心霊主義

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死者の霊と交信することを目的とする交霊会(降霊会)。イングランド、1872年

心霊主義(しんれいしゅぎ 英:Spiritualism)、スピリチュアリズムスピリティズム[1]は、人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在するとする思想、信仰、人生哲学、実践である。死者の霊魂は現世の人と交渉をもつことができるとする考え方や立場、霊魂と通信する行為、それを行う団体も意味する。霊魂との交信は霊媒が仲立ちとなることが多い。心霊主義は19世紀半ばに登場し19世紀後半に全盛期をむかえた[2][3]。死者との交流から始まったが、交霊会、骨相学神智学とそのすそ野は広がり、科学者や思想家の支持を得ながら時代の精神へと成長し、やがて社会改革運動として発展した[4]。世紀末から第一次世界大戦までのモダニズムを生み出した精神的温床としては異彩を放っており、文化史・思想史においては主流となったことがなく、周辺的なテーマとして扱われてきた[4]

19世紀の心霊主義は、1948年にアメリカ合衆国で起こったハイズヴィル事件によって大きな流れとなり、最盛期には欧米で800万人以上の支持者がいたと言われる[5]。社会に広く受けいられ、多数の人が真実であると信じ、当時の代表的な科学者たちの調査対象になっていた[4]。20世紀に入る頃には現象としてはほぼ終焉したが、20世紀後半においても影響を与え続けている[4]。17世紀の近代自然科学、18世紀の啓蒙主義、19世紀の通信手段の発達、キリスト教の権威の低下、産業革命以後の急速な文明化の影響による宗教的・精神的枯渇状態といった状況のもとで、教会や聖職者に代わり、親しい人の死の悲しみや自分自身の死への不安という根本的な悩みに応えるものとして支持を集めた[4]。当時から、交霊会(降霊会)や霊によるとされた現象に数々のトリックが用いられていることは認識されていたが、それでも存続したのはこのためである。心霊主義は、個人としての人間の完成と幸福を目指す近代の自己宗教としてしての側面を持ち、建設的で明るい社会改革運動でもあり[4]奴隷制度廃止運動女性参政権獲得の運動とも関わりがある[2]。理想社会(世俗的千年王国)をこの世に実現しようとする点において、社会主義との関係も深い[4]、社会精神史的には、当時科学として大きな影響力があった骨相学メスメリズム(ヒプノティズム、催眠術)、この両者が融合した新しい精神科学・骨相メスメリズム[6]に直接つながる[4]神智学の創始者ブラヴァツキー夫人はもともと心霊主義の霊媒であり、互いの影響は深く、神智学はイェイツの詩作やカンディンスキーらのモダニズ絵画への影響も大きかった[4]。また19世紀後半には、心霊主義の心理学化という流れが起こった。心理学者ユングの出発点には心霊主義があり、この流れは深層心理学につながる[4]

心霊主義は: spiritualism(スピリチュアリズム)の日本語訳のひとつであるが、第一に「唯心論」と訳されるため注意が必要である。唯心論は、精神の独立した存在と優位を説く学説[7]であり、哲学においては、心霊主義(心霊論、: spiritisme スピリティスム)は唯心論に含まれとされる[8]

なお、霊性や宗教性、精神性、精神世界と訳され、人間に特有な心理的あるいは精神的活動の総体、または任意の部分[9]を意味する「スピリチュアリティ」とは異なる概念である。

古代[編集]

古代エジプト時代[編集]

霊や死後の世界という概念が歴史に登場したのは、実に6000年以上前の古代エジプトの時代までさかのぼる。古代エジプトでは、「人体出現の技術」と呼ばれる方法で死者との交信が行われており[10]、それらの内容を墓石や石棺に絵文字として刻んでいた。それを古代の学者たちが収集し、編纂したものを「死者の書」とよぶ。

エジプト死者の書の原形が作成されたのは、紀元前4300年ごろ。ヘセプーチ王の時代に棺上の絵文字として死者の書が描かれており、これが最初のものとされている[11]。死者の書には、霊魂が肉体を離れ、あの世の楽園アアルに至るまでの過程が描かれている。古代のエジプト人たちは霊魂は死後、「バー」という鳥の姿になって肉体からあの世にとびたち[11]、あの世で永遠の生を送ると考えていた。

このほかにチベット死者の書がある。チベット死者の書はチベット仏教ニンマ派の経典であり、ラマ僧が臨終を迎えた人の枕元で死の前と死後の49日間読み聞かされる[12]。教典には死者が死後、出会う光景とそれの対処法が書かれている。死者はまず、まばゆいばかりの光に出会い、それに飛び込むと真理に融化し、成仏する。飛び込めなかった場合は7日後に別の光りと遭遇し、ここでも飛び込めなかったらまた7日後に別に光りと遭遇するといった事を7日ごとに、49日まで繰り返す[12]。49日までに光りへの融合が果たせなかった場合、死者の魂は生前の行いによって6つの世界(地獄、畜生、人間、天、修羅、餓鬼)のいずれかにたどり着く。

