呪術
呪術(じゅじゅつ、magic)とは、人類の初期社会や初期文明において、押並べて発生したとされる、祈祷や占いなど神託としての運命の決定やそれらを指針とした政(まつりごと)、民間治療ともいわれる呪術医療(呪術医)と生活の糧を得るための「狩り・漁り」による薬草や毒草の知識や使用、または呪い(まじない)や呪い(のろい)や祓い(はらい)といわれる祈祷師による神霊の力の利用をさし、原始宗教でもある文化人類学におけるシャーマニズムとアニミズム、それぞれの観念や行為にともなう呪文に代表される形式や様式や儀式をさす[1]。
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[編集] 概要
日本ではマジナイ(呪い)として知られる。マジを行うの意味のナフをつけた語であるが、広辞苑に「まじくなふ」という語が収録されている。
英語 のmagicには、「魔法」「魔術」「手品」などの意味があるが、「魔術」と区別するために、文化人類学や宗教学での学術用語としては、訳語として「呪術」が用いられる。なおmagicの語源はペルシアの司祭をあらわすmagusに由来する。
東洋においても、中華文明圏の散楽やそれを源流とする猿楽から発展した神楽や太神楽にあるように、手品や曲芸が神道と結びつき、祈祷の儀式の一部となっている。
何らかの儀式・呪文・物品に霊的な力があると考えている人にも利用される技術であり、この様式は近代から現代に掛けても、迷信などの形で残る物も見られる。
呪術とはそもそも「まじない」や「呪文」であり、仏教のお経も、唱えるものが必ずしもその意味を理解しているとは限らず、マニ車のようにそれを回すだけで功徳が得られるとするような面を形骸化として見れば、それらも呪文やまじないともいえる。
[編集] 理論
- フレイザーの理論
人類学者サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザーは、『金枝篇』において、文化進化主義の観点から[2]、呪術と宗教を切り分け、呪術には行為と結果の因果関係や観念の合理的体系が存在し、呪術を宗教ではなく科学の前段階として捉えた。
フレイザーは、呪術を「類感呪術(または模倣呪術)」と「感染呪術」に大別した。
- 類感呪術(模倣呪術、英: imitative magic)
- 類似の原理に基づく呪術である。求める結果を模倣する行為により目的を達成しようとする呪術などがこれに含まれる。雨乞いのために水をまいたり、太鼓を叩くなどして、自然現象を模倣する形式をとる。
- 感染呪術(英: contagious magic)
- 接触の原理に基づく呪術である。狩の獲物の足跡に槍を突き刺すと、その影響が獲物に及んで逃げ足が鈍るとするような行為や、日本での藁人形に釘を打ち込む呪術などがこれに含まれる。感染呪術には、類感呪術を含んだものも存在するとフレイザーは述べている。呪術を行使したい対象が接触していた物や、爪・髪の毛など身体の一部だった物に対し、類感呪術を施すような場合などである。
フレイザーは進化主義的な解釈を行い、宗教は劣った呪術から進歩したものであるという解釈を行ったが、エミール・デュルケームはこれを批判的に継承し、本来集団的な現象である宗教的現象が個人において現れる場合、呪術という形で現れることを指摘した。さらにマリノフフスキーは、機能主義的な立場から呪術や宗教が安心感をもたらしているいうことを指摘し、また動機という点から人に禍をもたらすそうとする呪術を「黒呪術black magic」といい、雨乞いや病気回復など公共の利益をもたらそうとする呪術を「白呪術white magic」とした。しかし超自然的なものである呪術だとしても、意図的なものと非意図的なものがあるとして、エヴァンズ=プリチャードは前者を邪術、後者を妖術として区別する必要性を主張した。
- ビーティ(J.Beattie)は、呪術を象徴的な願望の表現とした。
- レヴィ=ストロースによる指摘
