亀戸天神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
亀戸天神社
亀戸天神社拝殿
所在地 東京都江東区亀戸3丁目6番1号
位置 北緯35度42分10秒
東経139度49分15秒
座標: 北緯35度42分10秒 東経139度49分15秒
主祭神 天満大神
天菩日命
社格 府社
創建 寛文元年(1661年)
例祭 8月25日
テンプレートを表示
鳥居
拝殿前の橋
本殿の南西側
本殿の向こうに見えるスカイツリー

亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社天満宮)である。菅原道真を祀り、学問の神様として親しまれている。特に1,2月の受験シーズン土曜・日曜には、道真の加護を求めて絵馬を奉納する受験生で境内が溢れる。

通称 亀戸天神、亀戸天満宮、東宰府天満宮。

祭神[編集]

由緒[編集]

正保年間(1644年 - 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして1661年寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。

当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして1662年(寛文2年)、地形を初め社殿楼門回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。

古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、1873年明治6年)に府社となり亀戸神社、1936年昭和11年)に現在の亀戸天神社となった。

主な祭事[編集]

うそ替え神事[編集]

例年1月24日 - 25日。縁起物である木彫りの鷽ウソ)が授与される。「去年の悪(あ)しきはうそ()となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによる。

木彫りの鷽は、高さ5 - 22cmくらい、白木の円柱に上部3分の1位が荒削りされ、頭部と腹部となり、背後は削り掛けの手法で尾羽が切り込まれる。彩色は頭が黒、胸は朱、背の羽は緑と黒である。

梅まつり[編集]

例年2月第2日曜日から3月第2日曜日まで。

藤まつり[編集]

藤まつりの様子

4月25日から5月5日まで。敷地内の藤棚が一斉に開花し、神社中が一面藤色に染まる。太鼓橋の上から見渡すことで、一面の藤棚を上から見下ろすことができることも特徴。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所であり、亀戸以外からも観光客が訪れる。同時に学業講祭も行われ、学業祈願の祈願者も多く訪れる。

菊まつり[編集]

例年10月下旬から11月下旬まで。

摂末社[編集]

御嶽神社[編集]

御嶽神社の鳥居

道真の教学上の師である延暦寺第十三代座主、法性坊尊意僧正を祀る。「卯の神」として知られ、正月初卯、二の卯、三の卯には、卯槌や卯の神札が授与される。

正月の初卯詣は江戸時代から大変賑っていたことが『東都歳事記』に記されている。卯杖と卯槌は1831年天保2年)の卯年から売られるようになったが、当時の卯杖と卯槌の形状は『日本民俗図志』に描かれている[1]明治になっても初卯詣は人気があり、芸者と旦那がこぞって初卯詣をしていたことが1875年(明治8年)1月7日の『東京日日新聞』の記事となった。初卯詣には陸路のほかに亀戸天神社の西側を流れる横十間川の水路を使った[2]

花園社[編集]

道真の妻である島田宣来子および14人の子供を祀る。寛文年間に筑前花園より勧請を受けたものである。安産、子宝、立身出世の守護神として信仰されている。

弁天社[編集]

1665年(寛文5年)7月に太宰府天満宮心字池畔の志賀社を勧請したもの。その後、亀戸天神の心字池を上野不忍池に見立て、この社を「弁天堂」と呼んだことから、七福神の1つである弁才天として信仰されるようになった。

紅梅殿[編集]

1662年(寛文2年)に太宰府天満宮の御神木である飛梅の実生を勧請したもの。現在の社は、1988年昭和63年)に再建されたものである。

神牛殿[編集]

神牛殿 神牛座像
神牛殿
神牛座像

菅原道真845年承和12年)6月25日の乙丑年に生まれ、903年延喜3年)に亡くなったが、葬送中、遺体を乗せた車を引く黒牛が動かなくなり、その場所を墓所と定めた。その後、その場所に社殿を建立し、御霊を祀ったことが太宰府天満宮の起源であり、その年も乙丑年であった。また、道真が京都から大宰府へ下向中、白牛によって難から逃れることができたという故事が伝えられている。道真と牛との縁は深い。神牛(しんぎゅう)座像は1961年昭和36年)、鎮座三百年祭時に社殿の復興とともに奉納された[3][4]

神牛に触ることにより病気を治し、知恵を得るといわれている。牛は天神の神使(みつかわしめ)として信仰されている[4]

舞殿[編集]

舞殿


境内[編集]

