都農神社
| 都農神社 | |
|---|---|
拝殿 |
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| 所在地 | 宮崎県児湯郡都農町大字川北13294 |
| 位置 | 北緯32度15分47秒 東経131度33分31秒 |
| 主祭神 | 大己貴命 |
| 社格等 | 式内社・一宮・旧国幣小社・別表神社 |
| 創建 | 不明 |
| 本殿の様式 | 一間社流造銅板葺 |
| 例祭 | 12月5日 |
| 主な神事 | 夏祭( 8月1日~2日) 冬祭( 12月4日~5日) |
都農神社(つの じんじゃ)は宮崎県児湯郡都農町にある神社である。式内小社で、日向国一宮、近代社格制度では国幣小社に列し、現在は神社本庁の別表神社に指定されている。
目次 |
[編集] 社名
明治以前は「宮崎社(宮)」とも称されていた。地元(川北・川南)では「一の宮神社」の名で親しまれている。
[編集] 祭神
古くからの都農町一帯の守り神であることから、土地の神として大己貴命を充てたものであるとされている。なお、『塵袋』には「吐乃(つの)大明神」とあり[1]、『塵添壒囊抄』はそれに追書して疱瘡の治療に霊験あらたかであると載せている。また田畑の虫害を除くとの信仰もあった。
[編集] 参考
都農町を中心に三輪姓が多く分布することと、奥宮?にタカオカミを祀る神社が存在することなどから、奈良県の大神神社あるいは大和神社との関連も推察される。三輪姓の人々の口伝には、大神神社周辺が発祥の地であるというものもある。
[編集] 由緒
都農町一帯に縄文時代以来の遺跡が分布し、また円墳や前方後円墳など20基以上の古墳もあり、当社鎮座地付近からも土器、石器類が出土しており、早くから人が居住していたことが知られ、守護神としての当社の歴史も太古の昔に遡るものである。社伝によれば、神武天皇が東征に向かう際に祭祀を行った場所であり、また神功皇后が三韓征伐に際して舟の守護神として吐乃大明神を勧請したとの『塵添壒囊抄』の記事[2]を引用して、皇后が凱旋後に社殿を建立したのが初めであると伝えている。承和4年(837年)、官社に列せられ、同10年(843年)従五位下が授けられ(以上『続日本後紀』)、天安2年(858年)従四位上へ昇叙され(『日本三代実録』)、延喜の制で小社に列した。当時は壮大な社殿と広大な境内を有する日向国第1の大社であったといい、その地位から都萬神社との政治的・宗教的対立を生じたとされるが、後述するように古文書類を焼失しているために詳細は不明である。しかし「日向国一宮」として庶民はもちろん在地領主からも崇められたことは確かで、天文18年(1549年)には伊東義祐によって社殿が造替されている。その後天正6年(1578年)、大友宗麟による日向侵入の兵火に罹って社殿を始め、社宝、古文書類を悉く焼失してからは次第に衰退し、延宝3年(1675年)には「其後取立る人もなしとて、僅の小社となり御名さへ知らず、只明神とのみいへり」[3]といった状態であったが、元禄5年(1692年)に高鍋藩主秋月種政によって再興されるとともに、同14年(1701年)に社領20石が寄進されて以来、江戸時代を通じて歴代の高鍋藩主から崇敬され、享保12年(1727年)の同種弘による鳥居奉献、同種美による元文元年(1736年)の社殿造営と延享2年(1745年)の鳥居建立、安政6年(1859年)の同種殷による社殿造営が行われたほか、藩主による参拝や代参、奉幣もしばしば行われた。
明治4年(1871年)国弊小社に列せられ、昭和9年(1934年)に「神武天皇御東遷2600年記念事業」として社域の拡大整備を行った。戦後は神社本庁に属すとともに、昭和23年(1948年)にその別表神社となり、平成19年(2007年)に本殿を再建した。
[編集] 神事
- 夏祭( 8月1日~2日):御神幸祭とも呼ばれ、神輿が都農町内を巡幸する。三韓征伐の時に神功皇后が当社祭神を守護神として舟に迎えたのに因むと伝え、一時中絶していた時期もあったが、天保3年(1832年)に再興された
- 冬祭 (12月4日~5日):夜を徹して神楽が奏され、5日に例大祭を斎行する。また、当日は乳の病に悩む婦人が杓子を奉納すると治癒するとされている
[編集] 摂末社
<摂社>
<末社>
<奥宮>
- 瀧神社(高龗命):当社の北東約1kmに鎮座。社殿背後の不動滝(ふどうのたき)を祀る
[編集] 社殿
- 本殿:一間社流造銅板葺で、千木・鰹木を置く。平成19年に再建されたもので、ほぼ旧本殿の造形を踏襲したものである。旧本殿は安政 6年に河野喜之助の寄進により再建されたもので、現在は移築されて末社熊野神社の本殿となっている
- 拝殿:本殿と同じく平成19年の再建。正面5間側面3間平入の入母屋造で、背面中央に奥行2間の切妻造妻入の幣殿を付ける。屋根は銅板葺で、正面に千鳥破風を架し、その下に縋破風で中央1間に軒唐破風を構えた3間の向拝を付加している。なお、現在の神楽殿が移築された旧拝殿である
[編集] 文化財
[編集] 交通
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 式内社研究會編 『式内社調査報告』第24巻 西海道 皇學館大學出版部、1978年
- 宮地直一・佐伯有義監修 『神道大辞典 縮刷版』 臨川書店、1969年
- 谷川健一編 『日本の神々-神社と聖地』第1巻 九州 白水社、1984年
[編集] 外部リンク
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