ヨーロッパ近代心霊主義[編集]

ハイズヴィル事件への影響[編集]

ハイズヴィル事件[編集]

フォックス姉妹

心霊主義(スピリチュアリズム)、心霊ブームは、1848年フォックス姉妹によるハイズヴィル事件[13]が大きな契機となった。この事件の当事者フォックス姉妹のマーガレットは、40年後にこの事件はインチキであり、ラップ音は膝関節を脱臼させて出していたと告白しているが[14]、告白当時マーガレットは金銭的に困窮しており、更にのちにインチキという告白自体を否定している。事件の真実については様々な見解があるが[15]、当時社会的な影響が絶大であったことに疑いはない。

知られている事件の内容は次の通りである。ニューヨーク郊外ハイズヴィルのフォックス家の姉妹マーガレット(15歳)とキャサリン(12歳)は、家で不思議な物音(ラップ音、叩音)がするというポルターガイスト現象を体験した。母親が子どもの年齢などを質問すると、ラップ音によって回答があり、ラップ音は霊の仕業であり、音によって霊と交信できるようになったとされている。名古屋大学の吉村正和は、ハイズヴィル事件での音による霊との交信は、その数年前の電信機の発明と普及による、「情報が瞬時に遠方に伝わる」という衝撃的体験の影響があり、電信技術の発想を精神世界に応用したものであると指摘している[4]。死者との交信がコツコツ・トントンというモールス信号のような音で行われたことがそうした事情を物語っているという[4]。この事件の噂は広まり、ふたりの姉リー(20代半ば)は妹たちを霊媒姉妹としてプロデュースし、自らも妹たちと同様に霊と交信する「霊能力」を身につけ、1849年にロチェスター最大の会場を借り切って有料の交霊会を開催した[4]。ペテンだと抗議する声も大きかったが、大成功に終わり、むしろ抗議が宣伝の役割を果たし、霊との交信という奇跡を信じる人は増加していった。高額の参加費が設定されていたにもかかわらず、交霊会にはあらゆる階級の人が押しかけた。フォックス姉妹はニューヨークに活動拠点を移し、2か月にわたって交霊会を開催し、霊媒としての地位を確立した。参加者は最近親しい人を亡くし悲しむ人などが多く、交霊会で実際に死者との心の交流を体験し、死を次の生への通過点と見なすことで、心の慰めを得ていた[4]。吉村正和は、姉妹は現代における精神分析のカウンセラーのような機能を果たしていたと述べている[4]

霊との交信方法も、ラップ音からアルファベットを使用する方法、トランス状態での自動筆記、楽器がなったり机が動いたり、霊そのものが現れ参加者の髪をひっぱるなど、交霊会での心霊現象もエスカレートしていった[14]。フォックス姉妹以外の霊媒も登場し、あっという間に全米を心霊ブームが席巻したのである[14]。1855年にはアメリカだけでおよそ100万人が心霊主義を受け入れており、貴族や企業家などの上流階級、作家や科学者などの知識人といった社会的エリートも多く含まれていた[15]。1840年代には大西洋を横断する巨大蒸気船が運航し、アメリカの情報はほぼ同時にヨーロッパにもたらされ、人の交流もそれまでとは比べ物にならないほど盛んになった[4]。アメリカの霊媒が続々とヨーロッパに渡っていき、霊媒による交霊会や心霊現象という心霊ブームは、ヨーロッパにも広がっていった[4]。中でもイギリスでは、階級を問わず広く社会現象となった。こうした19世紀半ばから19世紀末の心霊ブーム、その思想と実践および関連事項は、心霊主義(スピリチュアリズム)と呼ばれる。心霊主義は世界中をめぐり、昭和40年頃に日本にも到達している[14]

ハイズヴィル事件以降[編集]

心霊主義は、小説家のコナン・ドイルや、タリウムを発見したことで知られるウィリアム・クルックス卿、あるいは英国を代表する世界的物理学者だったオリバー・ロッジ卿、ノーベル生理学・物理学賞を受賞したシャルル・ロベール・リシェ (エクトプラズムの命名者) などの科学者や文化人を巻き込んで[16]世界的に心霊研究が進む。一方で、こうした「心霊現象」には、既存の知識で説明できない事例だけでなく、奇術も大量に含まれていたため、支持派と懐疑派の垣根を越えて、にせ霊媒の告発が盛んになる。例えば、ブラヴァツキー夫人は、スピリチュアリズムの影響を受け、1875年神智学協会を設立し、そのオカルト信仰を流行させたが、英国の心霊現象研究協会(SPR)からそのトリックを暴かれている。

