中観派
| 仏教 |
|---|
| 基本教義 |
| 縁起 四諦 八正道 三法印 四法印 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 一切皆苦 波羅蜜 |
| 人物 |
| 釈迦 十大弟子 龍樹 |
| 信仰対象 |
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| 聖地 |
| 八大聖地 |
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中観派(ちゅうがんは、(sanskrit) maadhyamika माध्यमिक)は、インド大乗仏教哲学において、瑜伽行派(唯識派)と並ぶ2大潮流の一つであり、龍樹(りゅうじゅ、(sanskrit) naagaarjuna、150年 - 250年頃)の『中論』の著作によって創始された。
目次 |
[編集] 教理
[編集] 「縁起」の思想
中観派の教理は、般若経の影響を受けたものであり、その根幹は、「縁起」「無自性(空)」である。
(ただし、こうした発想は、当人達も強調しているように、釈迦の時代の初期仏教から説かれているものであり、これらが特段、彼らの独創というわけではないという点は、誤解の無いように注意してもらいたい。彼らの業績の意義は、専らこうした発想を、他派に対して固守したこと、あるいは強調・拡張したことにあるのであって、その独創性にあるわけではない。)
この世のすべての現象は、存在現象も含めて、原因(因)と条件(縁)によって生起(縁起)しており、その現象はそのまま他の現象の原因もしくは条件となっている。このため、存在現象にそれ独自の固有な本性があるわけではない「無自性」(無我)であり、存在現象自体が「空性(くうしょう)」「仮名(けみょう)」「仮説・仮設(けせつ)」であり、存在現象は「空」「仮」という「相」を持っているとする。
このように、「縁起」の発想を徹底することで、あらゆる現象の相互依存的な「無自性(空性)」を理解し、それによって、「八不」(不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去)として斥けられている、(常見・断見のような)両極の偏った見解(二辺)に陥らず、「中」(中道・中観)の立場を獲得・維持することが、『中論』及び中観派の本義である。
この「無自性(空)」の教えは、これ以後大乗仏教の中心的課題となり、禅宗やチベット仏教などにも大きな影響を与えた。
(ただし、下述するように、中国仏教・日本仏教のような漢字文化圏においては、翻訳上の問題や、「空」という字義の強さゆえに、『中論』の本来の意味からはややズレた、必要以上に複雑な解釈が、歴史的に流通してきた面があることも、併せて踏まえておく必要がある。)
[編集] 天台宗の「三諦偈」「一心三観」「円融三諦」
天台宗の教理を通して、中観思想を理解しようとする際には、注意が必要である。
慧文禅師に始まる天台宗では、クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)による漢訳『中論』の、第24章18詩である、
「衆因縁生(因縁所生)の法、我即ち是れ無(空)なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦是れ中道の義なり。」
(どんな縁起でも、それを我々は空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。)
における「空」「仮」「中」を、それぞれ別々の真理(諦)と捉え(「空諦」「仮諦」「中諦」)、この文を、その「三諦」を説いているものとして「三諦偈」と呼ぶ。
ここでは、「空」と「仮」が、「無」(断見)と「有」(常見)の「二辺」として捉えられてしまっており、その「空観」と「仮観」の対立から、「中観」(「非有非空の中道」)を見出すこと、あるいは、これら「三諦」を一体的なものとして観ずること(「一心三観」「円融三諦(三諦円融)」)などが、説かれる。
しかしながら、上述したように、『中論』の原義から言えば、「空」(空性)も、「仮」(仮名・仮説・仮設)も、「中」(中道・中観)も、全て、「縁起」「無自性」の言い換えであり、同じ内容を違う言葉・表現で言い表してるだけ、ただの「同義語」として使用しているだけに過ぎないのであり、ましてや、「空」や「仮」を、「無」(断見)や「有」(常見)の「二辺」と混同してしまうような、上記の捉え方は、端的に言って、解釈としては、明確に誤りである[1]。
(ちなみに、三論宗の宗祖である嘉祥大師吉蔵もまた、(全面的ではないにしろ)こうした「三諦」の解釈を承認していた。)
こうした天台宗的な「誤解」を、前向き・好意的に捉えることもできなくはないが、少なくとも、『中論』の正確な理解や、その主旨である「縁起」「無自性」の正確な読み取りを考える上では、確実に妨げになるということだけは、踏まえておいてもらいたい。
