ジョン・ラスキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジョン・ラスキン

ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819年2月8日 - 1900年1月20日)は、19世紀イギリス・ヴィクトリア時代を代表するの評論家美術評論家である。同時に芸術家のパトロンであり、設計製図や水彩画をこなし、社会思想家であり、篤志家であった。ターナーやラファエル前派と交友を持ち、『近代画家論』を著した。また、中世ゴシック美術を賛美する『建築の七燈』『ヴェニスの石』などを執筆した。

経歴[編集]

富裕な葡萄酒商人の一人っ子としてロンドンに生まれ育った。両親はいとこ同士であり、母親の実家は宿付きの居酒屋を経営していた。母親が非常に熱心な福音派の信者であったため、幼いころから聖書の暗記を命じられるなど、学校には行かずに両親と家庭教師によって宗教色の強い教育を受けた。そのため、友人もなく、子供らしい遊びもしなかったが、家族でヨーロッパをしばしば旅したことで、自然に親しみ、動植物や風景を観察し、スケッチする習慣を身に付けた。

オックスフォード大学クライストチャーチ校に高額授業料納入特別学生として進学するが、大学になじめず病気を繰り返した。家族の結びつきは入学後も強く、母親は大学のすぐ近くに仮住まいし、週末には父親も合流するような過保護な生活だったが、詩作に才能を発揮し、在学中に詩の賞を受賞している。ターナーとの交流からその芸術を擁護するエッセイを執筆、批評活動へ入る。上昇志向の強かった両親はラスキンが聖職者か桂冠詩人になることを望んでいたが、ターナー作品をコレクションしたり、ターナーやさまざまな画家を自宅に招くなどしてラスキンの活動を支援している。代表作の『近代画家論』のために、家族で何度もヨーロッパへ取材旅行にも出かけている。

1848年にエフィー・グレイ(Effie Gray, 1828年 - 1897年)と結婚する。ラスキンは精神的・経済的スボンサーとしてラファエル前派の画家たちを支援しており、その一人、ジョン・エヴァレット・ミレーと1853年にスコットランドを旅した際、妻エフィーとミレーが恋仲になってしまう。エフィは、夫の身体的理由によって実際の夫婦生活は無かったとして離婚を申し立て、1854年に離婚に至った。エフィーは離婚後すぐにミレーと再婚し、8人の子をもうけたほか、複数の絵画のモデルになっている。

最初はロンドンの労働者専門学校で教鞭をとったが、オックスフォード大学の教授職(1869年 - 1879年)に転ずる。オックスフォードではルイス・キャロルと親しくなり、キャロルによって写真を撮影されている。『不思議の国のアリス』のモデルであるアリス・リデルの美術の家庭教師もしていた。オックスフォードのラスキン・カレッジは彼の名にちなんでいる。父の死後、財産の相続を受けたが、社会主義者としての信条からその多くを投げ打って複数の慈善事業を行った。

ラスキンは1858年から、ある裕福なアイルランド人家庭の子供たちに美術を教えていたが、その中のひとり、9歳のローズ(Rose La Touche)に魅了される。ローズが18歳まで家庭教師を続けたが、彼女が16歳になると、何度も結婚を申し込んだ。しかし、宗教が違うことを理由に断られる。1875年にローズが27歳で急死したことが伝えられると、ラスキンは精神的に強いダメージを受け、しばしば発作に見舞われるようになった。亡くなったローズと会話するために、スピリチュアリズムの研究も始めた。

1878年、ホイッスラーの作品を酷評したことが原因で名誉棄損でホイッスラーから訴えられ、法廷闘争に巻き込まれる。ラスキンは敗北したものの、精神的な病からのものとして、賠償金はわずか1ファージング(4分の1ペニー)だった。ただし、この敗北によってラスキンは名を落とし、さらには精神活動の低下をうながした可能性もある。晩年は湖水地方の湖岸のブラントウッドに居宅を構え、定期的な文化講義を行なったり、文化財保護運動、ナショナル・トラストの創設などに関わった。

ラスキンの美術に関する考えは、一言で言えば「自然をありのままに再現すべきだ」ということであった。この思想の根幹には、神の創造物である自然に完全さを見出すという信仰があった。

また、ターナーの描いた裸婦画を「イメージを壊す」という理由で全て焼却処分してしまっている。

水彩[編集]

