仁科神明宮
| 仁科神明宮 | |
|---|---|
本殿(国宝) |
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| 所在地 | 長野県大町市大字社宮本1159 |
| 位置 | 北緯36度26分59.8秒 東経137度52分44.5秒 |
| 主祭神 | 天照皇太神 |
| 社格等 | 県社 |
| 創建 | 不明 |
| 本殿の様式 | 神明造 |
| 例祭 | 9月15日(太々神楽献奏) |
仁科神明宮(にしなしんめいぐう)は、長野県大町市大字社字宮本にある神社。杉の古木がうっそうと繁る宮山の南麗に鎮座し、東は大峯山系に連なり、西は田園地帯と高瀬川の清流を見下ろす、遠く北アルプス連峰を望むことが出来る風光明媚な地に建つ神社である。明治5年(1872年)より郷社、明治9年(1876年)より府県社、明治26年(1893年)より県社となる。
目次 |
[編集] 歴史
祭神は天照皇太神一柱で、かつて皇大神宮御領であった仁科御厨(みくりや)の地に勧請(かんじょう)された。その創祀年代は明らかでないが、神宮雑例集によると後冷泉天皇の永承3年(1048年)に始めて信濃に御厨が建立された記事が見えるのでこの時のものではないかと云われている。新宮雑書信濃御厨の記事(建久3年)にも、麻績、藤長、長田の御厨とともに仁科御厨の名を連ねており、しかも仁科御厨に限り、「件御厨往古建立地」と注記してあるので、信濃で一番古いことがうかがえる。
古族仁科氏がこの御厨に拠り、400年の長い間、終始その神役に従い、また神明宮に奉仕して神事を怠らなかったが、天正10年(1582年)仁科氏が滅びてからは、松本城主小笠原貞慶が神領として朱印15石を寄進し、以後松本藩主代々の祈願所として、寛永14年(1637年)からは黒印23石に改められ、かつ又除地として村内ならびに大塚村一ノ瀬、借馬村、野口村(いずれも現・大町市)、堀之内村(現・白馬村)等に田畑山林、また青木湖一面等を有し松本藩中最も多くの神領を保って明治維新に至った。そして、仁科66郷の総社として郷土の人達の崇敬が深く、また信濃の国7神明宮の一つにも数えられて神威は大いに振っていた。
式年造替については、創祀以来、皇大神宮にならって20年ごとに行われており、永和2年(1376年)から大正8年(1919年)まで、20年ごとに行われた造替の際の棟札が一枚も欠かすことなく保存されている。500年以上の長きにわたり、一度も欠かすことなく式年造替が奉仕されてきたことは、全国においても例を見ないことである。
仁科氏が滅びてからは松本藩主がこれに代わって式年造替を奉仕したが、寛永13年(1636年)の造替を最後として、その後は全て新築ではなく修造に留まり現在に至っている。現在の社殿は、寛永造替時のものと推定され、300年を経ている。
修造に当たっては、多くの巨大な用材が使われるので、古例にのっとって、高瀬川入神明宮御料林から伐木され、当時の大町組、池田組、松川組の3組に科して奉仕された。
明治時代に入り、その責任は氏子ならびに崇敬者の双肩にかかり、明治11年(1878年)の式年造替にあたっては、第11(社地区)、第12(大町、平地区)両大区会議に、その後は北安曇郡町村町会によって負担的寄付をあおぎ、この大祭を滞りなく続けてきた。なお式年の年ごと八代神明宮では、当社の古材をもって修理を行い、大祭には仁科神明宮からは神職や関係者が参列して大祭を行う慣わしになっている。次の式年造替は平成31年(2019年)である。
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 仁科神明宮 2棟(本殿、中門)(釣屋付属)
- 昭和11年(1936年)、旧・国宝保存法に基づき当時の国宝(旧国宝、現行法の重要文化財に相当)に指定され、昭和25年(1950年)文化財保護法施行により重要文化財となった。昭和28年(1953年)、「世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝」として文化財保護法に基づく国宝に指定される。
- 本殿は、切妻造平入り、桁行3間、梁間2間、軒高6.6m、棟木の長さ8.3m余の日本最古の神明造り。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、棟木の上には巴紋をつけた勝男木6本が置かれている。破風板は、そのまま延びて千木となり、破風板にはそれぞれ4本の鞍掛があり、妻には棟持柱があるなど構造手法に古式がうかがわれ、神明造りの原形式を保存している点で、建築史上貴重な遺構である。細部は概ね室町時代の様式を伝えている。
- 中門は、前殿あるいは御門屋ともいい、四脚門、単層で屋根は切妻造、檜皮葺である。本殿と同様破風板が延びてそのまま千木となり、鞍掛4本がついている。勝男木は4本である。
- 釣屋は、本殿と中門を連結するもので、本殿屋根と中門屋根間に棟木と桁をかけ、檜皮葺き・両下造(りょうさげづくり)の屋根をかける。柱・壁は設けない。なお、社殿の国宝指定棟数は2棟(本殿と中門)とされ、釣殿は本殿・中門の付属という扱いになっている。
[編集] 重要文化財
- 木造棟札 27枚
- 昭和9年、国宝保存法に基づき(旧)国宝に指定、昭和25年文化財保護法施行により重要文化財となる。創祀以来、式年毎に修復、造営が行われて現在に至っているが、その当時の模様を記した棟札が残されており、このうち永和2年(1376年)から安政3年(1856年)までの27枚が重要文化財になっている。
- 御正体5面(附:御正体11面)
- 御正体(みしょうたい)は、鏡板上に仏像または神像をあらわし、社寺に奉懸したもので懸仏ともいう。二十余面現存しているなかで、16面が昭和10年、旧法に基づく重要美術品に認定され、昭和36年に重要文化財に指定された(16面中11面は附(つけたり)指定)。弘安元年(1278年)、同9年の銘をもつものを含む。