伊雑宮

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伊雑宮
Izawa-no-miya 01.JPG
所在地 三重県志摩市磯部町上之郷
位置 北緯34度22分49秒
東経136度48分32秒
主祭神 天照大御神御魂
社格 式内社(大)・皇大神宮別宮
創建 804年以前
本殿の様式 神明造
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伊雑宮(いざわのみや)は、三重県志摩市磯部町上之郷にある神社である。「いぞうぐう」と呼ばれることも多く、ほかに「磯部の宮」、「磯部の大神宮さん」と呼ばれることもある。志摩国一宮でもある(後述)。 実際は「伊雜宮」が正式であるが「」を簡略化して「」と用いられることが多い(本項でも後者を用いることとする)

祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)。

三重県度会郡大紀町にある瀧原宮と伊雑宮は、内宮から遠く離れた場所で天照大神の魂を祀ることから、「天照大神の遙宮」(とおのみや)と呼ばれる。

目次

[編集] 概要

鳥居
手水舍

伊雑宮は内宮(皇大神宮)別宮で、内宮背後の島路山を越えた志摩市磯部町(旧志摩郡磯部町)上之郷にある。伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国外では志摩国の伊雑宮1社のみであり、また神田を持つ唯一の別宮でもある。

10社ある内宮別宮の中で、伊雑宮は荒祭宮月讀宮、瀧原宮に次ぐ順位とされる。

伊雑宮を志摩国一宮とする説が一般的である。しかし、鳥羽市を中心に鳥羽市安楽島町の伊射波神社(いざわじんじゃ)を志摩国一宮とする異論がある。

現在では、式年遷宮のためのお木曳行事伊勢神宮に準じ20年に一度行なわれる。正宮では1年次と2年次の2回であるのに対し、瀧原宮と伊雑宮の別宮2社では1年次のみである。第62回神宮式年遷宮の伊雑宮御木曳は2006年(平成18年)4月17日(月曜日)に催された。第61回神宮式年遷宮までは旧磯部町内のみであったが、平成の大合併での志摩市誕生により、この第62回神宮式年遷宮では志摩市中心部の旧阿児町内でも初めて曳かれることとなった。

他の境外別宮と同様、神職が参拝時間内に常駐する宿衛屋(しゅくえいや)があり、お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎを行なっている。

[編集] 歴史

鎌倉時代に著されたと思われる倭姫命世記によると、伊勢神宮の内宮を建立した倭姫命が伊勢神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探すために志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎え、倭姫命が御贄地にふさわしい土地であるとして伊雑宮を建立したとされる。神宮ではこの説を採るが、一般には倭姫命世記自体が史書として捉えられていないこと、また該当箇所は伊雑宮神官が後世に加筆した記述とされることから起源は明らかでないとするのが妥当である。近世以前の志摩国では、水田による稲作に適した土地は伊雑宮周辺のみであったことが伊雑宮成立に関係する説、志摩国土着の海洋信仰によるとする説など定説はない。

804年延暦23年)の皇太神宮儀式帳及び927年延長5年)の延喜太神宮式に、天照大神の遙宮(とおのみや)と記述されており、それ以前から存在したと考えられている。

平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)では、伊勢平氏の地盤であった伊勢国への源氏勢の侵攻が予想され、伊勢志摩両国を平家が警備していた。養和元年(1181年)1月、伊雑宮は源氏の味方となった紀伊熊野三山の勢力の攻撃を受け、本殿を破壊され神宝を奪われてしまう。勢い付いた熊野三山の勢力は山を越えて伊勢国に攻め込むが、反撃を受け退却した。1159年平治の乱では平家に味方した熊野三山が治承・寿永の乱では源氏に味方した理由として、当時の熊野三山と対立していた伊勢神宮を平家が優先したことへの反発と考えられているが、この事件により、権力者の庇護を得て伊雑宮を守るため、神職が歴史の捏造をやむなく行なったとする説がある。

江戸時代には伊雑宮の神職が中心となり伊雑宮を本来の内宮だと主張する偽書を作成し、先代旧事本紀大成経事件の舞台となる。

[編集] 祭神

804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』では天照大神御魂とされる。中世から近世にかけてはいくつかの説があり、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀ると考えられてきた。明治以降、伊雑宮の祭神は天照大神御魂とされる(神宮要綱)。

