豊国神社 (京都市)

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豊国神社
Toyokuni jinja01s1024.jpg
所在地 京都市東山区大和大路正面茶屋町530
位置 北緯34度59分29秒
東経135度46分21秒
主祭神 豊臣秀吉
社格 別格官幣社別表神社
創建 1599年慶長4年)
例祭 9月18日
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拝殿と本殿(奥)
秀吉公の馬印にちなんだ瓢箪形の絵馬が見られる。

豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀る。豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の指示により再興された。

主祭神が大名として統治した地である大阪市の大阪城公園(中央区)や滋賀県長浜市、石川県金沢市のほか、出身地の名古屋市中村区にも豊臣秀吉を祀る同名の神社がある(関連項目を参照)。

目次

歴史 [編集]

豊臣秀吉の死去の翌年の1599年慶長4年)、遺体が遺命により東山大仏(方広寺)の東方の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され(遺体埋葬は死の直後という説もある)、その麓に廟所が建立されたのに始まる。廟所は秀吉の死後間もなく着工されたが、着工時はまだ秀吉の死は伏せられていたため「大仏の鎮守社」と称していた。秀吉は奈良東大寺大仏殿を鎮護する手向山八幡宮に倣い、自身を新八幡として京都東山方広寺の鎮護として祀るように遺言したといわれる。しかし、豊臣秀頼に継がれた豊臣政権は政争の末、大老の徳川家康が主導することとなり、後陽成天皇から正一位の神階豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。神号の下賜のおりには豊国大明神は兵威を異域に振るう武の神と説明されている。

豊臣秀吉 贈豊国大明神の宣命 「壬生家官符留」

天皇我詔旨良萬止、故博陸大相國豐臣朝臣爾詔倍止勅命乎聞食止宣、振兵威於異域之外比、施恩澤於卒土之間須、行善敦而德顯留、身既没而名存勢利、崇其靈氐、城乃東南爾大宮柱廣敷立氐、吉日良辰乎擇定氐、豐國乃大明神止上給比治賜布、此状乎平介久安介久聞食氐、靈験新爾天皇朝廷乎寳位無動久、常磐堅磐爾夜守日守爾護幸給比氐、天下昇平爾海内靜謐爾護恤倍度、恐美恐美毛申賜者久止申、慶長四年四月十七日

(訓読文)天皇(すめら)が詔旨(おほみこと)らまと、故博陸(関白唐名)大相国(太政大臣唐名)豊臣朝臣に詔(のら)へと勅命(おほみこと)を聞食(きこしめ)せと宣(のたま)ふ、兵威を異域(とつくに)の外に振ひ、恩沢を卒土の間に施す、善を行ふこと敦(あつ)くして徳顕(あらは)る、身既に没して名存せり、其の霊(みたま)を崇(たうと)びて城(みやこ)の東南に大宮柱(おほみやはしら)広しき立て、吉日(よきひ)良辰(よきとき)を択(えら)び定めて豊国の大明神と上(のぼ)せ給ひ治め賜ふ、此の状(さま)を平らけく安らけく聞食して、霊験(みしるし)新たに天皇朝廷(すめらがみかど)を宝位(あまつひつぎ)動くこと無く、常磐(ときは)堅磐(かきは)に夜守(よのまもり)日守(ひのまもり)に護(まも)り幸(さきは)ひ給ひて、天下昇平(あめがしたむくさか)に海内静謐(くぬちおだひ)に護(まも)り恤(めぐ)み賜へと恐(かしこ)み恐みも申し賜はくと申す、慶長4年(1599年)4月17日


しかし、1615年元和元年)に豊臣宗家が滅亡すると、徳川幕府により方広寺の鎮守とするために廃絶され、秀吉の墓塔も大仏殿裏手南東に建てられた石塔に遷されている。このとき大明神の神号も剥奪された。神宮寺や本殿は残され、朽ち果てるままに放置されたが、それも後に妙法院に移されている。神体は神龍院梵舜が密かに持ち出し、自宅に隠し祀った。

1662年6月(寛文2年5月)に京都で地震が起きたとき、豊国神社周辺に被害がなかったため、地震除けの流行神として参詣者が集まった[1]

1868年明治元年)、明治天皇が大阪に行幸したとき、秀吉を、天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興を布告した。1873年(明治6年)、別格官幣社に列格した。1880年(明治13年)、方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し、遷座が行われた。阿弥陀ヶ峰山頂には伊東忠太の設計になる巨大な石造五輪塔が建てられた(この時土中から座棺に入った秀吉の遺骸が発見されたと伝える)。その西の下方、かつての社殿があった太閤垣には秀吉の孫である国松と愛妾松の丸殿の供養塔(五輪塔)が寺町の誓願寺から移されて建つ。

文化財 [編集]

国宝 
  • 唐門 元南禅寺金地院にあったもので、豊国神社再建に当たって金地院から移築された。崇伝が幕府から二条城の唐門を譲り受けたもので、その前は伏見城にあったとも伝える。
重要文化財
  • 紙本着色豊国祭図 六曲屏風一双 狩野内膳
  • 黄地菊桐文付紗綾胴服
  • 唐櫃 3点(桐唐草蒔絵、桐鳳凰蒔絵、桐薄蒔絵)
  • 鉄燈篭 辻与次郎
  • 薙刀直シ刀 無銘 伝粟田口吉光(骨喰)(ほねばみ)

脚注 [編集]

  1. ^ 土田衛編『かなめいし』、愛媛大学古典叢書、174-5頁

参考文献 [編集]

  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、42-43頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、251頁
  • 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、135頁
  • 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、178-179頁
  • 三鬼清一郎「豊国社の造営に関する一考察」1987年(『名古屋大学文学部研究論集98』)
  • 河内将芳「豊国社の成立過程について--秀吉神格化をめぐって」1999年4月(『ヒストリア164』)

関連項目 [編集]