ダイヤモンド・リング (プロレス)

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ダイヤモンド・リングDIAMOND RING)は、日本プロレス団体。運営会社は健介オフィス[1]。2012年2月11日に健介オフィス自主興行が改称、改編する形で設立された。

歴史[編集]

健介ファミリーの誕生[編集]

2003年12月WJプロレス(以下、WJ)を退団後、WJ旗揚げの為に用意した多額の支度金が返って来ず、無一文状態となっていた佐々木健介であったが、天龍源一郎のアドバイスにより妻の北斗晶を健介のマネージャーとしてフリーで活動を開始[2]

一方、日本の男性プロレスラー史上最年少でデビュー(当時)した中嶋勝彦は、3ヶ月間健介宅に居候しながら入団先を探すことになっていたが、本人が健介のもとでの修行継続を希望したため、2004年に健介・中嶋・北斗という3人のユニットが結成されることとなった(健介officeの誕生)。健介と北斗は夫婦仲が良いことで知られていた上、中嶋の年齢が健介夫婦と大きく離れていたこと、中嶋が母子家庭で育ったことなどもあり、このユニットは「家族」のギミック(北斗の「鬼嫁」ギミック、健介の「父親」ギミック、中嶋の「健介の義理の息子」ギミック)を採用。「健介ファミリー」との通称を得て、活動の舞台もバラエティー番組などに広がっていった。そのバラエティ番組もこれまで健介・北斗の夫婦(時には息子2人も)や北斗単体での出演実績があるが、2009年12月11日放送のTBSの番組「ぴったんこカン・カン」で地元の埼玉と道場を紹介する番組として出演していた。

株式会社化[編集]

2005年11月15日、ユニットは自身のプロレスラーのマネージメントを担当する会社「健介オフィス」を設立。これにより3人はフリーではなく健介オフィス所属となり、プロレスプロダクションとして活動していくことになった。代表取締役社長には北斗晶こと佐々木久子が、選手アドバイザーには「健介の生みの親」ことマサ斎藤が就任。女子プロレスラー出身者の男子団体社長就任は国内初。

株式会社化に伴い、北斗の地元である吉川市内に自社ビル(道場、寮、飲食店、事務所)を建設することを発表したほか、練習生とスタッフも募集した。北斗は、かつて自身が所属していた全日本女子プロレスのシステムを導入し、厳しいオーディションを行うことを明言。入門後もプロテストを行い、不合格の場合は退寮となる。

当初予定していた自社ビルの構想は耐震強度などを理由に見直しとなり、その結果一階に道場、二・三階に事務所と寮という構成に変更された。飲食店に関しては、別途店舗を賃貸して行う構想が発表されている。また、健介オフィスのブログはアメーバブログサイバーエージェント)が制作、運営をしている。

2006年11月29日に記者会見を行い、これからはプロレスプロダクションではなく、プロレス団体として展開していくことを北斗が宣言。そのため2007年2月に旗揚げ興行を行うことを発表した(後述)。またグレコローマン96キロ級学生王者である拓大山口竜志が、健介の盟友である馳浩の紹介で入団することも正式に発表された(その山口竜志は2008年5月に現役引退)。

ダイヤモンド・リング設立[編集]

2012年1月11日2月11日後楽園ホール大会より、興行名を健介オフィス自主興行からダイヤモンドリングに改称、プロレスに関連する事業も同名称に改組することを発表する。ただし、会社名は、健介オフィスのままとなる。つまり、健介オフィスはレスラーおよびタレントのマネジメント、プロレス興行・レスラーの育成とプロレス関連事業を行う企業で、そのプロレス興行運営・レスラー育成・関連事業組織(要はプロレス団体)がダイヤモンド・リングという形となった。

2014年2月11日後楽園大会で中嶋勝彦に敗れた佐々木健介が引退。その後、団体の先行きが注目されたが、3月4日、9日のホームタウンマッチを最後に興行活動を休止、中嶋のみダイヤモンドリング所属に残留しつつ他団体参戦、他2人は退団することが発表された[3]

健介オフィス[編集]

株式会社健介オフィス
Kensuke Office
種類 株式会社
本社所在地 342-0041
埼玉県吉川市保1丁目4-12
設立 2005年11月15日
業種 サービス業
事業内容 プロレス興行
所属選手のマネジメント
代表者 代表取締役社長 佐々木久子
資本金 1000万円
関係する人物 北斗晶
佐々木健介
マサ斎藤
中嶋勝彦
外部リンク 健介オフィス公式サイト
特記事項:2004年にプロレスユニットとして結成。2012年2月にプロレス団体「ダイヤモンド・リング」を発足。
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健介オフィス(けんすけオフィス)は、日本企業

概要[編集]

プロレス興行の運営、プロレスラーの育成、プロレスラーのマネジメントが主事業となり、所属選手は他団体の興行に参戦して試合を行うことが大半である。2008年中頃までは全日本プロレス、それ以降はプロレスリング・ノアと提携し、それらを主戦場としながら、他の様々な団体でも活動。そのため、所属選手は事実上フリー扱いされることが多かった。

