レネ・グレイ

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レネ・グレイ
プロフィール
リングネーム レネ・グレイ(レーン・ゴルト)
サージェント・ジャック・グレイ
本名 ロベール・ベダール
(ロバート・べダード)
ニックネーム マスター・オブ・ザ・クロー
身長 183cm
体重 100kg(全盛時)
誕生日 1932年7月12日(82歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
ケベック州ケベック・シティー
スポーツ歴 アイスホッケー
デビュー 1956年
引退 1987年
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レネ・グレイRene Goulet、本名:Robert Bédard1932年7月12日 - )は、カナダケベック州ケベック・シティー出身、フランス系カナダ人の元プロレスラー

第2代WWWF世界タッグ王者(パートナーはカール・ゴッチ)。現役引退後はWWFのロード・エージェントとなり、試合のストーリー構成や選手の管理業務などバックステージで手腕を振るった。

来歴[編集]

アマチュア時代はアイスホッケーディフェンス選手であり、NHL入りを目指すが練習中の事故で断念、1956年に地元のケベックにてプロレスラーとしてデビュー[1]モーリス・バションらと対戦してキャリアを積み、1960年代前半よりレネ・グレイRene Goulet)のリングネームでアメリカAWAに参戦。金髪をなびかせたフランス出身の伊達男系ベビーフェイスとして活動し、同じフランス系のバーン・ガニアともタッグを組んだ[2]

以降、太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリングや南部フロリダ地区などNWA圏を転戦した後、1971年ニューヨークWWWF(現・WWE)に登場。同年12月6日、マディソン・スクエア・ガーデンにてカール・ゴッチと組んでターザン・タイラー&ルーク・グラハムを破り[3]、第2代のWWWF世界タッグ王者となった[4]

1972年6月には国際プロレスに初来日(名義は "Rene Goulet" の英語読みであるレーン・ゴルト)。国際には1974年5月にも再来日している。アメリカではこの時期よりサージェント・ジャック・グレイSgt. Jacques Goulet)を名乗ってヒールに転向し、インディアナポリスWWAにてドン・ファーゴとザ・リージョネアーズThe Legionnaires)なるフランス外人部隊ギミックタッグチームを結成[5]。1974年9月21日にはウイルバー・スナイダー&ペッパー・ゴメスからWWA世界タッグ王座を奪取し、1975年4月からはザリノフ・ルブーフを新パートナーにディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーの極道コンビと抗争した[6]

ジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナミッドアトランティック地区ではミシェル・デュボアともフランス系の悪党タッグチームを組み[7]1976年11月3日に行われたNWAミッドアトランティック・タッグ王座決定トーナメントでは、ティム・ウッズ&ディノ・ブラボーのチームと決勝を争った[8]1977年にはジム・バーネットの主宰するジョージアGCWに進出し、12月13日にオレイ・アンダーソンとのコンビでスタン・ハンセン&トミー・リッチからNWAジョージア・タッグ王座を奪取している[9]

1979年よりWWFに復帰し、1980年11月にはWWFとの提携ルートで新日本プロレスに初参戦。第1回MSGタッグリーグ戦において、アンドレ・ザ・ジャイアント&ザ・ハングマンのフランス系大型コンビのマネージャー格を務めた。翌1981年の第2回大会には、自身がアンドレのパートナーとなって出場。体力的には弱体だったものの、作戦参謀ぶりを発揮してリーグ戦トップの戦績で優勝戦に進出、12月10日の大阪府立体育会館にてアントニオ猪木&藤波辰巳の師弟コンビを下し優勝をさらった。1982年の第3回大会にもディフェンディング・チャンピオン・チームとしてアンドレと共に出場したが、2連覇を果たすことはできず、これが最後の来日となった。

1980年代も古巣のAWAやフロリダを転戦しつつWWFを活動の拠点とし、ジョバーのベテラン・ヒールとしてベビーフェイス勢の売り出し役を担う。1984年よりビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でWWFが全米侵攻サーキットを開始してからはロード・エージェントを担当するようになり、トーク番組『チューズデイ・ナイト・タイタンズ』ではカフェ・レネCafe Rene)なるインタビュー・コーナーのホストも務めた[1]

WWFには1997年まで在籍し、退職後はノースカロライナ州のシャーロットに居住。2001年には人工股関節の置換手術を受けた[1]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

WWWF
WWA
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:2回(w / ペッパー・マーティン、シャグ・トーマス)
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
新日本プロレス

余話[編集]

1972年1月31日、マディソン・スクエア・ガーデンでのWWWF世界タッグ王座防衛戦は、試合直後にカール・ゴッチが日本遠征(新日本プロレス旗揚げ戦への参加)を公表したことから、日本で大きく報道された。しかし、グレイのリングネームの読み方には混乱があり、『ゴング』1972年4月号では、カラーグラビアは「レーン・ゴルト」、海外ニュースコラムでは「リン・ガレ」、海外各地の試合紹介コーナーでは「リン・グレ」と、1冊の雑誌の中において3通りの読み方で紹介されていた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c Rene Goulet: Consummate pro”. SLAM! Wrestling(Apr. 19, 2001). 2010年1月20日閲覧。
  2. ^ Wrestler Profiles: Rene Goulet”. Online World of Wrestling. 2010年1月20日閲覧。
  3. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1970-1979”. The History of WWE. 2010年1月20日閲覧。
  4. ^ History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年1月20日閲覧。
  5. ^ Tag Team Profiles: The Legionnaires”. Online World of Wrestling. 2010年1月20日閲覧。
  6. ^ WWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年1月20日閲覧。
  7. ^ Canadian Hall of Fame: Michel 'Le Justice' Dubois”. SLAM! Wrestling. 2009年3月19日閲覧。
  8. ^ NWA Mid-Atlantic Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年1月20日閲覧。
  9. ^ NWA Georgia Tag Team Title History”. Solie's Vintage Wrestling. 2010年1月20日閲覧。

外部リンク[編集]