救済

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救済(きゅうさい:英語: salvation)とは、ある対象にとって、好ましくない状態を改善し、望ましい状態へと変えることを意味する。宗教的な救済は、現世における悲惨な状態の改善が宗教に帰依することで解消または改善されることも意味する。様々な宗教で極めて重要な概念であり、救済を強調する宗教は救済宗教とも呼ばれ、救済宗教」で通常「救済」という場合は、現世の存在のありようそのものが、及びを越えた存在領域にあって、何らかの形で決定的に改善されることを表すのが一般である。

救済の型には、生者や死者や魂などが天国や極楽や理想郷などの「あの世」に行く「来世救済型」と、神や仏や菩薩や救世主などが「この世」に現れる「現世救済型」がある。また、個人単位で救済される「個人救済型」(仏教・キリスト教・イスラム教)と、民族や国家など集団単位で救済される「集団救済型」(ユダヤ教・儒教)がある。また、悟りや善行による「自力救済型」・「因果説型」と、神や仏や菩薩などの恩恵や慈悲による「他力救済型」・「予定説型」がある。

キリスト教における救済[編集]

キリスト教神学においては特に「救済論」(soteriology)の中心概念である。キリスト教は典型的な救済宗教で、キリスト教における救済とは、キリストの十字架による贖いの功績に基づいて与えられる恵みにより、信仰によるの咎と束縛からの解放、そして死後にあって、超越的な存在世界にあっての恩顧を得、永遠に与ることである。永遠のいのちは、時として、生物的ないのちとは種類を異にする、この世にあって持つことのできる霊的ないのちとも解釈できる。

ローマ・カトリック教会においては、罪は犯したが償える可能性の残っている者は煉獄に送られるとされる。

また、未来において世界が終末を迎えたとき、神が人々を裁くという最後の審判の観念もある。その時混乱の極みにある世界にイエス救世主として再臨し、王座に就くとされる。死者達は墓の中から起き上がり(伝統的に火葬しなかったのはこの時甦る体がないといけない為)、生者と共に裁きを受ける。信仰に忠実だった者は天国へ、罪人は地獄 (キリスト教)へ、世界はイエスが再臨する前に一度終わるが、この時人々は救済され、新しい世の始まる希望がある。(千年王国)

グノーシス主義における救済[編集]

グノーシス主義における救済とは、反宇宙的二元論世界観より明らかなように、であり暗黒の偽のが支配する「この世」を離れ、肉体の束縛を脱し、として、永遠の世界(プレーローマ)に帰還することを意味する。グノーシス主義では悪が肉体を形作るものの、善もまた人の体に光の欠片(魂)を埋めたという神話もある。信者は死ぬとき真の神なる父を自覚し、プレーローマへ帰ろうとするが、悪(アルコーン達)の妨げる重囲を突破しなければならない。この過程は全体から見れば、光の欠片の回収でもある。

仏教における救済[編集]

仏教における救済とは、個人が悟りを得て、輪廻から外れ、苦しみの多い(本質的に苦である)この世に二度と生まれてこない(転生しない)ことである。

本来、仏教は、個人が悟りを得ることで輪廻から外れようとする、「個人救済」「自力救済」の営みから始まったものだが、大乗仏教が興ると自分のみならず他者(衆生)も救済しようという方向性が現れた。

また阿弥陀信仰や観音信仰や弥勒信仰など、菩薩により救済される「他力救済」もあるが、本来の仏教の「自力救済」の論理からはありえず、西方の異教(ミトラ教・ゾロアスター教・マニ教・ネストリウス派キリスト教など)に由来する、仏教の皮を被った救世主待望の面が強い。弥勒菩薩は56億7000万年後に降臨するとされる。

平安時代には釈迦入滅末法の世が到来するという不安に戦乱も重なり、終末の後の救済を求める人心を反映してか浄土教が浸透していった。

こうした(本来の仏教の論理ではありえない)仏教の「他力救済」の面が、日本におけるキリスト教の受容に繋がっていることは否めない。

脚注[編集]


関連項目[編集]

救済事業[編集]

救済を行う事業。国際連合パレスチナ難民救済事業機関 (UNRWA)のパレスチナ難民救済事業などがよく知られている。種類としては貧民救済事業、孤児救済事業、失業救済事業、各種被害者救済事業などがある。

おもな例[編集]

関連人物[編集]

文献[編集]

  • 『グノーシスの神話』大貫隆 岩波書店 ISBN 400000445X
  • 『終末論と世紀末を知るために』エンカルタ百科事典
  • 宮城洋一郎 『日本仏教救済事業史研究』永田文昌堂、1993年