健介オフィスが主催する興行も年に数回「自主興行」として行われ、所属選手他、他団体の選手が参加した。

2012年2月11日の興行より、プロレスに関する事業は「ダイヤモンド・リング」の名義に変更、つまり健介オフィスが新たにダイヤモンド・リングという名の団体を運営する形となった。これ以降は所属選手は他団体でもダイヤモンド・リング所属として扱われるようにもなった。

健介オフィス自主興行[編集]

下記の主な興行の他にも、道場をそのまま会場とした大会を月1,2回開いており近所の子供などが見に来るという[4]

佐々木健介20周年記念大会[編集]

2006年2月11日には後楽園ホールにて全日本の全面協力の下『佐々木健介20周年記念大会』と題した自主興行を開催した。メインイベントは健介・小橋組vs天龍・中嶋組。チケット先行販売と対戦カード発表は1月2日の全日本後楽園ホール興行での発表であったが、メイン発表時の反応は大きく、チケットは即日完売という北斗も驚く売れ行きを見せた。

メインのマッチメイクに当たり、天龍への参戦要請は比較的容易に行えたものの、北斗が健介にパートナーの希望を尋ねたところ、健介は「小橋選手」と答えたため、北斗は困惑したが[5]、北斗がプロレスリング・ノアに参戦を打診したところ、ノアも小橋も快諾。また、同興行でリングアナウンサーを務める予定であった全日本プロレスの木原文人リングアナが体調不良のため参加が難しくなったため、やはりノアの仲田龍にリングアナを打診したところ、仲田も小橋同様に快諾した。これによって、和田京平レフェリーと仲田リングアナという、「四天王プロレス」時代の全日本プロレスのトップレフェリーとリングアナの共演が図らずも実現することとなった。

Take the dream vol.1[編集]

健介オフィスがプロレスプロダクションからプロレス団体に業態を変更したことから、2007年2月11日、東京・ディファ有明で、自主興行「健介オフィス旗揚げ興行 Take the dream vol.1 ~夢を掴め~」の開催が決定。メインは佐々木健介vs中嶋勝彦。 また、この興行の地上波放送が決定(テレビ東京3月11日深夜)。北斗は「バラエティーの優しい健介じゃなくて闘う健介を見て欲しい」とコメント。

試合は健介がノーザンライトボムで勝利した。「父親越え」を果たしたい勝彦だったが、健介は容赦の無い攻めで中嶋を退けた。

また、セミファイナルでは三島来夢の健介オフィス入団査定試合が行われた。対戦相手は小島聡。試合は小島の勝利だったものの、その戦いぶりは観客の心をつかみ審査に見事合格、晴れて健介オフィス入団となった。しかし皮肉にもこれが三島にとって健介オフィス最後の試合となってしまった[6]

Take The Dream vol.2[編集]

2007年9月1日、前回同様ディファ有明にて自主興行「Take The Dream vol.2~新たなる夢~」が開催された。メインは中嶋勝彦とROHヘビー級王者森嶋猛のタイトル戦。健介はかつて新日本プロレスで使用したギミック「パワー・ウォリアー」に変身し、アニマル・ウォリアーとのタッグ「ヘル・ウォリアーズ」[7]を結成し、近藤修司&"brother"YASSHIエルドラド軍と対戦。また、健介オフィスになって初めての新人となる山口竜志が、諏訪魔を相手にプロレスデビューを飾った。

所属選手[編集]

経営陣[編集]

代表取締役社長[編集]

取締役副社長[編集]

役員[編集]

スーパーバイザー[編集]

過去の所属選手[編集]

過去のスタッフ[編集]

過去の提携団体[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ZERO1ファースト・オン・ステージが運営するのと同様の事例。
  2. ^ 天龍源一郎が健介宅に電話をかけ、北斗に対し「健介も一人でやっていくなら、それなりのマネージャーがいなきゃダメだよ」と助言。マネージャーを雇う金も無かったが、天龍は「それならかぁちゃんがやればいいじゃないの。健介のことを一番知ってるのはかぁちゃんなんだから」と告げたことで、北斗はマネージャーとして生きていく事を決意したとの報道がある。
  3. ^ “勝彦以外は退団、DR事実上の休眠へ”. デイリースポーツ. (2014年3月5日). http://www.daily.co.jp/ring/2014/03/05/0006753008.shtml 
  4. ^ 2009年12月放送のテレビ番組『ぴったんこカンカン』より
  5. ^ 小橋、天龍、健介が絡む4人タッグ戦となると、アリーナ級の会場のメインイベントとしても充分に通用するため。
  6. ^ その後、三島は頚椎ヘルニアを患って4月から欠場、6月25日に健介オフィスを退団・引退した。
  7. ^ 健介が「パワー・ウォリアー」としてホーク・ウォリアーと組んでいたチーム名が「ヘルレイザース(Hellraisers)」、アニマル・ウォリアーがホークと組んでいたチームが日本で用いていた名前が「ロード・ウォリアーズ(Rord Warriors)」だったため、両者を合成して命名。

外部リンク[編集]