社務所
太鼓橋[5] - 男橋、女橋
亀戸天神社・太鼓橋・男橋.jpg 亀戸天神社・太鼓橋・女橋.jpg
男橋 女橋
男橋は、大鳥居を過ぎると最初にある橋。太宰府天満宮を模して造られた。池と橋を人の一生に見立てた「三世一念の理」に基づき、この橋は過去を表す[6]
女橋は、本殿の手前にある橋。この橋は希望の未来を表す[7]
本社の太鼓橋は歌川広重によって描かれ、『名所江戸百景』シリーズの「亀戸天神境内」として発行された。
亀井戸跡
おいぬさま
池のカメ
池のカメ
池にいるカメの種類は主にクサガメニホンイシガメミシシッピアカミミガメの3種である。また少数だがハナガメミナミイシガメスッポンウンキュウキバラガメなど各種のカメが観察されるが、そのうち多くがミシシッピアカミミガメで、次いでクサガメ、ニホンイシガメその他のカメはほんのわずかである。本社は学問の神である菅原道真を祀っているため、毎年、受験生が合格祈願に訪ずれる。その中には合格のお礼として本社を再び訪れ、池にカメを放流していく人が多い。本社としてはそういうきまりがある訳ではなく、亀戸という地名や池があることなどからこの行いが自然に広まった。その結果、現在のようにカメが多数棲息するようになった。ミシシッピアカミミガメが多い理由として、安価で入手しやすいため、持ってくるカメとしてこのカメが選ばれていると考えられる。ミシシッピアカミミガメは繁殖力が強く、また新たに放す人が跡を絶たないため増える傾向にある。ミシシッピアカミミガメの国内における帰化・個体数増加、またそれに伴う在来種、特にニホンイシガメの個体数減少は全国的な問題でもあり、その一端を縮図のごとく観察できる。テレビ局のスタッフが本社の神主に「カメたち、かわいいですね」と話しかけると、「うーん、私はそうは思わないんですけどねえ」という反応であった[8]


年中行事[編集]

  • 1月
    • 元旦:歳日祭
    • 1日 - 7日:新年祈願祭
    • 上旬:初卯祭
    • 24日 - 25日:うそ替え神事
  • 2月
    • 3日:節分追儺祭
    • 25日:菜種御供
    • 25日:紅梅殿例祭
  • 3月
    • 25日:神忌祭
  • 4月
    • 29日:藤花祭
  • 5月
    • 5日:開基別当祭
    • 5日:出世鯉放流
    • 第2日曜:花園社例祭
    • 25日:更衣祭
  • 6月
    • 25日:夏越祓
  • 7月
    • 25日:筆塚祭
  • 8月
    • 24日:弁天社例祭
    • 24日:御鳳輦渡御祭※
    • 25日:例大祭
    • 25日:献灯明
    • 26日:氏子御輿宮入り※
  • 9月
    • 25日:敬老延寿祭
  • 10月
    • 25日:更衣祭
  • 11月
    • 15日:七五三祝祭
    • 15日:出世鯉放流
    • 25日:新嘗祭
  • 12月
    • 25日:納め天神祭
    • 25日:古神札焼納式
    • 31日:大祓
    • 31日:除夜祭

※4年に1度

周辺情報[編集]

拝観料・拝観時間[編集]

  • 開門時間は24時間で、拝観料は無料。
  • 藤まつりのライトアップは夕方から夜9時まで。

アクセス[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ ウサギの日本文化史』(p134, p135)より。図は同書134ページに転載されている。
  2. ^ ウサギの日本文化史』(p289)より。
  3. ^ 亀戸天神社・神牛説明立て札より。
  4. ^ a b 亀戸天神社 「(7)神牛」『境内あちこち発見隊』。2009年12月27日(日)閲覧。
  5. ^ 半円形に反った橋 --『広辞苑』より。
  6. ^ 亀戸天神社 「(1)太鼓橋 男橋」『境内あちこち発見隊』。2009年12月27日(日)閲覧。より。
  7. ^ 亀戸天神社 「(2)太鼓橋 女橋」『境内あちこち発見隊』。2009年12月27日(日)閲覧。より。
  8. ^ 佐々木洋 『ぼくらはみんな生きている - 都市動物観察記』 講談社2004年、62-70頁。ISBN 978-4062120388より。
  9. ^ アクセス”. 亀戸天神社. 2011年5月2日閲覧。

参考文献[編集]

関連文献[編集]

関連情報[編集]