ええじゃないか
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ええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から翌明治元年(1868年)4月にかけて、東海道、畿内を中心に、江戸から四国に広がった社会現象である。天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ、という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。
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[編集] 目的
その目的は定かでない。囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。これに対し、討幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという説もある[1]。江戸のバブル期後の抑圧された世相の打ち壊しを避けるために幕府が仕掛けた「ガス抜き」であったという説もある。本来の意図が何であったにせよ、卑猥な歌詞などもあったところを見ると、多くの者はただブームに乗って楽しく騒いでいただけのようでもある[2]。
[編集] 歌詞
岩倉具視の岩倉公実記によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。
歌詞は各地で作られ、例えば、今年は世直りええじゃないか(淡路)、日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい(阿波)、御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか(淡路)という性の解放、長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか(西宮)、長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか(備後)の政治情勢を語るもの、などがあった。
[編集] お蔭参りとの関連性
「ええじゃないか」は後に付けられた名前であり、同時代には、「おかげ」「おかげ騒動」「おかげ祭」「お下り」「御札降り」「大踊」などと呼ばれていた。呼称は地域により多様であった。
ここで「おかげ」とは「お蔭参り」のことを指す。お蔭参りとは、庶民が奉公先から抜け出し、伊勢参りに出かける人が急増する現象のことで、江戸時代には元和3年(1617年)、慶安年間(1648年~1652年)、宝永2年(1705年)、明和8年(1771年)、文政13年・天保元年(1830年)というように約60年周期で自然発生的に繰り返された。いずれも期間は3箇月から5箇月で終わっている。明和のお陰参りの記録では300~400万人が伊勢に殺到した。十代将軍徳川家治の時代であり、享保年間の日本の人口統計では当時の人口は約2200万人であった。文政13年のお蔭参りは3箇月で約500万人が伊勢に押し掛けたと記されている。お蔭参りに参加する者に対しては、大商人があって、店舗や屋敷の解放、弁当・草鞋の配布を行った。
天から御札が降ってくる話はお蔭参りの御札降りに由来すると考えられる。実際、ええじゃないかでは「天から伊勢神宮の御札が降ってくる」と噂された。なお、伊勢神宮では御札のことを御祓いと呼ぶ。
[編集] 発端をめぐる諸説
[編集] 豊橋市説
豊橋市図書館所蔵の留記(とめき);1988年発行(森田光尋著)原本:森田家文書(刊年不明)によると、慶応3年7月14日に、御祓いと記載され、この御祓いが、伊勢神宮の札とという。
[編集] 名古屋市説
1983年に製作されたアニメのまんが日本史(日本テレビ系列)では、幕末のええじゃないか騒動発祥は名古屋になっていた。1988年発行の小学館の国語大辞典でも名古屋が発祥となっている。
[編集] 豊川市説
平凡社マイペディアでは、慶応3年8月4日(1867年9月1日)、東海道の御油宿(愛知県豊川市御油)に秋葉神社の火防の札が降下したのが最初という。
[編集] 岡崎市説
慶応2年2月4日、現岡崎市岩津の御鍬社百年祭「御鍬祭り」が、ええじゃないか騒動の発端とする説。
[編集] 映画
[編集] 参考文献
[編集] 脚注
- ^ 山梨日日新聞社、YBS山梨放送 富士山ネット「ええじゃないか」
- ^ ええじゃないかの絵からも、民衆は、政治運動としてというより、踊るのが楽しいからええじゃないかに参加していたように見える(NHK『その時歴史が動いた』「実録・ええじゃないか」)

