秩父神社
| 秩父神社 | |
|---|---|
| 所在地 | 埼玉県秩父市番場町1-1 |
| 位置 | 北緯35度59分51秒 東経139度5分3秒 |
| 主祭神 | 八意思兼命 知知夫彦命 天之御中主神 |
| 社格等 | 式内社(小)・国幣小社・別表神社・知知夫国新一の宮・武蔵国四の宮 |
| 創建 | 崇神天皇10年(紀元前87年) |
| 本殿の様式 | 権現造 |
| 例祭 | 「秩父夜祭」 12月2日(宵宮)・3日(大祭) |
秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、埼玉県秩父市にある神社で、秩父地方の総社である。秩父三社(秩父神社・三峯神社・宝登山神社)の一つ。
毎年12月に行われる例祭「秩父夜祭」は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大曳山祭及び日本三大美祭の一つに数えられ、多くの観光客が訪れる。
目次 |
[編集] 概要
荒川の河岸段丘上に広がる秩父市街地の中心部に鎮座している。
創建は崇神天皇の時代に、初代の知知夫国造である知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が、祖神の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったのが始まりとされている。中世には妙見信仰と習合し、その後「秩父大宮妙見宮」として栄えた。江戸時代に徳川家康の命により現在の社殿が建てられ、社殿には左甚五郎作と伝えられる「子宝・子育ての虎」や「つなぎの龍」など、さまざまな彫刻が施されている。明治の神仏分離により「秩父神社」の社名に復した。延喜式神名帳式内社で、旧社格は国幣小社。現在は神社本庁の別表神社である。
武蔵国四の宮で、武州六大明神[1]に数えられる。武蔵総社六所宮である大國魂神社(東京都府中市)に四の宮として祀られている。大國魂神社の例大祭(くらやみ祭)では、四の宮の神輿も巡行される。
学業成就の神社として受験生が訪れる神社としても知られる。現在の宮司は薗田稔。
[編集] 祭神
現在は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)、天之御中主神を主祭神とし、昭和天皇の弟である秩父宮雍仁親王を合祀している。
元々の祭神は八意思兼命と知知夫彦命ということになるが、これには諸説あり、八意思兼命・知知夫彦命のほか、思兼命の御子の天下春命、大己貴命、単に地方名を冠して「秩父大神」とする説などがある。
天之御中主神は明治の神仏分離のときに改められたもので、それ以前の神仏習合時代には妙見菩薩であった。鎌倉時代に近くに祀られていたものを合祀したものであるが、こちらの方が有名となり、江戸時代までは「秩父大宮妙見宮」と呼ばれていた。
[編集] 歴史
当社の社殿と参道の南側延長線上に武甲山(時代によって武光山、秩父嶽、妙見山などとよばれる)があり、元々は武甲山を神奈備として遥拝する聖地であったと考えられている。
『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、崇神天皇10年(紀元前87年)、知知夫国の国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神である八意思兼命を祀ったことに始まるとされる。允恭天皇の時代に知知夫彦命の九世の子孫の知知夫狭手男が知知夫彦を合わせて祀ったという。
その後、律令制度の崩壊により、秩父神社を支えてきた豪族の力が弱まるにつれ、当社も次第に衰微していったものと思われる。これに代わって登場するのが妙見社である。
社記および「風土記稿」によれば、天慶年間、平将門と常陸大掾・鎮守府将軍平国香が戦った上野国染谷川の合戦で、国香に加勢した平良文は、同国群馬郡花園村に鎮まる妙見菩薩の加護を得て、将門の軍勢を打ち破ることができた。以来、良文は妙見菩薩を厚く信仰し、後年、秩父に居を構えた際、花園村から妙見社を勧請した。これが、秩父の妙見社の創成である。
その後良文は下総国に居を移した。下総での子孫が建立した千葉神社の祭神も妙見菩薩である。秩父に土着した子孫は秩父平氏と呼ばれる武士団を形成した。
鎌倉時代に社殿が落雷により焼失し、再建する際に神社北東に祭られていた妙見菩薩を合祀し、秩父三十四箇所の旧拾伍番・母巣山蔵福寺(現在は廃寺)が別当寺的な存在で当社を管理した。以降、神仏分離まで「妙見宮」として栄え、延喜式に記載の本来の「秩父神社」の名称より「秩父大宮妙見宮」の名称の方が有名となった。