レヴィ=ストロースは、思考様式の比較という観点から、呪術をひとつの思考様式としてみなした。科学のような学術的・明確な概念によって対象を分析するような思考方式に対して、そのような条件が揃っていない環境では、思考する人は、とりあえず知っている記号・言葉・シンボルを組み立ててゆき、ものごとの理解を探るものであり、そのように探らざるを得ない、とした。そして、仮に前者(科学的な思考)を「栽培種の思考」と呼ぶとすれば、後者は「野生の思考」と呼ぶことができる、とした[3]。
「野生の思考」は、素人が「あり合わせの材料でする工作」(ブリコラージュ)のようなものであり、このような思考方式は、いわゆる"未開社会"だけに見られるものでもなく、現代の先進国でも日常的にはそのような思考方法を採っていることを指摘し、それまでの自文化中心主義的な説明を根底から批判した。
[編集] 呪術道具
呪術には特定の呪術道具があり、狩猟具や漁具を使用する場合もある。ギリシア文明や日本、東南アジアなどでは弓矢が、神聖なものとされ、神や神の力が宿ると考えられ、呪術の道具として使用された。狩猟民族の社会において弓矢は世界的に普遍的な、呪術の道具であったと考えられている。これは、弓矢が敵対する社会集団との戦いに用いられたことも大きく起因する。
また弓矢はその後、弦楽器の多くの起源となり、音楽や楽器に呪術的側面を持たせることにつながった[要出典]。
日本においては漁具の釣針や銛、弓矢の矢も「サチ」とよばれるマナであるとされ、サツヤ(獲矢と書かれる)とよばれて信仰され、後、銃による狩猟が出て後も、獲物に当たった弾丸を鋳直して持つ「シャチダマ」という習慣があった。
[編集] 呪術と医療
呪術が医療として機能していたことは民間医療などにもその痕跡がみられる。温泉(冷泉)治療なども経験的な医療効果が信じられヨーロッパや日本などでも利用され、特定の信仰と結びつき呪術的要素を持っているものもある。特に日本においては、「詣で」と宿場と温泉地が結びつき、湯治はもちろん宿泊や入湯も禊や払いであった。沖縄には蕁麻疹、かさ(皮膚病)、魚骨が喉にささったときの、ハブ除けの、悪霊が付いた時の、くしゃみの時の呪術があった。くしゃみをすると霊魂が外に出るという考えがあった。
アフリカの一部の国では、毒(植物にかぎらない)の生成と薬草の使用は生活の上で重要な位置をしめ、それに伴いその知識を独占的に持つシャーマンが存在する。シャーマンは、現在、呪術医として分業するものも多く、薬草においては、"呪術"に使用されていた物品を科学的に検討してみたところ薬理効果があることが、実証されているという事例もあり、その知識と薬草の提供に対し、提携し契約している製薬会社も存在し実際に新薬の開発に貢献している。
東洋医学における漢方薬、灸、針なども近代科学とは別の由来を持つという意味では同様の事例である。東洋医学においては歴史的に蓄積されてきた薬草の知識や陰陽五行などの思想体系が背景にある[4]。
また、心理学的な作用が結果として効果を発揮していると見られるケースや、行為者が意識的に心理効果を狙っているケースもある。暗示や催眠によるものなどである。このような心理効果の活用例には「プラセボ」と呼ばれる薬を用いた治療方法が挙げられる[5]。
[編集] 占いと祈祷
呪術は基本的に神霊が祈祷師に憑依し、神託としての予言や預言や啓示、託宣を垂れることをいい、これは、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教などでも同様に観察される。ヘブライ語で預言を垂れる、という意味のヒッティーフは、元「(涎を)垂らす」の意であり、サムエル記では忘我状態で神の言葉を述べる聖者を指して使われるが、日本の神社神道も巫(かんなぎ)といわれる神主や巫女が、神の憑依体(依り代)となって神の御言を述べる。同様に神託を伝える儀式として亀甲占いや年始の神事、その簡易としての「おみくじ」等の占いがある。なお柳田國男は、年始に行う花札や百人一首のようなカードゲームを、「占術の零落した物」とする。同様にサムエル記上14章41節では、預言者サウルが胸ポケットに入れたウリムとトンミムと呼ばれる物を無作為に取り出して、神意を問うシーンがある。結局は原始宗教、宗教または、それによって律せられる土着の習俗において、神霊を信じ、その神霊に祈る(祈祷)ことで神頼みをし、その啓示を人生の指針として身をゆだねるというのは、占いと変わらないともいえる。このように現在の宗教の多くは原始宗教からの「機会」を神の啓示とする呪術的要素を備え継承している。
