喧嘩両成敗
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喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)とは、中世日本の法原則の1つ。喧嘩に際してその理非を問わず、双方とも均しく処罰するという原則。
[編集] 概要
中世後半になると、社会が不安定となり、境相論などを訴訟によらず実力によって解決(自力救済)しようとする故戦防戦が頻発するようになる。こうした事態に対応するために、武断的・簡潔的に処理することを目的としたものである。その最古の例は文安2年(1456年)[要出典]に出されたものとされている。こうした考え方は戦国時代の分国法にも取り入れられ、今川氏の今川仮名目録では「喧嘩におよぶ輩は理非を論ぜず双方とも死罪」「喧嘩を仕掛けられても堪忍してこらえ・・とりあえず穏便に振る舞ったことは道理にしたがったと・・して罪を免ぜられるべき」(第8条)[1]とある。武田氏の甲州法度之次第には、「喧嘩はどの様な理由があろうと処罰する。ただし、喧嘩を仕掛けられても、我慢した者は処罰しない」とある。
こうした風潮は江戸時代前期まで慣習法として継続されるが、文治政治への転換の中で儒学者達からの批判を受けることとなった。もっとも喧嘩両成敗は分かりやすく、また双方納得しやすいことからその後も日本人の精神観としては現在まで脈々と受け継がれているともいえる。現代では特に子供の喧嘩の処断などで教師や親がこの理論が持ち出すケースが多い。また民間のみならず裁判所も喧嘩の正当防衛に関する判例で喧嘩両成敗を持ち出した例がある。[2]
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 大久保治男・茂野隆晴『日本法制史』(1988年、高文堂出版社) ISBN 4770700415

