屋島

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屋島
Mt. Yashima.jpg
高松シンボルタワーから
標高 南嶺292.1(北嶺282.0) m
所在地 香川県高松市屋島地区
位置 北緯34度21分20.5秒
東経134度6分16.7秒
山系 独立峰
種類 メサ(卓状地形)
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屋島(やしま)は四国香川県高松市の東北に位置する卓状の独立峰。

特徴[編集]

屋島の名称は屋根のような平らな形状に由来し、その独特の景観は高松市のシンボル・ランドマークとなっている。

多島海が眺められる山上からの展望景観は、瀬戸内海随一の美しさと賞賛され、昭和9(1934)年3月16日に国立公園として初の瀬戸内海国立公園[1]に指定された。

白村江の戦いの後、天智天皇6(667)年に屋嶋城が築かれ、山上全域が城とされている。また、唐僧の鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。さらに、東岸の入江の一帯は源平合戦の屋島古戦場である。その他、長崎鼻古墳・屋島経塚・長崎鼻砲台跡などを有し、昭和9(1934)年11月10日に屋島全域が国の史跡[2]「屋島」に指定された。

屋島の遠望は屋根状の山容で、山頂部は平坦で、四周は急崖で囲まれたメサの標型である。また、山頂近くの遍路道に露出した通称「畳石」は板状節理が美しいと、昭和9(1934)年11月10日に屋島全域が国の天然記念物[3]「屋島」に指定された。

ドライブウェイの通じた南嶺山上は香川県を代表する老舗観光地として開発されているが、北嶺山上は良好な自然公園として維持されている。南北嶺は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と南北嶺を縦走できる登山道が整備されている。 屋島は平安時代は島であったが、江戸時代の大規模な塩田開発で陸続きのようになる。東岸と西岸の塩田埋立地は住宅地・市街地に改変され、国の史跡及び天然記念物の「屋島」の指定地内に多くの人が集住している。

近年は香川県、高松市の拠点港の「サンポート」を散策される方々に、「高松のダイヤモンドヘッド」だと賞賛されている。

地形[編集]

サンポート高松の埠頭より
北方海上から長崎の鼻を望む
山麓の赤牛崎から冠ケ嶽を望む

屋島は南北5キロメートル・東西3キロメートルのであり、山頂部は平坦で、その端は讃岐岩質安山岩(古銅輝石安山岩)の急崖で囲まれたメサ[4]である。

江戸時代塩田開発で陸続きのようになり、短い多くの橋が架かり、散策だけで島を認識することは困難である。現在の法定区分では高松市を形成する四国本島の扱いであるが、相引川(幅10mほど)で分離されている。

香川県は、「屋島」を筆頭とするメサと、「飯野山(讃岐富士)」を筆頭とするビュート(おにぎり状地形)の里山が多数存在し、他府県では見ることのできない素晴らしい景観に出合える特異な地域である。

東側から望む源平古戦場跡

歴史[編集]

白村江の戦い(663年)の大敗の後、中大兄皇子(天智天皇)が、唐・新羅の侵攻に備えて、対馬~九州の北部~瀬戸内海~大和に至る要衝に様々な防御施設を築いたことが日本書紀に記述されている。667年大和に高安城・讃岐に屋嶋城・対馬に金田城が築かれた。 屋嶋城は屋島の北嶺と南嶺の境の谷を遮断した石塁だけで、山上に遺構がなく城壁は築かれなかったとされ、何人も明確に説明ができない幻の城であった。1998年市内に住む平岡岩夫による南嶺山上の石積み発見を契機に城門跡が発掘され、屋嶋城の存在が明確になった。現在は南北嶺の山上全域も城跡とされている。高松市は、城跡の調査に並行して、2015年度の公開を目指して城門の復元工事を進めている。

屋島は、源平合戦の「摂津一ノ谷の戦い」に破れた平氏安徳天皇を奉じて根拠としており、翌年の元暦2(1185)年2月に起こった「讃岐屋島の戦い」の古戦場として知られる。平家物語他、この戦いで源氏方の那須与一が、平氏方の軍船に掲げられたの的を射落としたエピソード等は著名である。

観光[編集]

