P・T・バーナム

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P.T. バーナム (1855年乃至1865年)

フィニアス・テイラー・バーナム(Phineas Taylor Barnum、1810年7月5日 - 1891年4月7日)は、アメリカ合衆国興行師。その愉快な「ホラ話」(hoax)と、サーカス(後のリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス)を設立したこととで、最も良く知られている。

生涯[編集]

P・T・バーナムは、コネチカット州ベサルで生まれた。彼の父は、宿屋兼商店の主人だった。

バーナムは、商店主として出発したが、当時アメリカで猖獗を極めていた宝くじブームに浮かれ、事業に失敗する。

その後、彼は1829年にダンバリィにおいて週間新聞『ザ・ヘラルド・オブ・フリーダム』を創刊した。この新聞での数件の名誉毀損訴訟及び一件の訴追を受けた結果、彼は収監されることとなった。

その後1834年ニューヨーク市に移り住み、1835年に、ジョージ・ワシントンの元乳母で160歳を超えているとの評判があった黒人奴隷の女性、ジョイス・ヘス(Joice Heth)を買い取って見世物にすることで、興行師としての人生を始めた。

この女性自身の存在とちょっとした付け足しをもとに、P・T・バーナムは、非常に巧妙な宣伝を行って、1836年のジョイス・ヘスの死亡(その際、彼女の年齢は70歳を超えないことが判った)後の1839年までアメリカにおける巡業を成功させた。

その後一時期不振だったが、1841年に、ニューヨーク市にあった「スカダーのアメリカ博物館」を買い取り、これに相当の補強をして「バーナムのアメリカ博物館」(Barnum's American Museum)と名付け、ここを拠点に国内で最も人気がある興行の一つにした。

1842年には、「親指トム将軍」 ("General Tom Thumb" ) として有名な矮人・チャールズ・ストラットンの見世物で大当たりをとった。インディアンのダンス団「フー・フム・ミー」を作って彼らに伝統的なダンスを踊らせ、これも評判となった。

1844年から45年にかけて、バーナムは、「親指トム将軍」を連れてヨーロッパ巡業を行ない、ヴィクトリア女王にも面会した。

彼が立てた注目すべき企画の一例としては、スウェーデンの女性歌手・ジェニー・リンドと、米国において一晩1000ドルで150公演行う(費用は全額興行主もち)と云う契約をしたことがあげられる。この巡業は1850年に始まった。

バーナムは、1855年にいったん興行界から引退したが、債権支払いを迫られたため、1857年に興行師・展示館経営者としての以前の人生を再開した。

1871年には、彼はニューヨーク市ブルックリンの「バーナムのアメリカ博物館」で、サーカス動物園フリークス・蝋人形展示をない交ぜにしたものを巡業させる「地上最大のショウ」を設立した。

1872年、サーカス業界初の興業列車を立ち上げる。サーカス団の規模拡大に伴い、馬車での移動では全米中の興行が困難となり、その解決策として発案。以来このサーカス列車は、他のサーカス団でも採用された。

1881年、彼は、ジェームズ・ベイリーが経営していた「クーパー・アンド・ベイリー・サーカス」と合併して、「バーナム・アンド・ベイリー・サーカス」とし、世界中を巡業した。このサーカスの一番の呼び物は、バーナムがロンドン動物園から買い取ったアフリカ象ジャンボだった。

P・T・バーナムの死後、1909年(あるいは、1907年? )に、彼のサーカスはリングリング兄弟 (Ringling Brothers) に売却され、リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスとなった。

著作[編集]

P・T・バーナムには、著作が数冊ある。

関連項目[編集]

映画[編集]

外部リンク[編集]