カール・ウエレ

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カール・ウエレ
プロフィール
リングネーム ピエール・カール・ウエレ
ジャン=ピエール・ラフィット
ケベッカー・ピエール
ピエール・ウエレ
カール・ウエレ
X
クリス・キャノンボール
キラー・カール・ウォレス
ワイルド・ウォル・ウォレス
バッシュ・ザ・ターミネーター
本名 カール・ジョセフ・イヴォン・ウエレ
(Carl Joseph Yvon Ouellet)
ニックネーム PCO
身長 185cm
体重 111kg - 120kg
誕生日 1967年12月30日(46歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
ケベック州セント・キャサリン
トレーナー ジノ・ブリット
デビュー 1987年
引退 2011年
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カール・ウエレCarl Ouellet1967年12月30日 - )は、フランス系カナダ人の元プロレスラーカナダケベック州セント・キャサリン出身。

ジャック・ルージョーとのタッグチームザ・ケベッカーズ」や海賊ギミックの「ジャン=ピエール・ラフィット」など、1990年代WWFで中堅ヒールとして活躍した。

来歴[編集]

1987年に地元ケベックモントリオールにてデビュー[1]。インディー団体でキャリアを積んだ後、ネオナチギミックキラー・カール・ウォレスKiller Karl Wallace)に変身してカルロス・コロンの主宰するプエルトリコWWCに参戦[2]1992年5月には、クラッシュ・ザ・ターミネーターことビル・デモットのタッグパートナーとして、バッシュ・ザ・ターミネーターBash the Terminator)のリングネームW★INGプロモーションに初来日している。

WWF時代[編集]

1993年ケベック人の先輩ジャック・ルージョーの仲介でWWFに登場。ジャックのパートナーとなってピエールPierre)と名乗り、マウンティー・スタイルのザ・ケベッカーズThe Quebecers)を結成。ジョニー・ポロマネージャーに迎え、9月13日にリックスコットスタイナー・ブラザーズからWWF世界タッグ王座を奪取した[3]。以後、マーティ・ジャネッティ&1-2-3キッドモーメイブルのメン・オン・ナ・ミッションにタイトルを奪われるが、いずれも短期間で奪還、1994年4月26日にサムゥファトゥのザ・ヘッドシュリンカーズに敗れるまで、同王座を通算3回獲得した[4]

1995年、ジャックの一時引退に伴いシングル・プレイヤーに転向。少年時代にエアガンの事故で右眼の視力を失い隻眼であったことから[1]、黒いアイパッチを付けた海賊ギミックのジャン=ピエール・ラフィットJean-Pierre Lafitte)に変身する[5]ルイジアナ州ニューオーリンズフレンチ・クオーター出身を自称し、実在したフランス移民の海賊ジャン・ラフィットの末裔という設定のもと、入場中のブレット・ハートを急襲してリングコスチュームを強奪。以降、短期間ながらブレットとの抗争アングルが組まれ、PPVシリーズの『イン・ユア・ハウス』では、7月23日と9月24日の2回に渡って両者のシングルマッチが行われた[6]

また、ホームタウンのケベック州モントリオールで開催されたハウス・ショーでは当時のWWF世界ヘビー級王者ディーゼルと対戦。当初、この試合はウエレが地元で勝利を飾るはずだったが、当時WWFのバックステージにおいて発言力を増大させていたクリックショーン・マイケルズの反対に遭い、ダブル・カウントアウトの引き分けに終わっている[1][7]。その後まもなく、ウエレはWWFを離れた。

WWF以降[編集]

1996年9月よりWCWに移籍し、アメイジング・フレンチ・カナディアンズThe Amazing French Canadians)とチーム名を変更してジャック・ルージョーとのコンビを再結成。ナスティ・ボーイズハーレム・ヒートとも対戦し、モントリオールではザ・ジャイアントとのシングルマッチも組まれたが[8]、WWF時代のような活躍はできず翌1997年の半ばにWCWを解雇された[1]

以後、オットー・ワンツの主宰するドイツオーストリアのCWA遠征を経て、1998年ジョバーのポジションでWWFに復帰。7月20日の『Raw is War』では "WWF Brawl for All" の一回戦でスティーブ・ウィリアムスに敗退した。その後は当時のWWFのファーム団体だったテネシー州メンフィスのPPWにて、クリス・キャノンボールKris Kannonball)のリングネームで活動[8]1999年7月には、ピエールの名義で全日本プロレスに来日している[8]

2000年は本名のカール・ウエレとしてECWに参戦、フィラデルフィアECWアリーナにてジャスティン・クレディブルECW世界ヘビー級王座に挑戦した[9]。同年下期にはWCWに短期間再登場し、ランス・ストーム率いるチーム・カナダに加入。8月14日の『マンデー・ナイトロ』にて前王者ストームからWCWハードコア王座を譲り受けたが、同夜にノーマン・スマイリーに奪取された[10]

その後、IWAプエルトリコなどを経て、2003年覆面レスラーXに変身してTNAに登場、クリストファー・ダニエルズサンジェイ・ダットを相手に試合を行った[7]。以降はPCOことピエール・カール・ウエレPierre Carl Ouellet)を正式なリングネームに、IWS(International Wrestling Syndicate)やTOW(Top of the World Wrestling)などモントリオールのインディー団体で活動。WWEダーク・マッチにも時折出場し、2007年から2008年にかけてはトミー・ドリーマーチャーリー・ハースと対戦した[7]2009年5月30日には、IWSの10周年記念興行にて因縁のケビン・ナッシュタップアウトさせている[11]

2011年2月8日、ケベックのラジオ局のインタビューにて引退を声明[12]。前年の2010年6月19日にTOWで行われたデズモンド・ウルフ戦が現役最後の試合となった[13]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

ワールド・レスリング・フェデレーション
キャッチ・レスリング・アソシエーション
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
インターナショナル・レスリング・シンジケート
  • IWSヘビー級王座:1回
トップ・オブ・ザ・ワールド・レスリング

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Canadian Hall of Fame: Pierre Carl Ouellet”. SLAM! Sports. 2010年11月14日閲覧。
  2. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P227(1996年、日本スポーツ出版社
  3. ^ History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年11月14日閲覧。
  4. ^ a b WWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月14日閲覧。
  5. ^ Jean-Pierre Lafitte”. Online World of Wrestling. 2010年11月14日閲覧。
  6. ^ WWE Yearly Results 1995”. The History of WWE. 2010年11月14日閲覧。
  7. ^ a b c Ouellet wants another run with WWE”. SLAM! Sports (August 6, 2008). 2010年11月14日閲覧。
  8. ^ a b c Ouelett wants back in spotlight”. SLAM! Sports (August 31, 1999). 2010年11月14日閲覧。
  9. ^ Ouellet still working on ECW deal”. SLAM! Sports (July 19, 2000). 2010年11月14日閲覧。
  10. ^ a b WCW World Hardcore Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月14日閲覧。
  11. ^ International Wrestling Sydicate Results”. Online World of Wrestling. 2010年11月14日閲覧。
  12. ^ Pierre-Carl Ouellet retires”. SLAM! Sports (February 9, 2011). 2013年11月22日閲覧。
  13. ^ Wrestler Profiles: Pierre Carl Oulette”. Online World of Wrestling. 2013年11月22日閲覧。
  14. ^ CWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年11月22日閲覧。

外部リンク[編集]