒形大神)

祭礼[編集]

  • 奉遷記念大祭(5月)
  • 水沢招魂社例祭(6月)
  • 奥宮登拝祭(8月)
  • 鹽竃神社例祭(8月)
  • 例祭(9月)
  • 山神社例祭(10月)

関連図書[編集]

外部リンク[編集]