[編集] 成立経緯・特徴
「縁起」「無自性(空)」を中心とする中観派の思想は、今日においては、大乗仏教を中心に、仏教のオーソドックスな見解となっているため、その意義を理解するには、その成立過程や、それ以前の仏教思想との差異を見ていく必要がある。
ナーガールジュナ(龍樹)が書いた『中論』は、論駁の書であり、その主たる論敵は説一切有部を中心とした、いわゆる小乗仏教・アビダルマ仏教の諸派である[2]。(ただし、『成実論』等にその思想が表されている経量部のように、中観派と近い考えを持った部派がいたことも、踏まえておく必要がある。) 彼らが説く「有自性」「法有」に対して、「縁起」とそれらが両立せず、矛盾することを帰謬論証(背理法、プラサンガ)で以て示し、「無自性」「法空」を説くのが『中論』であり、その思想を引き継ぐのが中観派である。
このように、「縁起の徹底」と、それを以ての「他派の論駁」(破邪)、これが中観派の成立経緯であると同時に、特徴であると言える。
また、「これがあるから、かれがある」といった「縁起」の発想それ自体は、釈迦の時代の初期仏教から説かれているものであり、中観派の思想は、一見何の変哲も無いように思えるが、釈迦の時代の「縁起」が、「十二因縁」のような順次的・直線的なものであるのに対し、中観派の「縁起」は、「光があるから影がある」「長があるから、短がある」といった相互依存性・相対性に焦点が当てられたものであり、より拡張されたものになっている[3]。
[編集] 歴史
[編集] 初期中観派
龍樹に続いて、その弟子の提婆(だいば、聖提婆・聖天、(sanskrit) aaryadeva、170年 - 270年頃)が『百論』『広百論』の著作によって教えを体系化した。
[編集] 中期中観派
その後、仏護(ぶつご、buddhapaalita、470年 - 540年頃)、清弁(しょうべん、bhaavaviveka、490年 - 570年頃)、月称(げっしょう、candrakiirti、650年頃)などの学者が輩出し、空性を体得する方法論で議論を深めた。
ことに清弁は、唯識派の陳那(じんな、dignaaga、480年 - 540年頃)の認識論・論理学を自己の学説に導入して方法論を構築したが、この態度を月称を代表とするグループによって批判された。
清弁系を、自立論証派 (svaatantrika) と呼び、月称系統は、仏護なども含めて帰謬論証派(きびゅう-)(praasaNgika) と呼んでいる。
[編集] 後期中観派
8世紀には、清弁系統を継いで、7世紀の唯識学派の法称(ほっしょう、dharmakiirti)の論理学や認識論を中観の立場から解釈した、ジュニャーナガルバ、寂護(じゃくご、zaantarakSita、725年 - 784年頃)、蓮華戒(れんげかい、kamalaziila、740年 - 794年頃)、ハリバドラらが活躍した。彼らは、中観の学説の下に瑜伽行唯識学派の学説を配置することによって両学説の統合を図った。こうした折衷的立場は、それぞれの名から瑜伽行中観派とも呼ばれる。
ところが、11世紀以降には、ふたたび月称系統の流れが盛んとなり、アティシャやプラジュニャーカラマティなどの学者が輩出する。さらに、チベットにも中観派の教えが伝えられツォンカパ(1357年 - 1419年)などに継承されている。
[編集] 系譜
中観派の主な系譜は以下の通り[4]。
| 初期 | ||
| スヴァータントリカ派(自立論証派) | プラーサンギカ派(帰謬論証派) | |
|---|---|---|
| 中期 |
|
|
| 後期1 | ||
| 後期2 |
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[編集] 影響・伝播
[編集] 中国・日本
中国・日本に伝えられた中観派の教えは、初期の龍樹・提婆のものが伝えられ、それ以降の論書はほとんど当時は伝わらなかった。彼らの『中論』『百論』『十二門論』の教えを中心とするので、三論宗と呼ばれた。
[編集] チベット
チベット仏教と中観派のつながりは、思想面に限らず様々な面でとても深い。というのも、地理的・歴史的条件ゆえに、チベットの王が国家規模で仏教指導を請う先は、ナーランダー大僧院やヴィクラマシーラ大僧院等にならざるを得ず、そこから派遣され、チベット仏教を形作っていったインド僧は、この中観派に属する者(中観思想を信奉する者)が多かったからである。
まず、吐蕃のティソン・デツェン王に招請されたナーランダー大僧院のシャーンタラクシタ(寂護)は、チベット初の仏教僧院サムイェー寺を建立し、密教僧パドマサンバヴァと共に、チベット仏教の始祖となった。更に、その弟子であるカマラシーラ(蓮華戒)は、中国禅僧である摩訶衍との論争に勝利し、チベット仏教の方向性を決定づけた(サムイェー宗論)。