1857年フランスアラン・カルデックは、彼が信頼できると判断した複数の霊媒による交信を比較検討し、まとめたものを『霊の書』として出版した。これは主にラテン諸国で読まれ、400万部を超えるベストセラーとなった。カルデック以後、スピリチュアリズムは、単なる心霊現象の流行ではなく、世界観、人間観を形づくる思想としての性格も持つことになる。カルデックの著作は、とくにブラジルにおいて、「カルデシズモ」として広く支持され、その信望者はブラジルにおいて二千万人にもなる[17]

それ以降、英語圏においても、『モーゼスの霊訓』(1883年)、『ジュリアの音信』(1914年)、『ベールの彼方の生活』(1921年)、『マイヤースの通信』(1932年)、『[ホワイトイーグル]]』(初刊1937年)、『シルバーバーチの霊訓』(初刊1938年)といった交信記録が次々と出版された。これら(とくに後二者)は、英国系スピリチュアリズムのテキストとなっている。こうした霊媒を通した霊界通信が、スピリチュアリズム研究の中心となる[18]

これらの通信をまとめると、死後の世界は階層的で、地球圏に近いほど、死後の環境が地上に似ている[19]。それが上の界に行くにしたがって、美しさと神々しさを増す[20]。さらに上の界では地上の言葉で表現することが困難になる[21]。スピリチュアリズムとは、こうした理解を人類へ促すために、高級霊が中心となって全霊界により計画された運動である[22]

上記には、スウェーデンボリおよび古代インド思想・仏教との共通点も見られるが、イエスを神ではなく偉大な指導者とする点、および地獄の存在を否定する点がスウェーデンボリと異なる。また、霊魂の進化と階層を認める点、および社会への奉仕を重視する点が、古代インド思想や仏教とは異なる。さらに、スピリチュアリズムの通信における輪廻は、「類魂」(グループ・ソウル)説を特徴としており、これもまた、同一人物が生まれ変わるインド的、仏教的な輪廻観とは、似て非なるものである。

また、同じく20世紀以降には、霊媒による心霊治療も盛んとなる。これは、「憑依」している霊を霊媒に誘導したり、自動書記により処方箋を与えたり、手で触れるヒーリングなどによって、難治性の病気を治療するものである。ウィックランド夫妻エドガー・ケイシーハリー・エドワーズフランシスコ・カンディド・シャビエルなどがその著名な例である。とりわけ、ブラジルの「ドクター・フリッツ」は、麻酔をせずに苦痛の無い外科手術を行うことで知られている[23]

スピリチュアリズムはその歴史を通して、主に3つの抵抗勢力と戦わなければならなかった。それは、唯物論自然科学であり、カトリックを始めとするキリスト教会であり、そして、「霊媒」を自称する営利目的の詐欺師であった。

思想の東西交流[編集]

近代霊性のもう一つの主なチャネルは、西洋の東洋との交流である。古代インドの経典『ウパニシャッド』は、ペルシャ語版を通してラテン語に翻訳され、19世紀前半の哲学者ショウペンハウアーは、『ウパニシャッド』や仏典から大きな影響を受けた。この時期から、ヨーロッパへのインド思想の影響は増大してゆく。以降、輪廻、カルマ汎神論など、東洋では一般的であるが、キリスト教会からは「異端」とされる概念が、エマーソンなど西洋の知識人にも再発見され、受け入れられることになる。

チベット仏教は、インド思想に匹敵するインパクトを西洋世界に与えた。19世紀前半にハンガリー人研究者チョーマ・ド・ケレスによって、ヨーロッパのチベット学の基礎が築かれる。そして、後期の大乗仏教をオリジナルに近い形で継承してきたチベット仏教への関心が、国際的に高まってゆくのである。

1928年には、『チベット死者の書』が、エヴァンス・ヴェンツの翻訳により西洋へ伝えられ、大きな反響を呼んだ。死者の書は、1960年代ヒッピームーブメントの中で、脱物質主義のバイブルとして再び注目され、1970年代以降には、その臨死体験との共通性が脚光を浴びる。中華人民共和国チベット侵攻により、ダライ・ラマを筆頭に多くの僧侶が亡命したことを契機に、20世紀後半から、チベット仏教は世界的に支持者を獲得してゆく。

哲学者のエドガール・モランは、「西洋は、自身の東洋を抑圧しつつ形成された」と述べている。この視点に立てば、西洋人にとって、東洋思想の受容は、抑圧されてきた内面の解放であったと言える。

現代の動向[編集]

科学的アプローチ[編集]

