玉篇

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玉篇(ぎょくへん、ごくへん)は、中国、南北朝時代顧野王によって編纂された部首漢字字典。部首を『説文解字』の540部よりわずかに多い542部(現行本では543部)として16,917字を収録し、反切によって字音情報を記載している。今に残る原本玉篇の残巻から、その元の姿を知ることが出来るが、それ以前の字書である『説文解字』『字林』と比べ、語釈は長大で充実した内容で、用例も豊富である。

その後、唐代になると、孫強によって字数を増補され、宋代には陳彭年らによって『大広益会玉篇』として重修されたが、語釈部分や用例は逆に大きく削られて簡略化され、字義を示す語だけが残されている。原本は一部が日本に残ったが、大部分は散佚した。現存する完本の『玉篇』はこの宋の『大広益会玉篇』であり、28,989字を収載している。

『玉篇』は日本朝鮮半島に大きな影響を及ぼした。空海が編纂したといわれる『篆隷万象名義』は、原本『玉篇』の簡略版であったとされる。また室町時代初期に編まれたといわれる『倭玉篇』は『大広益会玉篇』の影響を大きく受けているといわれる。室町時代・江戸時代を通じて広く用いられ、「倭玉篇(和玉篇)」とは漢和辞典そのものを指す言葉ともなった。また、和玉篇は慶長8(1603)年に仁和寺で印刷されたとされており、この木製活字が仁和寺に現存している。 また朝鮮半島でも広く用いられ、崔世珍の『韻会玉篇』が編まれるなどしている。現在でも韓国では部首別漢字字典自体を指す言葉に「玉篇」(オッピョン、옥편)を使っている。