建部大社

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建部大社
Takebe-shrine.jpg
拝殿と三本杉
所在地 滋賀県大津市神領一丁目16-1
位置 北緯34度58分25.2秒
東経135度54分48.7秒
主祭神 日本武尊
大己貴命
社格 式内社名神大
近江国一宮
官幣大社
別表神社
創建 (伝)景行天皇46年
本殿の様式 一間社流造
札所等 神仏霊場巡拝の道145番(滋賀13番)
例祭 4月15日
主な神事 船幸祭(8月17日
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一の鳥居

建部大社(たけべたいしゃ)は、滋賀県大津市にある神社。旧称は建部神社式内社名神大社)、近江国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

目次

[編集] 祭神

本殿
  • 日本武尊 (やまとたけるのみこと)
    • 相殿:天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ) - 相殿神は、天照皇大神でなく天明玉命(あめのあかるたまのみこと)とする場合も見られる[1]
権殿

[編集] 歴史

[編集] 概史

社伝では、日本武尊の死後の景行天皇46年、日本武尊の妃・布多遅比売命が神勅により、御子・建部稲依別命とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(現 東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に日本武尊を建部大神として祀ったのが創建とされる[2]。建部郷の「建部」の名は日本武尊をしのんで名代として名付けられたことに因むといい、他にも各地に設けられている。のち、天武天皇4年(675年)に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多へ遷座した。遷座後、元の千草嶽の麓には神護景雲2年(768年)に聖真大明神と建部大明神が設けられたとされ、現在は建部神社が残っている。

天平勝宝7年(755年)には、大己貴命大神神社から勧請され、権殿に祀られた。

平安時代中期の『延喜式神名帳』には「近江国栗太郡 建部神社 名神大」と記載され名神大社に列しているほか、近江国の一宮として崇敬された。

源頼朝平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。

明治4年(1871年近代社格制度において「建部神社」として県社に列格され、同18年に官幣中社、同33年に官幣大社となった。戦後昭和23年(1948年)には神社本庁の別表神社となり、社名を「建部大社」とした。

なお、昭和20年8月、日本で初めて作られた千円紙幣甲号券)の図柄に日本武尊と当社本殿が使用された。

[編集] 神階

[編集] 境内

社殿
その他

[編集] 摂末社

[編集] 摂社

 


[編集] 末社

  • 行事神社
    • 祭神:吉備臣武彦、大伴連武日 - 日本武尊の家臣
  • 弓取神社
    • 祭神:弟彦公 - 日本武尊の家臣
  • 箭取(せんとり)神社
    • 祭神:石占横立、尾張田子之稲置、乳近之稲置 - 日本武尊の家臣
  • 蔵人頭神社(膳夫神社)
    • 祭神:七掬脛命 - 料理の神
境内北方御旅山に鎮座する境外末社。熊野神社、山神社、鞭指神社を合祀し改称。境内には遙拝所がある。

[編集] 主な祭事

[編集] 年間祭事


[編集] 船幸祭

重さ1.5tの大神輿を御座船に乗せ瀬田川を下る「船幸祭」が、毎年8月17日に行われる。これは日本武尊の東征故事に拠るもので、日吉大社の「山王祭」(春)、天孫神社の「大津祭」(秋)と共に、大津三大祭の一つともなっている。

[編集] 文化財

[編集] 重要文化財(国指定)

  • 木造女神坐像(附 木造小女神坐像 2躯) - 平安時代
  • 石燈篭 - 文永7年(1270年)の銘がある

[編集] 当社関係地

  • 建部神社 (東近江市五個荘伊野部町) - 当社元鎮座地

[編集] 現地情報

所在地
付属施設
  • 宝物殿 - 正月元旦のみ終日公開(拝観無料)、その他は事前予約(拝観料200円)
交通アクセス

鉄道

バス

  • 石山駅から、近江鉄道バスで「神領建部大社前」バス停下車、または帝産湖南交通バスで「建部大社」バス停下車
  • 瀬田駅から、近江鉄道バス(神領団地線 神領団地経由石山駅行)「神領建部大社前」バス停下車

周辺

[編集] 脚注

  1. ^ 天照皇大神:公式パンフレット、天明玉命:滋賀県神社庁。境内説明板ではどちらか一方を記載。
  2. ^ 神社由緒書。

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク