建勲神社

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建勲神社
船岡山城4.jpg
拝殿
所在地 京都府京都市北区紫野北舟岡町49
位置 北緯35度2分19秒
東経135度44分35秒
座標: 北緯35度2分19秒 東経135度44分35秒
主祭神 織田信長公
社格 別格官幣社・別表神社
創建 明治3年(1870年)
例祭 7月1日
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建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、京都市北区船岡山の中腹にある神社である。織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀する。旧社格は別格官幣社。正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、「建勲(けんくん)さん」と通称される。旧称健織田社(たけしおりたのやしろ)、建勲社(たけいさおしゃ)。

歴史[編集]

明治2年11月8日1869年12月10日)、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として[1]戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるための健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が明治天皇により決定された。翌明治3年10月17日1870年11月10日)、信長の子孫で天童藩知事織田信敏の邸内(東京)と織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営された(天童市に造営された建勲社については建勲神社 (天童市)を参照のこと)。明治8年(1875年4月24日別格官幣社に列格した。

現在地の船岡山は平安京四神相応玄武に位置し、豊臣秀吉によって信長の廟所と定められた地である。その船岡山に神社を移すことになり、明治13年(1880年)9月、社殿が竣工して東京より遷座した。なお、この時は現在表参道を少し登ったところにある「大平和敬神」の石碑が建っている場所に本殿があった。明治14年(1881年)に織田信忠が合祀された。明治43年(1910年)に社殿が現在の山頂部分に移建された。

祭神・織田信長の業績にちなみ、国家安泰・難局突破・大願成就の神社とされる。高台にある境内からは特に大文字山比叡山方面の眺望が良い。

文化財[編集]

建勲神社の案内板
祝詞舎
重要文化財
登録有形文化財
  • 本殿
  • 拝殿
  • 祝詞舎
  • 渡廊
  • 透塀
  • 神饌所
  • 祭器庫
  • 手水舎
  • 貴賓館
  • 社務所
  • 大鳥居

祭事[編集]

永禄11年(1568年)の信長上洛の日に因み、10月19日に船岡大祭が行われる。

勧請社[編集]

各地に勧請社がある。

岐阜県岐阜市若宮町の橿森神社では、信長が美園で開いた楽市楽座市神が橿森神社の御神木に祀られたという伝えがあり、明治になって境内に建勲神社を勧請した。

アクセス[編集]

  • 表参道へは京都市バス「建勲(けんくん)神社前」(112204205206北8M1系統)バス停から徒歩。
    • 表参道は急な石段が続くため、それを避けるなら京都市バス船岡山バス停から徒歩で北参道。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず〈週刊朝日  2014年11月21日号〉dot. 11月16日