1970年代から現在にかけては、臨死体験や「生まれ変わり」といった、「死後の生」を示唆し得る事例の収集と研究が進んだ。これらは、主にメディアを通して、現代人の死生観を変化させている。

1975年以降、レイモンド・ムーディ臨死体験を調査報告したことをきっかけに、光の存在との遭遇や、亡くなった親類との再開、体外離脱など、危篤状態における同様の神秘体験の報告が、急速に増加してゆく。これは、第二次世界大戦後の救急医学の進歩により、危篤患者の蘇生する確率が上がったためである。

その中でも、ソ連崩壊チェルノブイリ原発事故湾岸戦争など、将来の重大事件を体験中に見せられたダニオン・ブリンクリーや、脳機能の完全に停止した状態で体外離脱を経験し、自らの手術の様子を正確に描写したパム・レイノルズなどは、現在のところ脳内現象説では十分に説明できない特異な事例である。

1987年イアン・スティーヴンソンは、信憑性が高いと見なした多数の「生まれ変わり」事例を発表する。また、「過去生」への退行催眠も、アレクサンダー・キャノン(1950)を始まりとして、ジョエル・ホイットンヘレン・ウォムバックらにより、1970年代以降、盛んに研究される。こうして、それまではタブーであった「輪廻」事例の研究が、正規の大学に所属する研究者によっても本格化してゆく。

日本の場合[編集]

日本においても、西洋でのスピリチュアリズムの台頭とほぼ同じ時期の幕末、『仙境異聞』や『神界物語』など、平田篤胤とその門下による死後世界の研究や、天理教金光教黒住教など、「神がかり」による教派神道の成立が相次ぐ。明治以降には、鈴木大拙により禅が西洋に紹介され、また、やはり鈴木によりスウェーデンボリなど西洋の神秘思想が日本にも伝えられる。大正期には、当時もっとも実施的な心霊研究をしていた[24]大本が巨大教団へ成長し、後の新宗教の源流の一つとなった。時代が昭和に入ると、大本を離れた浅野和三郎心霊科学研究会を中心に、西洋のスピリチュアリズムが日本へ本格的に紹介されてゆく。

脚注[編集]

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  1. ^ スピリティズム(英:spiritism)は、心霊主義の教義・儀式、または19世紀フランスのアラン・カルデックによる心霊主義の思想も指す。
  2. ^ a b Braude, Ann Braude (2001). Radical Spirits: Spiritualism and Women's Rights in Nineteenth-Century America, Second Edition. Indiana University Press. p. 296. ISBN 0-253-21502-1. 
  3. ^ Britten, Emma Hardinge (1884). Nineteenth Century Miracles: Spirits and their Work in Every Country of the Earth. New York: William Britten. ISBN 0-7661-6290-7. 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 吉村正和 著 『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』河出書房新社、2010年
  5. ^ Times, New York (29 November 1897). THREE FORMS OF THOUGHT; M.M. Mangassarian Addresses the Society for Ethical Culture at Carnegie Music Hall. The New York Times. p. 200. 
  6. ^ 現在は疑似科学に分類されるが、当時は科学と考えられていた。
  7. ^ 唯心論は必ずしも物体の存在を否定するものではない。
  8. ^ 唯心論(スピリチュアリスム)と心霊論(スピリティスム) : ベルクソン哲学における催眠・テレパシー・心霊研究 藤田尚志 フランス語フランス文学研究 (91), 168-183, 2007-09-20
  9. ^ 長山正義 「スピリチュアリティの考察」大阪市立大学看護学雑誌 第4巻 2008.03
  10. ^ 世界最古の原典エジプト死者の書 11P
  11. ^ a b 世界最古の原典 エジプト死者の書 P4
  12. ^ a b チベットの死者の書 
  13. ^ ロチェスター・ラッピング(Rochester Rapping)とも呼ばれる。
  14. ^ a b c d [科学と非科学 : 英国19世紀心霊主義からの教訓 岡本正志 京都教育大学教育実践総合センター] 物理教育 49(4), 388-391, 2001-09-20 日本物理教育学会
  15. ^ a b 「心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代」吉村正和 著 Kousyoublog
  16. ^ 古代霊は語る P133
  17. ^ スピリチュアリズム至上の優れた霊界通信 アラン・カルデックと霊の書 10行目
  18. ^ 霊界通信とは
  19. ^ 古代霊は語る P138
  20. ^ 古代霊は語る P138
  21. ^ 古代霊は語る P138
  22. ^ 高級霊の判断基準 (12)通信霊が、スピリチュアリズムの指導的立場にある 15行目
  23. ^ 不思議研究所ドットコム:ドクターフリッツ
  24. ^ 浅野和三郎より引用

参考文献・外部リンク[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]