東照宮

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日光東照宮(栃木県日光市)
久能山東照宮(静岡県静岡市)
鳳来山東照宮(愛知県新城市)

東照宮(とうしょうぐう)とは、東照大権現たる徳川家康を祀る神社である。

概要[編集]

江戸幕府によって建立された日光久能山などをはじめとして、各地の徳川松平一門大名家、さらには譜代大名や徳川家と縁戚関係がある外様大名家も競って建立し、全国で500社を超える東照宮が造られた。当初は東照社、東照大権現などと称していたが、1645年(正保2年)に宮号の宣下があり、以降は東照宮と称するようになった。

明治維新以後に廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社とされる。

日光東照宮、久能山東照宮の二社ともう一社をもって日本三大東照宮とする東照宮は多く、仙波東照宮鳳来山東照宮滝山東照宮などが最後の一社として名乗っているようである。

史料[編集]

贈東照大権現の宣命(日光東照宮文書)[編集]

天皇我詔旨良万止、故柳營大相國源朝臣爾詔倍止、勅命乎聞食止宣、振威風於異邦之域比、施寛仁於率土之間須、行善敦而德顯留、身既没而名存勢利、崇其靈氐、東關乃奥域爾大宮柱廣敷立氐、吉日良辰乎撰定氐、東照乃大權現止上給比治賜布、此状乎平介久安介久聞食氐、靈驗新爾天皇朝廷乎寳位無動久、常磐堅磐爾夜守日守爾、護幸給比氐、天下昇平爾、海内靜謐爾、護恤賜倍度、恐美恐美毛申賜者久止申 元和三年二月廿一日

(訓読文)天皇(すめら 後水尾天皇 22歳)が詔旨(おほみこと)らまと、故柳營大相国源朝臣(征夷大将軍太政大臣徳川家康)に詔(のら)へと、勅命(おほみこと)を聞食(きこしめせ)と宣(のたま)ふ、威風を異邦(とつくに)の域(さかひ)に振(ふる)ひ、寛仁を率土の間に施す、善を行ふこと敦(あつ)くして徳顕(あらは)る、身既に没(みまか)りて名存せり、其の霊(みたま)を崇(たふと)びて東関(あづまのくに)の奥域(おくつき)に大宮柱(おほみやはしら)広敷立(ひろしきた)て、吉日良辰(よきひのよきとき)を択(えら)び定めて、東照の大権現と上(のぼ)せ給ひ治め賜ふ、此の状(さま)を平(たいら)けく安(やすら)けく聞食(きこしめ)して、霊験(みしるし)新たに天皇(すめら)が朝廷(みかど)を宝位(あまつひつぎ)動くこと無く、常磐(ときは)に堅磐(かきは)に夜守日守(よのまもりひのまもり)に、護(まもり)幸(さきは)ひ給ひて、天下昇平(あめがしたむくさか)に、海内静謐(くぬちおだひ)に、護(まもり)恤(めぐみ)賜へと、恐(かしこ)み恐みも申し賜はくと申す、元和3年(1617年)2月21日

贈正一位の宣命(日光東照宮文書)[編集]

東照大權現贈正一位勅宣、仰太政大臣御諱 幼少之從昔敵之囲陣仁間連、其囲於遁礼、若年之從時心武久、長年志而古代之名將爾越而、武威於日本爾輝志、逆乱於治、庶民安閑之思乎成す、是彼朝臣我忠功多利、依而在世之忠義尾感志、神靈登仰、東之守護神多羅旡事尾勅命有而、宣旨尾宣給布、元和三年二月廿一日

(訓読文)東照大権現に正一位(おほいひとつのくらゐ)を贈る勅(おほみこと)宣(のたま)ふ、仰(そも)太政大臣(おほいまつりことのおほいまちきみ)御諱(おんいみな 家康)、幼少(おさな)き昔より敵の陣に囲まれ、その囲(かこみ)を遁(のが)れ、若年(わかきよはひ)の時より心武(たけ)く、長年(ながきとし)にして古代の名将に越えて、武威(たけきいかしきさま)を日本(ひのもと)に輝(かがやか)し、逆乱(あらがひみだるるよ)を治め、庶民(あをひとぐさ)安閑(うらやすし)の思(おもひ)を成す、是(これ)彼の朝臣が忠功(まめなるいさをし)たり、依って在世(うつしよ)の忠義(まめなるつかへ)を感じ、神霊(みたま)と仰ぎ、東の守護神(まもりのかみ)たらむ事を勅命(おほみこと)有りて宣旨を宣給(のりたま)ふ、元和3年(1617年)2月21日

宮号宣下(宣命)(日光東照宮文書)[編集]

天皇我詔旨度、掛畏岐日光乃東照大權現乃廣前爾恐美恐美毛申賜者久止申左久、元和三年勸請世留良辰爾奉授正一位礼留以降、海内安全爾之氐、年序毛積礼利、殊朕以薄徳氐天之日嗣尾承傳給布、又武運毛延長爾之氐、子孫相続之、公武繁栄奈留者、偏是權現之廣御惠美、厚御助奈利、故是有所念行事氐、今改社氐宮止崇奉留、吉日良辰乎撰定氐、正二位行前大納言兼前右近衞大將藤原朝臣經季乎差使氐、古御位記乎改氐、令捧持氐、奉出給布、權現此状乎平久安久聞食氐、天皇朝廷乎寳祚無動久、常磐堅磐爾、夜守日守爾、護幸賜比氐、一天安穏爾萬國豐稔爾、護恤賜倍度、恐美恐美毛申賜者久止申 正保二年十一月三日

(訓読文)天皇(すめら 後光明天皇 13歳)が詔旨(おほみこと)らまと、掛けまくも畏(かしこ)き日光の東照大権現の広前(ひろまへ)に恐(かしこ)み恐みも申し賜はくと申さく、元和三年勧請(くゎんじゃう)せる良辰(よきとき)に正一位(おほいひとつのくらゐ)を授げ奉(たてまつ)れるより以降(このかた)、海内安全(くぬちおだひ)にして年序(としつき)も積もれり、殊(こと)に朕薄徳を以(も)て天之日嗣(あまつひつぎ)を承(う)け伝へ給ふ、又武運も延長にして、子孫相続(うみのこのつづき)し、公武繁栄なるは、偏(ひとへ)に是(これ)権現の広き御恵(おんめぐみ)、厚き御助(おんあなない)なり、故是(かれここ)に所念行(おもほす)の事有りて、今、社を改めて宮と崇(たふと)み奉(まつ)る、吉日良辰(よきひのよきとき)を択び定めて、正二位(おほいふたつのくらゐ)行(ぎゃう)前大納言(さきのおほいものまうすつかさ)兼(かねて)前右近衛大将(さきのみぎのちかきまもりのつかさのかみ)藤原朝臣経季(今出川経季 52歳 正二位 武家伝奏)を差し使はして、古き御位記を改めて捧げ持たしめて、出(いだ)し奉(たてまつ)り給ふ、権現此の状(さま)を平(たひらけ)く安(やすらけ)く聞食(きこしめし)て、天皇(すめら)が朝廷(みかど)を宝祚(あまつひつぎ)動き無く、常磐堅磐(ときはかきは)に夜守日守(よのまもりひのまもり)に護幸(まもりさきは)に賜ひて一天安穏(あめのしたおだひ)に万国豊稔(よろづみのりゆたか)に護(まも)り恤(めぐ)み給へと、恐(かしこ)み恐みも申し賜はくと申す、正保2年(1645年)11月3日

全国の東照宮[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 国宝指定久能山東照宮社殿特設ページ

外部リンク[編集]