一ノ矢充
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )は鹿児島県大島郡徳之島町出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)所属の元大相撲力士である。得意手は押し、出し投げ、肩透かし。2007年11月28日の引退時点で現役最年長力士だった。昭和以降の最高齢力士、初の国立大学出身力士。本名は松田哲博。血液型AB型。最高位は東三段目6枚目(1991年7月場所)。
目次 |
[編集] 来歴
琉球大学理学部物理学科在学中に相撲部を興す。大学卒業後、決まっていた高校の物理の教職を蹴り国立大学出身力士として史上初の角界入りをし、元関脇・房錦の若松部屋に入門した。身長が規定に及ばず新弟子検査を合格することが出来ずに半年ほど過ぎたが、1983年(昭和58年)11月場所の新弟子検査で身長の計測係だった鏡山親方(元横綱・柏戸)のお情けで合格、前相撲から初土俵を踏んだ。
2005年(平成17年)1月場所では一番相撲(2日目)に瀧ノ音(伊勢ノ海部屋)と2人合わせて79歳という高齢対決、二番相撲(4日目)に新井(木瀬部屋)と当時戦後最大28歳差の対決が組まれ話題となった。同年9月場所では源武山(引退時44歳6カ月、最高位十両2枚目)を抜き昭和以降の高齢記録を更新した。さらに45歳となった2006年(平成18年)1月場所では、四番相撲(7日目、1月14日)に和木(東関部屋、当時15歳9カ月)との対決が組まれ新たに記録を更新し、戦後最大29年3カ月差の対決となった。現役最年長力士と現役最年少力士との対決となり、制したのは一ノ矢だった。
40歳になった頃から相撲記者から年齢に関する質問が増えたが、相撲を「武道」と位置づけた上で「年齢に関係なく、筋肉のつけ方や使い方によって強くなる相撲の本質があるはず。それを実践して証明したい。そう考えると年を取るのが楽しみ」と述べている。また、「年齢を競う競技ではない、体が動く限り続けたい」と常々語っている。部屋のちゃんこ長やマネージャーを務めるとともに部屋公式サイトの運営・更新を担当している。
2007年(平成19年)11月21日に1001回目の土俵に上がり(敗れて517敗目)、当11月場所限りで引退の意思と、2004年に取材で知り合った雑誌編集者と2008年2月2日に挙式を行うことを表明、現役引退後も引き続き部屋のマネージャーとして、陰から相撲界を支えるという。
[編集] エピソード
- 横綱・朝青龍の面倒を新弟子時代からずっと見続けていたため、朝青龍は横綱に昇進した現在も敬意を込めて「一ノ矢さん」とさん付けで呼んでいる。朝青龍は「彼ほど恐ろしい力士はいない」と一ノ矢を尊敬していると言う。
- 同じ1960年生まれでは横綱・旭富士のようにすでに部屋持ち親方となった力士がいる。
- 1984年3月場所から2006年1月場所まで22年間序二段以上を維持した。
- 最高位三段目以上の力士経験者に受験資格が与えられる日本相撲協会主催の相撲指導員に現・タレントの元関脇琴富士や現役の十両経験者豊乃國らとともに受験し、見事合格する。
- 2007年11月場所までは、蔵前国技館を経験している数少ない現役力士の一人だった(あとは元十両・栃天晃のみ)。
- 朝青龍が新小結であった豊ノ島との稽古中に豊ノ島に怪我を負わせた時、ホームページ上に朝青龍を擁護しているとも取れる内容の日記を載せている。
- かつて1960年代に一ノ矢という同じ四股名の関取がいた。その一ノ矢の曾祖父は明治時代の大関一乃矢藤太郎で高砂部屋の所属だった。
[編集] 主な成績
- 通算成績:484勝518敗6休 勝率.483
- 通算在位:145場所
- 序二段優勝:2回(1989年7月場所、1993年1月場所)
[編集] 改名歴
- 徳の島 哲広(とくのしま てつひろ)1983年11月場所-1984年11月場所
- 徳錦 哲博(とくにしき-)1985年1月場所-1986年1月場所
- 一ノ矢 充(いちのや みつる)1986年3月場所-2007年11月場所
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- HYPER 高砂部屋 - 高砂部屋公式サイト。一ノ矢が管理し、コラムも書いている。
- 相撲を科学する一ノ矢 - 九州日刊スポーツ
|
|
|