[編集] 祭事

御田植祭

皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、祈年、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)がある。伊雑宮固有の特殊祭典として、御田植式(おたうえしき)が料田(神田)で行われる。

  • 1月
    • 歳旦祭(さいたんさい)(1月1日) 新年を祝い、皇位の無窮を祈る祭り。
    • 元始祭(げんしさい)(1月3日) 年始にあたり、天津日嗣(あまつひつぎ)の本始を祝う祭り。
  • 2月
    • 建国記念祭(けんこくきねんさい)(2月11日) 神武天皇の建国の創祀を祝う祭り。昭和23年に廃止された紀元節祭(きげんせつさい)を改名し、1967年(昭和42年)に復興した。
    • 祈年祭(きねんさい)(2月20日) 年の初めに穀物の豊穣と国家の安泰を祈る祭り。
  • 5月
    • 風日祈祭(かざひのみさい)(5月14日) 外宮内宮のほか、別宮末社摂社などに幣帛を供進し、風雨の災いなく五穀豊穣であるように祈る神事。
  • 6月
    • 月次祭(つきなみさい)(6月24-25日) 6月と12月に国家の平安と天皇の福寿を祈る祭り。伊勢神宮では神嘗祭と合わせて三節祭または三時祭と呼ぶ。
    • 御田植式(おたうえしき)(6月24日) 隣接する料田での田植
  • 8月
    • 風日祈祭(かざひのみさい)(8月4日)
  • 10月
  • 11月
    • 新嘗祭(にいなめさい)(11月26日) 天皇がその年に収穫された穀物を神に供えるとともに自らも食し、収穫を感謝する祭り。
  • 12月
    • 月次祭(つきなみさい)(12月24-25日)
    • 天長祭(てんちょうさい)(12月23日) 今上天皇の誕生日を祝う祭り。

[編集] 御田植式

御田植祭

伊雑宮に奉納する米のための田植を毎年6月24日に行なう御田植式は、香取神宮住吉大社とあわせて日本三大御田植祭とされる。御田植式で行なわれる伝承芸能は、磯部の御神田(いそべのおみた)として1971年(昭和46年)に三重県の無形文化財に、1990年平成2年)には国の重要無形民俗文化財に指定された。

倭姫命世記の記述から平安時代後期には行なわれていたとする説があるが、定かではない。信頼性の高い記録では鎌倉時代1280年弘安3年)に記された文書が神宮文庫に残されている。

1871年(明治4年)の廃藩置県により、伊雑宮の料田が国有化され、翌1872年(明治5年)からは御田植式を行なうことができなくなり廃止されたが、磯部の住民の希望により1882年(明治15年)に虫除祈念の名目で再開された。

大正の中ごろに料田を縦断する道路整備計画が決定したため、近隣の住民から新しい料田が寄贈された。

[編集] 社殿

本殿は内宮に準じ、内削ぎの千木と、偶数の6本の鰹木を持つ、萱葺神明造である。本殿周囲には瑞垣と玉垣が配され、垣にはそれぞれの門がある。

[編集] 境外所管社

伊雑宮境外所管社の佐美長神社

志摩市役所磯部支所前の志摩市磯部町川辺(かわなべ、北緯34度22分31秒東経136度48分13秒)に、佐美長神社(さみながじんじゃ)と佐美長御前神社(さみながみまえじんじゃ)4社のがある。

佐美神社が記載される史料が散見されており、佐美長神社の誤記とされる。『倭姫命世記』に、稲穂をくわえた鶴を大歳神として祀ったと記載される。ただし、『倭姫命世記』は史書としての信頼性に問題があり由緒不明とするのが適切と考えられる。 なお、この「鶴の穂落とし」伝説に基づき、穂落社穂落宮(ほおとしみや)と呼称されることも多い。[1] 社殿は36段ある石段を上った所にある。手水舎は石段の下にあるが、通常は蓋がされている。


周囲に駐車できる場所はない。

[編集] 祭神

  • 佐美長神社
    • 祭神:大歳神(おおとしのかみ)、五穀豊穣の神とされる。
  • 佐美長御前神社
    • 祭神:佐美長御前神(さみながみまえのかみ)

