二見興玉神社

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二見興玉神社
Futamiokitama jinja Haiden.jpg
拝殿
所在地 三重県伊勢市二見町江575
位置 北緯34度30分32秒
東経136度47分16秒
主祭神 猿田彦大神
宇迦御魂大神
綿津見大神(境内社 龍宮社)
大若子命(飛地境内社 栄野神社)
社格 旧村社・別表神社
例祭 7月15日(二見大祭)
主な神事 大注連縄張神事
藻刈神事
夏至祭
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夫婦岩
二見興玉神社東の参道
富士山の向こうから昇る夏至の頃の日の出
夫婦岩(左)と拝殿(右)
夫婦岩と満月
龍宮社

二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社である。旧社格村社で、現在は神社本庁別表神社。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。

猿田彦大神宇迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)を祭神とする。

概要[編集]

夫婦岩の沖合約700mの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。

猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。この神の神使カエルとされており、神社参拝の後に神徳を受けた人々が、神社の境内にカエルの塑像を献納する。このため、境内には無数のカエルの石像が並んでいる。この神社の授与品もまた「無事カエル」「貸した物がカエル」「お金がカエル」(カエル帰る返る掛詞)と呼ばれるカエルをモチーフにしたものである。

夫婦岩[編集]

夫婦岩(めおといわ)は日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役目を果たしている。古来、男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、いつの頃からか、夫婦岩と呼ばれるようになった。この名称がついた時期は定かではないが、江戸時代中期の『伊勢参宮名所図会』に大注連縄を張った夫婦岩の絵が載せられている。

夫婦岩の間から太陽が昇る写真が、初日の出のイメージとしてカレンダー等で使われることがあるが、夏季に撮影した写真を使ったものであり、冬季は角度的に夫婦岩の間から太陽が昇る光景を見ることはできない。夏至の前後約4か月間は、夫婦岩の間から御来光が拝め、特に夏至の前後2週間ほどは、方位角約61度距離およそ200kmの彼方にある富士山山頂付近からの御来光となることから、梅雨の最中にもかかわらず、近隣の二見浦旅館街の宿泊客やカメラマンが多数訪れる。また冬至の頃には夫婦岩の間より昇るを見ることもでき、満月の日には大勢のカメラマン・参拝者が訪れる。

根尻岩は1918年大正7年)の台風によって根本より折れ、1921年(大正10年)に菅組が修理をしている。その際、設置角度が変わったため、現在は片理の方向が立石とは異なっている。

歴史[編集]

1910年明治43年)、猿田彦大神を祀る興玉社(おきたましゃ)と宇迦御魂大神を祀る三宮神社(さんぐうじんじゃ)を合祀したもので、その際に現社名に改称した。

興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるという。天平年間(729年 - 748年)、僧行基が興玉神の本地垂迹として江寺(えでら)を創建し、境内に興玉社を建てて鎮守社とした。後に現在の二見浦へと遷座した。

三宮神社は、元は現社境内の天の岩屋の中に祀られていたが、文禄年間に岩屋の外に移された。1910年(明治43年)に興玉社本殿に合祀された。古い参詣記には三狐(さんぐ)神社などとも記される。

1945年昭和20年)に栄野神社を合祀した。

祭祀[編集]

7月14日例祭は「二見大祭」と呼ばれ、茶屋清渚連による注連縄奉納が行われる。5月5日9月5日12月中・下旬のいずれかの土・日曜日(海況による)には夫婦岩の大注連縄の張り替え神事が行われる。また、5月21日には興玉神石付近に生える霊草の無垢塩草を刈り取る藻刈神事が行われる。

境内社[編集]

境内社として綿津見大神を祀る龍宮社があり、旧暦5月15日龍宮社例祭に併せて郷中施(ごじゅうせ)神事が行われる。また、氏子地江の外れに大若子命を祀る栄野神社があり、毎年1月14日の例祭日には湯立神事が行われる。

浜参宮[編集]

古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で(沐浴)を行うのが慣わしであった。現代ではそれに代わるものとして、二見興玉神社で霊草無垢塩草での祓い清めを受ける。これに使う幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)である。現在、神宮式年遷宮お木曳行事お白石持行事への参加者は浜参宮を行う。

交通[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]