水彩をこよなく愛していたようでかなり水彩で作品を出していた。

またこんなことを言っている。 「水彩、最も美しい芸術」 こよなく愛していたことをうかがわせる。

著作[編集]

  • 建築の七灯The seven lamps of architecture
  • ヴェネツィアの石 (The stones of Venice
  • 胡麻と百合 (Sesame and lilies
  • 近代画家論 (Modern painters
  • この最後の者に (Unto This Last
  • 芸術経済論 (The political economy of art

主な訳書[編集]

  • 『ゴシックの本質』(川端康雄訳、みすず書房、2011年)
  • 『建築の七燈』(杉山真紀子訳、鹿島出版会、2003年)
  • 『この最後の者にも ごまとゆり』(中央公論新社中公クラシックス〉、2008年、解説富士川義之
  • 『プルースト=ラスキン「胡麻と百合」』(吉田城訳・解説、筑摩書房、1990年)
  • 『風景の思想とモラル 近代画家論 風景編』(内藤史朗訳、法蔵館、2002年)
  • 『芸術の真実と教育 構想力の芸術思想 近代画家論 原理編』(全2巻、内藤史朗訳、法蔵館、2003年) 
  • 『ヴェネツィアの石 建築・装飾とゴシック精神』(内藤史朗訳、法蔵館、2006年)
  • 『芸術経済論 永遠の歓び』(宇井丑之助・宇井邦夫訳、巌松堂出版、1998年)
  • 『アミアンの聖書』(高橋昭子・芳野宣子・竹中隆一訳、ぱる出版、1997年)
  • 『ヴェネツィアの石』(全3巻、福田晴虔訳、中央公論美術出版、1994-1996年) 
    • 大著、1.「基礎」篇、2.「海上階」篇、3.「凋落」篇

戦前刊の訳書[編集]

  • 『空の女皇』(御木本隆三訳、東京ラスキン協会刊、1932年)、ほか多数刊
    • 復刻版、ゆまに書房〈神話学名著選集14〉、2005年
  • 『近世画家論』全4巻 (御木本隆三訳、春秋社・世界大思想全集、1932-1933年)
  • 『胡麻と百合』(石田憲次・照山正順訳、岩波文庫、復刊1987年ほか)、各初刊は戦前
  • 『建築の七灯』(高橋松川訳、岩波文庫、復刊1991年ほか)同上
  • 『この後の者にも 経済の第一原理に就いて』(西本正美訳、岩波文庫、復刊1987年ほか)同上
  • 『芸術経済論 永遠の歓喜とその市場価格』(西本正美訳、岩波文庫、復刊1987年ほか)同上

ラスキンを扱った文献[編集]

  • 大熊信行『社会思想家としてのラスキンとモリス』論創社(2004年)
  • 白石博三『ラスキンとモリスとの建築論的研究』中央公論美術出版(1993年)

その他[編集]

  • エア提督が植民地での反乱を弾圧したジャマイカ事件(1865年)の際には、エア擁護委員会に加わった。


影響[編集]

ラスキンはヴィクトリア朝からエドワード朝にかけて、社会に美術批評の枠を超えた大きな影響力を持った。ラファエル前派ウィリアム・モリスらの芸術観もラスキンの影響を抜きには語れない。

  • レフ・トルストイは、ラスキンを「自身の心で考える稀有の人物の一人」と評した。
  • 夏目漱石は、『文学論』でラスキンの美学を紹介している。
  • 真珠王御木本幸吉の一人息子隆三(1893年 - 1937年)は、旧制一高時代にラスキンの著作に出会い、オックスフォード大学留学でラスキンの研究に情熱を注ぎ、銀座に「ラスキン文庫」を開設した。
  • マルセル・プルーストはラスキンに傾倒しており、著作のフランス語訳まで行っている。文体でも影響を受けた。
  • ガンディーもラスキンの著作に影響を受けたという。
  • ラスキンと元妻エフィーと画家ミレーの三角関係は大スキャンダルであったため、今でもイギリスでは多くの映画やテレビドラマの素材になっている。また、少女ローズへのラスキンの愛の言葉の断片を集め、ロマンチックなストーリーに仕立てた"Ruskin's Rose: A Venetian Love Story" (『ヴェネチアの薔薇』)という本も2000年に出版された(ローズに当てた実際の手紙は彼女の家族によって焼却されている)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]