新川 (東京都中央区)

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新川(しんかわ)は、東京都中央区町名。現行行政地名は新川一丁目及び新川二丁目。旧称・霊岸島(れいがんじま、霊厳島とも書かれる)。郵便番号は104-0033。

目次

地理 [編集]

ライトアップされた永代橋(2008年11月)

東を隅田川、北を日本橋川、西・南を亀島川に囲まれた中州のような地形で、その結果が多く架かっている。北で日本橋川をまたいで日本橋小網町、北東で同じく日本橋川を跨いで日本橋箱崎町、東で隅田川を跨いで江東区佐賀越中島、南で同じく隅田川を跨いで、南西で亀島川を跨いで八丁堀、北西で同じく亀島川を跨いで日本橋茅場町と隣接する。明正通りから北が新川一丁目、南が新川二丁目にあたる。オフィスビルマンションなどの住宅地が混在する。

河川・橋梁 [編集]

歴史 [編集]

旧名である霊岸島の名は寛文元年(1661年)、この地に霊厳寺が建立されたことによる。霊厳寺は明暦の大火ののち深川に移転し、跡地は町地となって以後埋め立てによる拡張工事が行なわれた。旧京橋区内にあたる。昭和46年(1971年)、住居表示制度の実施により霊岸島・越前堀以下2町と旧新川を合併、現在の形となり、行政地名としての霊岸島は消滅した。

地名の由来 [編集]

現在の地名はこの地に流れていた新川に由来する。現新川一丁目内を亀島川から隅田川にかけて東西に流れていた新川は、万治3年(1660年)に豪商の河村瑞賢が開削したといわれる。『武江年表』によればこの年瑞賢が両国橋を架け替えたとされているが、新川を開削したかどうかは明らかではない。ただし瑞賢の屋敷が貞享の頃この新川付近にあったことは確かである。また江戸時代には川沿いに酒問屋が多く集まって繁盛していたと『江戸名所図会』には記されている。新川には一ノ橋・新川橋(二ノ橋)・三ノ橋・東新川橋が架けられ水路として活躍したが、1948年昭和23年)から戦後の残土処理のために埋め立てが開始され、昭和24年には完全に消滅した。

交通 [編集]

道路
路線バス

東京駅八重洲口を発着する路線バスが高頻度で運行されており、東京駅方面と当地区間を移動する場合、東京駅ホームが他と離れている京葉線八丁堀駅よりも便利な場合がある。

施設 [編集]

かつて山一證券本社ビルだった茅場町タワー(新川1丁目)
学校
  • 中央区立明正小学校
公園
所轄の警察署・消防署
企業

参考文献 [編集]

  • 『武江年表』(『江戸叢書』巻之十二)-齋藤月岑(1964年、名著刊行会)
  • 『角川日本地名大辞典13 東京都』-角川日本地名大辞典編纂委員会編(1978年、角川書店)
  • 『日本歴史地名大系13 東京都の地名』-(2002年、平凡社)

外部リンク [編集]