江戸時代の絵図を見ると、境内の中央に妙見社があり、その社殿を取り囲むように天照大神宮・豊受大神宮・神宮司社(知知夫彦と記す絵図もある)・日御碕神社の4祠が配されている。神宮司社は式内社である秩父神社の衰微した姿であるといわれており、江戸中期の儒者である斉藤鶴磯は「武蔵野話」の中で、この神宮司社について「この神祇は地主にして妙見宮は地借なるべし。(中略)妙見宮は大祠にして秩父神祠は小祠なり。諺にいへる借家を貸しておもやをとらるるのたぐひにて、いづれ寺院神祇には、えてある事なり」と評している。
明治の神仏分離により、妙見菩薩と習合していた天之御中主神に祭神を改め、社名も本来の「秩父神社」に戻した。鳥居の扁額では「知知夫神社」と表記されている。頒布されている護符などに現在も妙見信仰が遺されている。
1884年(明治17年)の秩父事件では、困民党軍が境内に集結した。
[編集] 祭事
- 御田植祭(4月4日)
- 秩父川瀬祭(7月19・20日)- 境内社の日御崎神社の祭。江戸時代に京都の八坂神社の祇園祭が秩父に入ってきたものである。幕末・明治から付祭として屋台・笠鉾も曳かれるようになり、現在では8基の屋台・笠鉾を曳く。
- 7月19日(宵宮)
- 天王柱立神事
- お水取り神事
- 7月20日(川瀬神事)
- 7月19日(宵宮)
- 番場町諏訪神社祭礼(9月27日)
- 当社の例祭で、12月1日~6日に行われる。6日間行われることから「六日市」と呼ばれ、絹の取引で栄えた。また旧暦11月3日に行われたので霜月大祭とも呼ばれていた。武甲山(旧:武甲山蔵王権現社、現:武甲山御嶽神社)の男神(神話では蛇もしくは竜神、神仏習合後は蔵王権現)と秩父神社・母巣の森の女神(神仏習合後は妙見菩薩)が1年に1度の逢瀬を楽しむ祭りといわれている。祭自体は秩父神社の創建から存在した可能性が高いといわれている。寛文年間ごろから付祭として屋台・笠鉾が曳かれるようになった。
[編集] 施設
[編集] 境内外社
- 天神地祇社 - 全国の一宮やそれに準ずる神社の祭神が祀られる。その縁で、秩父神社は全国の一宮が加盟する「全国一の宮会」とつながりがあり、2006年には秩父神社が「知知夫国新一の宮」に認定された。
- 東照宮
- 天満天神宮
- 枉津日社
- 柞稲荷神社
- 諏訪神社
- 日御碕宮
[編集] 鎮守の森
柞乃杜(ははそのもり)を神社境内に持つ。母巣の森ともよばれる。
[編集] その他
- 札所3番 - 岩本山常泉寺(観音堂は神仏分離時に秩父神社の薬師堂を移設したもの)
- 札所15番 - 母巣山少林寺(廃絶した蔵福寺と合寺し現在地へ。山号を遺し札所として存続)
- 小鹿野町十輪寺(神仏分離時に蔵福寺の観音堂にあった十一面観音を譲り受ける)
[編集] 文化財
- 秩父祭の屋台・笠鉾(国の重要有形民俗文化財、旧部品は市指定有形民俗文化財)
- 中近笠鉾
- 下郷笠鉾
- 宮地屋台
- 上町屋台
- 中町屋台
- 本町屋台
- 秩父神社社殿付天正20年の棟札1枚・神輿(埼玉県最古・室町時代)1基(県指定有形文化財・建造物)
- 妙見塚1基付幟旗2枚(市指定有形民俗文化財) - 妙見塚は秩父神社と合祀される前の妙見宮があったところにある塚である。
- 秩父神社刀剣(市指定有形文化財・工芸品)
- 川瀬祭の屋台・笠鉾(市指定有形民俗文化財)
- 番場屋台
- 宮側屋台
- 東町屋台
- 熊木笠鉾
- 道生笠鉾
- 上町笠鉾
- 中町笠鉾
- 本町屋台(夏)
[編集] 交通
[編集] 付近の名所
- 秩父三十四箇所(札所13番~16番)
- ちちぶ銘仙館(国の登録有形文化財)秩父神社より徒歩15分
- 秩父ふるさと館(国の登録有形文化財)秩父神社より徒歩2分
- 秩父まつり会館 秩父神社より徒歩1分
- 羊山公園(芝桜の丘で知られる)秩父神社より徒歩20分
[編集] 脚注
- ^ 小野神社(東京都多摩市一之宮)、二宮神社(東京都あきる野市二宮)、氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町1丁目)、秩父神社、金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮)、杉山神社(横浜市緑区西八朔町)の六社を指すとされる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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