獅子霊巌から望む高松市内の夜景
冠ケ嶽から讃岐平野を望む

南嶺と北嶺ゾーンに区分できる。南嶺山上には四国八十八箇所第84番札所の屋島寺・蓑山大明神(祭神は太三郎狸)・屋島寺宝物館・新屋島水族館があり、屋嶋城の城門の復元工事も進められている。南嶺の獅子霊巌(ししのれいがん)からの高松市街・五色台瀬戸大橋談古嶺(だんこれい)からの源平屋島古戦場・五剣山、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)からの多島海の眺望は素晴らしく、三大展望所とされている。また、夕夜景の展望景観の評価も高い。 南北嶺の山上は歩行者専用の探勝遊歩道が周回しており、近年は南嶺南端の冠ケ嶽からの阿讃の山並を楽しむハイカーが増えている。

四季を通して観光客・お遍路さん・登山客の絶えることのない観光地の屋島は、地元の小中学生の学習場所としても活用されている。近年は山上散策者、縦走登山者が多くなった。

名物は「いいだこおでん」。また、源氏が勝利を祝って山頂から陣笠を投げたことに倣って「かわらけ(小さい皿状の土器)」を投げて楽しむ旅人も多い。

四国狸の総大将の太三郎(たさぶろう)狸(日本三名狸)は、蓑山大明神として屋島寺の境内に祭られている。家庭円満他、子宝授け・福運をもたらす狸として全国に信者がいる。井上ひさしの小説『腹鼓記』、アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』等で活躍している。

ドライブウェイは、南嶺の東斜面を縦走する展望性の優れた道であるが、トンネル部分のヘアピンカーブの自動車の運転は注意を要する。中腹には下っているように見えるが上っているという不思議な坂があり、ミステリーゾーンと呼ばれている。

山上に行くには、屋島山上行きシャトルバス・タクシーの利用、または車で有料道路の屋島ドライブウェイを利用、あるいは徒歩の方法がある。シャトルバス・タクシーの利用は、JR屋島駅または高松琴平電気鉄道(琴電)の屋島駅が最寄駅となる。徒歩の場合は、琴電の潟元駅・屋島駅またはJR屋島駅で下車、屋島小学校の前を通り、歩行者専用の登山道(参道・遍路道・四国の道・県道)を登る。

ドライブウェイの料金所の山側には、祭神が徳川家康公と松平頼重公の屋島神社(讃岐東照宮)と、西欧人にも人気スポットの四国民家博物館(四国村)がある。

東岸の入江(屋島湾)と、入江を囲む屋島東町・牟礼町・庵治町・屋島の南に隣接した高松町一帯が、源平合戦の屋島古戦場である。史跡を巡り、歴史と数々のエピソードを有する平家物語が織り成す世界を楽しむ旅人も多い。

その他[編集]

  • 談古嶺からは映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で四国本島最北端の庵治町は眼下に、映画「二十四の瞳八日目の蝉」のロケ地の小豆島も一望できる。
  • 屋島山上は南嶺の駐車場を除いて〔歩行者天国〕、自転車、自動車の走行は許可が必要。
  • 屋島の国有林は「レクリエーションの森の風景林」[5]として良好に維持されている。
  • 屋島小学校の南側の新池と県道を挟んだ向かいの長池をあわせて、通称「二つ池(ふたついけ)」と呼び、地元民や登山者のランドマークとして親しまれている。
  • 山麓の屋島西町に「やしま第一健康ランド」がある。近年は登山客にも利用されている。
  • 高松市のシンボル「屋島」は、市内に立地する多くの小・中学校や高校の校歌に採用されている。
  • 日本人にとっては馴染の深い地名であり、かつては四国の代表的な観光地のひとつであったが、修学旅行の子供たちが訪れなくなり、瀬戸大橋開通時の賑わいを最後に観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖され、2000年頃に廃墟の様相を呈するに至った。地元民から撤去を求める声が上がるが、私有物の公費による撤去は賛否が半ばし、期待通りには進捗しなかった。しかし、2010年頃から撤去され始めた。大西秀人高松市長は2011年に屋島の活性化を宣言、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画(2013年3月)を策定した。現在は具体的な種々の活性化策が展開されている。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 高松市教育委員会編集・発行「高松市埋蔵文化財調査報告書 第62集 史跡天然記念物屋島」
  • 屋島風土記編纂委員会編集 「屋島風土記」屋島文化協会発行
  • 長谷川修一・鶴田聖子著 「讃岐ジオサイト探訪」香川大学生涯学習教育研究センター発行
  • 自然公園財団編集・発行 「自然公園への招待」

脚注[編集]

  1. ^ 瀬戸内海国立公園 - 環境省
  2. ^ 史跡 - 文化庁
  3. ^ 天然記念物 - 文化庁
  4. ^ メサ- 国土地理院
  5. ^ 四国の「レクリエーションの森」 - 林野庁

外部リンク[編集]

関連項目[編集]