西寒多神社
| 西寒多神社 | |
|---|---|
拝殿 |
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| 所在地 | 大分県大分市寒田1644 |
| 位置 | 北緯33度10分22.00秒 東経131度35分54.20秒 |
| 主祭神 | 西寒多大神 |
| 社格等 | 式内社(大) 豊後国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
| 創建 | (伝)応神天皇9年 |
| 例祭 | 4月15日 |
| 主な神事 | 御神衣祭 豊後神楽 |
西寒多神社(ささむたじんじゃ)は、大分県大分市にある神社である。式内社(大社)、豊後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
かつては西寒田神社とも表記した。
目次 |
[編集] 祭神
- 主祭神
- 西寒多大神 - 天照皇大御神を指すとされる
- 配祀神
[編集] 歴史
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現 本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てた。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んでいた。応神天皇9年4月、その地に武内宿禰が祠を建てたのが当社の始まりと伝える。
国史の初見は、『日本三代実録』貞観11年(869年)3月22日条の西寒多神に従五位下を授けるという記述である。『延喜式神名帳』では「豊後国大分郡 西寒多神社」として記載され豊後国では唯一の大社に列したほか、豊後国一宮とされた。
平安時代後期以降は衰退したが、中世以降、領主の大友氏の崇敬を受けた。応永15年(1408年)3月、大友親世が現在地に遷座した。
明治4年(1871年)5月14日に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
[編集] 神階
[編集] 主な祭事
例祭は4月15日。特殊神事の御神衣祭(かんみそまつり)は、33年目ごとの例祭の日に祭神の神衣を新調して納める式年大祭である。
また、4月中ごろから5月初旬にかけては万年橋近くのフジの花が見ごろとなり、西寒多ふじまつりが行われる。
[編集] 文化財
- 万年橋 - 大分県指定有形文化財。
- 西寒多神社の森 - 大分県指定特別保護樹林、大分市指定名木(樹林の部)[1]。
- ヤマフジ - 大分市指定天然記念物[2]、大分市指定名木(樹木の部)。樹齢450年以上、樹高3.5m、幹周2.8m[3][4]。
[編集] 万年橋
万年橋(まんねんばし)は、西寒多神社の入口を流れる大分川水系寒田川(通称 みそぎ川)に架かる石造単アーチ橋である。昭和55年(1980年)4月8日に大分県の有形文化財に指定されている。
主構造がアーチであるだけでなく、路面も緩やかな弧を描く太鼓橋で、路面とアーチとの間の石組が狭いのが特徴である。江戸時代末の文久2年(1862年)に当時延岡藩領であった寒田村の庄屋らが発起し、岡藩領であった大野郡柴北村(現 豊後大野市犬飼町柴北)の石工2代目後藤郷兵衛ら20名によって同年に竣工した。
[編集] 諸元
- 所在地:大分県大分市寒田
- 河川:大分川水系寒田川
- 形式:石造単アーチ橋
- 橋長:22.0m
- 橋幅:3.7m
- 径間:11m
- 拱矢(アーチ高):3.9m
- 竣工:文久2年(1862年)
- 石工:後藤郷兵衛(2代目)
- 文化財指定等:大分県指定有形文化財
[編集] アクセス
[編集] 脚注
- ^ 特別保護樹林一覧 大分県
- ^ 国・県・市指定文化財一覧 大分市
- ^ 大分市指定名木一覧表(樹木の部) 大分市
- ^ 大分市指定名木12、13、14号 大分市こどもページ
- ^ 西寒多(ササムタ)神社 花暦 ~flower calendar~
[編集] 参考文献
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、31頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、157頁
[編集] 関連項目
- 柞原八幡宮 - 豊後国一宮を称するもう1つの神社
[編集] 外部リンク
- 西寒多神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)
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