[編集] 佐美長神社の歴史

  • 804年延暦23年) 『皇太神宮儀式帳』に初めて名前が出る。
  • 1228年安貞2年) 『安貞二年内宮遷宮記』に大歳神社と記載される。
  • 江戸時代初期 天照大神の魂を祀る荒祭宮(あらまつりのみや)であると事実を捏造。
  • 1759年宝暦9年) 『伊勢両宮別宮摂末社』に内宮末社と記載される。
  • 1871年(明治4年) 旧称の佐美長神社に改称。

[編集] 佐美長神社の社殿

内宮に準じ内削ぎの千木と偶数の4本の鰹木を持つ板葺神明造である。門のある瑞垣が配される。

[編集] 崇敬団体

志摩市内の崇敬者を中心に、伊雑宮奉賛会が結成されている。伊雑宮は漁業に従事する信仰者が多い。御田植式は、伊雑宮周辺の7地区の住民が交代で奉仕する。

[編集] 御幸道

  • 伊雑宮と佐美長神社を結ぶ道を御幸道(ごこうみち)と言い、神が両神社を行き来する道であるとされる。[2]
  • 『磯部郷土史』によれば、倭姫命天照大神を奉戴して志摩の地を遍歴した際に通った道であるという。
  • 現在の国道167号三重県道61号磯部大王線の一部に相当する。


[編集] 伊雑宮に関する伝説

龍宮伝説
伊雑宮の周囲に、浦島太郎海女龍宮へ行ったという伝説がいくつかある。派生したと思われる伝説の細部は異なるが、基本的に伊雑宮の宝物の一つに玉手箱があり、海女が持ち帰ったものとされ、その中身は蚊帳で、不幸が続くため伊雑宮に納めたとする部分は一致する。伊雑宮へ蚊帳を納めたのちも不幸が続いたとする話が多い。
七本鮫と龍宮伝説
御田植え祭の日に、七匹の的矢湾から川を遡って伊雑宮の大御田橋まで上がってくると云われている。この七本鮫は伊雑宮の使いと云われ、また俗に龍宮の使いと伝える説もある[3]。七本のうち一本は殺されてしまい、今は六本とされる。大御田橋からはに化身して伊雑宮に参詣するとも云われる。またこの日は志摩一円の海女たちは海に入る事を忌み、伊雑宮に参詣する。
その他
志摩市阿児町の安乗崎沖の岩礁(大グラ)近くの海底に鳥居に似た岩があり、伊雑宮の鳥居であったと云われる。

[編集] 伊雑宮が登場する作品

  • 漫画
    • 星野之宣ヤマタイカ』 - ヤマタイカは火山を崇める縄文人の末裔と、火山を嫌う弥生人の末裔が1980年代後半に戦うとするマンガである。この作品では伊雑宮を瀧原宮と合わせて伊豆大島の三原山への結界であったとしている。ヒロインの苗字の読みが「イザワ」で、「伊雑」と一致する。

[編集] 交通

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 志摩市立磯部小学校の校歌の歌い出しも「穂落宮」である。また、佐美長神社周辺には穂落前(ほほちまえ・ほおちまえ)という小字が残る。
  2. ^ 中野順蔵『神路川 磯部小史』(三光社装幀印刷、昭和56年4月刊行)18ページ
  3. ^ 萩原龍夫他 『綜合日本民俗語彙』第2巻、民俗学研究所編、柳田國男監修、平凡社、1955年、697頁。

[編集] 参考資料

  • 『伊雑宮参拝のしおり』(神宮司庁)
  • 『磯部町史』(編集:磯部町史編纂委員会、発行:磯部町、平成9年9月1日)
  • 『磯部の御神田』(編集:伊藤 保、発行:磯部町教育委員会、昭和51年3月31日)
  • 『伊勢志摩を歩く』(編集:皇學館大学、発行:皇學館大学出版部、平成元年3月31日)
  • 『日本の神々-神社と聖地 第6巻 伊勢 志摩 伊賀 紀伊』(編集:谷川 健一、発行所:白水社、2000年7月5日)
  • 『磯部郷土史』(著者:山下佐美太、発行:磯部尋常高等小学校、昭和11年5月30日)…旧制磯部尋常高等小学校で副読本とされた図書。
  • 『アマテラスの誕生 』(著者:筑紫申真、発行所:講談社、講談社学術文庫、2002年5月)ISBN 4061595458 ISBN 978-4061595453

[編集] 外部リンク

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