久能山東照宮
| 久能山東照宮 | |
|---|---|
拝殿 |
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| 所在地 | 静岡県静岡市駿河区根古屋390 |
| 位置 | 北緯34度57分53.47秒 東経138度28分3.33秒 |
| 主祭神 | 東照大権現(徳川家康) |
| 社格等 | 別格官幣社・別表神社 |
| 創建 | 1617年(元和3年) |
| 本殿の様式 | 権現造 |
久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡県静岡市駿河区に所在する神社である。
晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬された。
江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、近年では2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了した。修復作業は現在も一部で続けられている。 2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。2015年(平成27年)には鎮座400年を迎えるため、様々な催し物が企画、開催されている。
目次 |
[編集] 歴史
- ※新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による旧暦を主とし、丸括弧内に西暦(1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦)を添える。同年4月(4月)は旧暦4月(新暦4月)、同年4月(4月か5月)は旧暦4月(新暦では5月の可能性もあり)の意。
久能山(標高216m)は、もともと日本平と共に、太古、海底の隆起によって形成されたもので、長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。 推古天皇(592- 628年)の頃、久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、静岡茶の始祖といわれる円爾など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。永禄11年(1568年)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を矢部(静岡市清水区)に移し(今の鉄舟寺)、この要害の地に久能城を築いた。しかし、武田氏の滅亡と共に駿河は徳川家康の領有するところとなり、久能城もその支配下に入った。
家康は、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。秀忠は日光山麓にも東照社(現・日光東照宮)社殿を造営したが、3代将軍・家光の代になって日光山の東照社は荘厳なものに大改築され、日本全国の東照宮の総本社的存在となった。「寛永の大造替」と呼ばれる家光の改築事業以前にあった秀忠の代の社殿は現存する久能山のそれ(当社社殿)と同様であったと考えられる。
なお、駿府城代支配の職である久能山総門番として代々久能の地を領して久能山東照宮を管理したのは、交代寄合の榊原家宗家であった。
落成当初以来の多くの建造物が現存するが、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治時代初期には五重塔の破却を余儀無くされた。
[編集] 年表
- <>は関連事項。
[編集] 近世以前
- 天文11年12月26日(1543年1月31日):徳川家康、誕生。
- 元和2年(1616年)
- 元和3年12月(1617年12月):東照社(久能山東照社)、創建。
- 元和3年12月21日(1618年1月17日):朝廷から当社祭神(家康の神格化)に神号「東照大権現」が宣下される。
- 寛永年間(1624- 1645年):本殿、石の間、拝殿が檜皮葺から銅瓦葺きに変わる。
- 正保2年11月3日(1645年12月20日):朝廷から東照社に宮号「東照宮」が宣下され、これよりのち、「久能山東照宮」の通称が成立する。
[編集] 近代以降
- 明治元年3月(1868年3月):<神仏分離令>
- 明治3年12月(1871年1月):本地堂を廃し、境内の日枝神社を移す。
- 明治4年5月14日(1871年7月1日):<近代社格制度の制定>
- 1873年(明治6年)
- 1888年(明治21年)5月1日:別格官幣社に列格。
- 1946年(昭和21年):社名を「久能山東照宮」とする。
- 2006年(平成18年):最近年に実施された社殿塗り替え事業の竣工。
- 2010年(平成22年)12月:本殿、石の間、拝殿が、国宝に指定される。
[編集] 祭神
[編集] 祭事
- 例大祭 4月17日
- 春季大祭 2月16日(具足祭)2月17日(大祭)2月18日(講社祭)
- 秋季大祭 10月17日
- 月次祭 毎月1日、17日
- 月次誕辰祭 毎月26日
- 愛宕神社例祭 1月24日
- 稲荷神社例祭 4月9日
- 久能神社例祭 5月18日
- 日枝神社例祭 6月15日
- 厳島神社例祭 6月17日
- 竃神社例祭 12月17日
- 駿河稲荷社例祭 2月8日
[編集] 境内外社
[編集] 文化財
[編集] 建造物
- 重要文化財(国指定)
- 「久能山東照宮」
- 唐門
- 東門
- 廟門
- 玉垣
- 渡廊
- 廟所宝塔(神廟) -本殿の裏手にあり家康の遺骸を埋葬した所。
- 末社日枝神社本殿(旧本地堂)
- 神庫
- 神楽殿
- 神饌所
- 鼓楼
- 神厩
- 楼門
[編集] 美術工芸品
- 国宝
- 「太刀 銘真恒」
- 重要文化財(国指定)
- 「伊予札黒糸威胴丸具足(いよざねくろいとおどしどうまるぐそく)(徳川家康所用)」
- 「金溜塗具足(徳川家康所用)、白檀塗具足(徳川家康所用)」
- 「革柄蝋色鞘刀(かわづかろいろさや かたな) 無銘(伝三池光世作)」
- 「太刀 銘国行」(長73.0cm)
- 「太刀 銘国行」(長69.7cm)
- 「太刀 銘安則」
- 「脇指 無銘(伝相州行光作)」
- 「脇指 無銘(伝貞宗)」
- 「太刀 銘正恒」
- 「太刀 銘雲次」
- 「太刀 銘守家」
- 「太刀 銘末守」
- 「太刀 銘国宗」(備前国宗)
- 「太刀 銘国宗」(伯耆国宗)
- 「太刀 銘高(以下不明)」
- 「徳川家康関係資料」一括
- 一、位記、宣旨、口宣案類
- 二、神服、調度類
- 三、書画、典籍類
- 四、道具類
- 「徳川家康関係資料」は、家康旧蔵の調度品、茶道具などの奉納品を一括指定したもの。指定品中には、1581年の銘があるスペイン製の置時計(日本に現存する最古の南蛮時計)、日本最古の鉛筆などが含まれる。南蛮時計はフェリペ3世のお抱え時計師ハンス・デ・エロバの製作で、1611年にセバスティアン・ビスカイノが献上したもの。ハンス・デ・エロバの製作で久能山東照宮の他に現存している時計は、スペインのエル・エスコリアル宮殿にある1個のみといわれている。
[編集] 付属施設
- 久能山東照宮博物館
[編集] 史跡等
[編集] 探訪
画像はすべて2007年7月撮影。
[編集] 久能山東照宮が登場する作品
- NHK木曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い』
[編集] 交通アクセス
[編集] 脚注・出典
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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