その後、吐蕃の滅亡に伴い、チベット仏教界は打撃を受けるが、グゲ王国が成立することで、復興が始まる。その際、グゲの王がヴィクラマシーラ大僧院から招請したのが、アティーシャであった。彼は中観思想と無上瑜伽タントラを信奉する、顕密統合志向の僧であったが、これが現在のチベット仏教の雛形となった。これは後に、最大宗派ゲルク派の祖となるツォンカパによって、確固たるものになる。
ツォンカパは、ブッダパーリタ(仏護)の『中論註』によって、帰謬論証派(プラーサンギカ派)的な中論理解に確信を抱き、アティーシャの『菩提道灯論』を参考にしつつ、『秘密集会タントラ』を中心とする密教との顕密統合の手がかりとした。
このように、チベット仏教と中観派は、思想的にも人的にも、とてもつながりが深い。そして、総合仏教たるチベット仏教の、密教面の柱が無上瑜伽タントラだとするならば、顕教面の柱はこの中観派の著作・思想と言っても過言ではない。
[編集] 近現代の解釈・評価
仏教学者の中村元は、「縁起」「空」を中心とした中観派の思想を、欧州や中国など、他地域の思想と比較し、神秘主義の1つである新プラトン主義(ネオプラトニズム)、とりわけ偽ディオニシウス・アレオパギタらの「否定神学」を、比較的近しいものとして挙げている[5]。絶対者は否定的にのみ把捉されうるという発想は、インドにおいてはリグ・ヴェーダ、ウパニシャッド哲学(つまりは、ヤージュニャヴァルキヤらの「真我(アートマン)」思想)以来の流れがあり、(釈迦による「無我」「縁起」への深化、および般若経と龍樹によるそれらの継承・焦点化・拡張を経て)この中観派において、それが(徹底した否定(肯定的論証における帰謬/背理の暴き出し)・相対化・関係化・流動化・脱中心化として)極致に至りつつ、ついにインド思想(ひいては東洋思想)の主流の一角を占めるまでになるが、それに対して、西洋においてはアリストテレス的(『形而上学』的)実体論(を背景とした『オルガノン』的肯定論証)から抜け出せず、こういった発想はせいぜい神秘主義の中で細々と継承される傍流に過ぎなかったという。(とはいえ、西洋においても、生成変化する諸現象の背後に変化しない絶対者を想定し、感覚認識を虚偽のものとして否定するエレア派の存在論、「万物流転」を説くヘラクレイトス、抽象概念を論理的に突き詰めると背理に陥ることを明かしたソクラテスの帰謬論証(背理法)など、仏教あるいはその前段階の思想と、ある程度の近似性を見せる水準の発想は、古代ギリシャのわりと早い時期に成立・普及していたこともまた、ちゃんと踏まえておく必要がある。)
20世紀以降、西洋でもアリストテレス的実体論批判が起こるが、中村はその中でも注目すべきものとして、(ノーベル賞も受賞した論理学者かつ数学者かつ哲学者である)バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』における実体論批判を引用している。その引用を一部以下に抜粋する。
『実体』という概念は、真面目に考えれば、さまざまな難点から自由ではあり得ない概念である。・・・諸性質を取り去ってみて、実体そのものを想像しようと試みると、われわれはそこに何も残っていないことを見出すのである。・・・実際には『実体』とは、さまざまな出来事を束にして集める便宜的な方法に過ぎない。・・・それは諸生起がひっかかっているはずの単なる空想上の「吊りかぎ」に過ぎない。・・・それは、多数の出来事に対する一つの集合的な名称なのである。・・・一言にしていえば、『実体』という概念は形而上学的な誤謬であり・・・
(『西洋哲学史』 市井三郎訳、上巻、205ページ)
なお、この「空」は、中国の道教における無(虚無)と混同されやすいけれども、異なるものであることも指摘している。(「有」や「無」といった見解(常見・断見)も、『中論』において明確に否定されている。「空」(शून्यता, Śūnyatā, シューニャター)というのは、「nihil, nothing」(無、虚無) ではなく、「empty」(空っぽ) ということであり、森羅万象が、それ自体として実体を持っているわけではない(「無自性」、であるがゆえに、因果(縁起)によって形作られる)ということを表している。)
また、「空」を基底とした発想は、単なるニヒリズム(虚無主義)であると誤解され、批判を受けやすいが、しかし一方で、こうした排斥も対立も無い真の基底の獲得は、生きとし生けるものへの肯定・慈悲へとつながり、実践を基礎づける効果をもたらす。これは神概念が包括性・完全性を担保し、基底となることで、他者への慈悲・愛へとつなげるキリスト教と(その深度こそ違え)構成的には類似しているという。
[編集] 出典・脚注
[編集] 関連項目
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