[編集] 呪術と社会
その発祥の原因として、集団としての人々の暮らしの中で、諍いや一年をどう過ごすかまたは、どうなるのかといった社会や個人の不満や不安であり其の緩衝として、シャーマンが存在する。具体的には寺社が地域社会の中心であったように、現在のヨーロッパの集落のほとんどが、教会を中心とした街づくりになっており、これは呪術を行うシャーマンが集落の中心にあった名残と考えられる[要出典]。
個人間や家族間の諍いとして処罰や依頼によりのろい(呪い)をかけたとしても実害はなく心理的な抑制効果でしかなく、また成人の通過儀礼などの呪術も子供から大人への決意を促す効果をもたらすものである。このように呪術は、裁判制度や法がない時代や地域の人治としての権威であり脅威としての力であったと考えられる。また個人の不安や不幸を取り除く、静めることも集団社会には必要であり、そのままにすれば、妬みや嫉みなど、反社会行為に発展しかねない、実際には効果がなくとも、祓いを行い不安を取り除けば、相互扶助の関係の中で、不利益より益になると考えられる。
狩りや漁りや農耕の願いは豊饒であり、その土地が豊かになって実りの多いことが、その社会集団の願いである。それに対し集団の社会不安とならないようにするための、指針の提示が必要になり、それがその集団においての祈祷による祈願祈念になり、占いによる大概が1年の禍福の予想をしていたと思われる。このことはどの世界でも呪術の延長である年単位のなかでの時節や季節による行事の繰り返しから見て取れる。
[編集] 呪術と地域文化
- 沖縄地方では、魔除けとまじないは盛んであり、フーフダ(符札、まじないを書いた木札や紙札をはる)、ハブよけのまじない、悪霊がついた時のまじないなどが行われている。例えば、沖縄ではくしゃみをすると魂が出てしまうと考えられており、それを取り戻すためのまじないがある。また、白くて固い物には魔除けの力があると信じられており、シャコガイ、スイジガイ、珊瑚や塩などを置いて魔を遠ざけようとする。石敢当、シーサーなども魔除けである[6]。
- 香港では、現在も「打小人」(ダーシウヤン)と呼ばれる、紙で作った人型を靴で叩いて行う黒呪術を代行することによって、報酬を得ている人たちがいる。
- 古くから中国人、華僑、華人を中心に信奉され、日本にも古くから伝わる陰陽五行思想としての「風水」においても、占い・呪術的な思考様式と精緻な理論的な思考様式とが混在している。
これらは地域の文化や思想と密接に結びついており、場合によってはタブーのような行為にも関連する。タブーを敢えて犯すことで災いを発生させられるという思想や、あるいはタブーによる祟りを呪い(まじない)の効果で無効化しようとする行為が挙げられる。
[編集] 調査研究
呪術では、何らかの経験則に沿って呪術の様式が体系化されており、これが民族間の交流で他文化に影響を与えることも多い。これらの民俗学的調査により、民族間の交流や移動の経路などが判明することもある。また考古学的な観点からは、過去の遺物より呪術の様式を解明し、当時の文化や交易の経路を追跡して調査することも行われている。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザー 『金枝篇』 石塚正英・神成利男訳、国書刊行会、2004年。 - 完訳版
- レヴィ=ストロース 『野生の思考』 大橋保夫訳、みすず書房、1976年。
- マルセル・モース 『社会学と人類学 I、II』 有地亨・伊藤昌司・山口俊夫訳、弘文堂、1973年。 - 呪術論を収録
- 根岸鎮衛 『耳嚢』全3冊 長谷川強校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1991年。 - 江戸時代の随筆。まじないについての逸話を収録。
- 山里純一 『沖縄の魔除けとまじない』 第一書房、ISBN 4-8042-0125-4
[編集] 関連項目
呪術に対する説明や、学術な思考や考察。
呪術的な側面が強い信仰や宗教
- ブードゥー教 (Voodoo、ブードゥー教司祭)
呪術の類
呪術師の類(祈祷師・シャーマンなど)