佐久間盛次

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佐久間盛次
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄11年、1568年11月
別名 通称:久六、久六郎、久右衛門
主君 織田信行信長
父母 父:佐久間久六盛重
柴田勝家[1]
盛政安政柴田勝政勝之
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佐久間 盛次(さくま もりつぐ)は、戦国時代武将織田氏の家臣。佐久間信盛は従兄にあたる。

佐久間久六盛重(同じ織田家臣の佐久間大学允盛重とは同族で同名だが別人)の子。

はじめ織田信行の配下であったが、のちに信行の兄・信長に仕える。犬山城主であったとの記録がある。弘治3年(1557年)の名塚城攻めに信盛と共に信長方として参加した。その後も観音寺城の戦い勝竜寺城攻め(いずれも永禄11年(1568年))などに参加した記録があるが、佐久間家正統略系譜によると同年11月の箕作城攻めで討ち死にしたという。

小説

 吉原実「湖水の槍」(『北國文華』87号収録 短編)

脚注[編集]

  1. ^ 『寛永諸家系図伝』には勝家の姉婿とある。