富岡八幡宮
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| 富岡八幡宮 | |
|---|---|
| 所在地 | 東京都江東区富岡 |
| 位置 | 北緯35度40分19.44秒 東経139度47分58.61秒 |
| 主祭神 | 品陀和気命他八柱 |
| 社格等 | 旧府社、別表神社 |
| 創建 | 寛永4年(1627年) |
| 例祭 | 8月15日 |
| 主な神事 | 粟島神社献針祭、七渡神社例祭、富士浅間神社例祭他 |
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある東京都最大の八幡神社。
目次 |
[編集] 歴史
寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建された。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて60,508坪の社有地を得、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けた。また、町民層にも「深川の八幡様」と親しまれた。
明治から終戦までの社格は、延喜式神名帳に記載がないため府社と決して高いものではなかったが、勅祭社(官幣大社のうち特に重視された神社及び別格官幣社の靖国神社)に準ずる准勅祭社に治定され、依然尊崇を受けた。 別当寺院として永代寺があったが、明治維新の神仏分離令によって廃寺。現在の永代寺は、明治29年(1896年)に再建されたものである。
昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲により焼失。その直後の3月18日、被災地を視察した昭和天皇が富岡八幡宮に立ち寄り、境内で被害状況の説明を受けた。その帰り、侍従長藤田尚徳に「今度の場合は、はるかに無残な感じだ。コンクリートの残骸などが残っているし、一段と胸が痛む。悲惨だね。侍従長!これで東京もとうとう焦土になったね」(昭和天皇は皇太子摂政時代に関東大震災被災地を視察している)と感想を語ったという。境内には天皇陛下御野立所の碑と天皇陛下御製碑がある。
また、敷地内には江戸時代の測量家である伊能忠敬の像がある。伊能忠敬は、当時深川界隈に住居を構え、測量の旅に出かける際は、安全祈願のために、富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年に当八幡宮の境内に銅像が建立された。
[編集] 祭神
その他、境内には各地から勧請された末社が計17社におよぶ
[編集] 祭礼
祭礼は、毎年8月15日を中心に行われる。深川八幡祭、深川祭とも呼ばれ、江戸時代から、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と並ぶ「江戸三大祭」の一に数えられている。 3年に1度(前回は2005年(平成17年)、次回は2008年(平成20年))、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、江戸三大祭のそれぞれについて「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と言われてきたように、大小あわせて120余基の神輿が担がれる。8月15日に最も近い日曜日には、大神輿54基が勢揃いする連合渡御が行われる。各町の氏子が午前7時から午後5時まで江東区から中央区にかけて約10キロメートルの道程を各町の神輿を担いで歩くさまは壮観であり、「勇壮なる天下無双」と言われている。神輿のお清めと担ぎ手の暑さ対策のために次々に神輿に水がかけられることから、「水かけ祭り」の別名もある。 担ぎ手の声は、昔ながらの「ワッショイ」に統一され、「コリャサ」、「ドッコイ」といった合いの手も入る。今では珍しくなったが、地元の睦会や青年部が中心になって祭りを盛り上げている。 本社の一の宮神輿は日本最大の神輿として有名であり、神輿倉に展示されているが、あまりに大きいが故に交通事情から、1991年(平成3年)に初渡御が行われただけで実用ではなく展示品としての扱いであり、本祭りの翌年の例大祭では、一回り小さい本社の二の宮神輿が担がれている。その翌年、すなわち本祭りの前年の例大祭では、子供神輿の連合渡御が行われている。
[編集] 年中行事
- 1月
- 元旦-歳日祭
- 2月
- 節分-節分祭
- 8日-粟島神社献針祭
- 6月
- 17日-七渡神社例祭
- 30日-大祓式
- 7月
- 1日-富士浅間神社例祭
- 8月
- 15日-例祭
- 11月
- 月中-七五三祝祭
- 酉の日-酉の市
- 12月
- 31日-大祓式
[編集] 相撲とのかかわり
江戸勧進相撲の発祥の地としても知られ、しばしば境内で本場所も開催された。特に明治維新以降、幕府や大名家の加護を失った相撲界が、神道色を鮮明にすることで生き残りをはかったためもあり、結びつきが強まった。現在も新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われるほか、相撲にまつわる数々の石碑が建つ。
[編集] わんぱく相撲
[編集] 関連項目
- 神田祭
- 山王祭
- 成田山東京別院深川不動堂(深川不動堂、深川不動尊)
- 富岡八幡宮 (横浜市)

