中東直己
| 広島東洋カープ #00 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県呉市 |
| 生年月日 | 1981年10月5日(30歳) |
| 身長 体重 |
168cm 73kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手、捕手 |
| プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2007年4月14日 |
| 年俸 | 750万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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中東 直己(なかひがし なおき、1981年10月5日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。
2008年6月23日から2009年までの登録名は中東 直瑛(なかひがし なおてる)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
広島工高卒業後、東亜大学に入学。大学4年時には捕手として神宮大会優勝。
JR西日本では1年目からレギュラー捕手の座をつかんだが、2005年、JR福知山線脱線事故により野球部は休部を余儀なくされ、ホンダ鈴鹿に移籍。
ホンダ鈴鹿では主に1番・センターで起用され、俊足に加え長打力のある切り込み隊長としてチームの都市対抗野球大会出場に大いに貢献した。松本有史スカウトとは幼馴染。
[編集] プロ入り後
2007年は外野手登録ではあるが、正捕手であった倉義和、石原慶幸は打力が劣るため、オープン戦では捕手としても出場する二刀流で話題になり、ブラウン監督が掲げた打てる捕手としてアピールした。オープン戦では打撃で存在感を見せ、開幕一軍と思われた矢先に牽制で一塁に帰塁する際に右手の指を捻挫し、開幕一軍を逃すが、4月14日の中日ドラゴンズ戦に代打で初出場。翌4月15日の試合で8回から捕手として守備に就く。4月17日対巨人戦(スカイマークスタジアム)でプロ初スタメン。プロ初安打はならなかったが、プロ初打点を稼いだ。しかし、9回裏2死2塁の場面で李承燁のセンターフライを落球。チームは勝利したものの自身は後味の悪いものになってしまった。7月19日に行われたフレッシュオールスターでは初回先頭打者としてヒットで出塁。その後立て続けに二盗、三盗と決め、三盗時に捕手の悪送球でホームインし、MVPを獲得した。しかしその後の打席でファールを打った際に骨折してしまい、一軍出場の機会を減らしてしまう何とも微妙なMVPとなってしまった。二軍では打率.394で、17試合で9盗塁を決めた。応援歌は2005年まで在籍したグレッグ・ラロッカのものが使われている。ラロッカのときにあった前奏がないことと、歌詞の名前の部分以外は同じものである。
2008年は開幕一軍入りを果たすもすぐに二軍降格。4月末に二軍の試合で右手の甲を痛めて戦線離脱。故障続きの為、心機一転、6月23日に登録名を中東直己から「中東直瑛」に改名した。秋から層の厚い外野に対して、手薄な捕手を主体に行くこととなり本格的に捕手の練習を行っている[1]。
2009年も前年同様開幕一軍だったが、わずか1試合で降格。二軍では捕手としてのセールスポイントである打撃が振るわず、再昇格は無かった。
2010年は再び外野手登録となり、登録名も本名の「中東直己」に戻した。
2011年にはシーズン中盤以降守備・代走要因として一軍に定着し、自己最多となる64試合に出場した。8月14日の巨人戦(東京ドーム)では、4年ぶりに一軍の試合で捕手を務めた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | 広島 | 31 | 74 | 70 | 7 | 14 | 2 | 0 | 0 | 16 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 18 | 0 | .200 | .243 | .229 | .472 |
| 2008 | 5 | 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
| 2009 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2010 | 15 | 11 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .091 | .000 | .091 | |
| 2011 | 64 | 34 | 34 | 7 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .206 | .206 | .235 | .441 | |
| 通算:5年 | 116 | 122 | 116 | 21 | 22 | 3 | 0 | 0 | 25 | 4 | 11 | 4 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 26 | 0 | .190 | .221 | .216 | .439 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 表彰
- フレッシュオールスターゲームMVP (2007年)
[編集] 記録
- 初出場:2007年4月14日、対中日ドラゴンズ1回戦(広島市民球場)、8回裏に梅津智弘の代打で出場
- 初先発出場:2007年4月17日、対読売ジャイアンツ4回戦(スカイマークスタジアム)、1番・中堅手として先発出場
- 初打点:同上、7回表に姜建銘から一塁ゴロ併殺崩れの間に記録
- 初盗塁:2007年4月18日、対読売ジャイアンツ5回戦(京セラドーム大阪)、1回表に二盗(投手:金刃憲人、捕手:阿部慎之助)
- 初安打:2007年5月8日、対中日ドラゴンズ6回戦(福山市民球場)、5回裏にビクトル・マルテの代打で出場、朝倉健太から左前安打
[編集] 背番号
- 35 (2007年 - 2010年)
- 00 (2011年 - )
[編集] 登録名
- 中東 直己(なかひがし なおき)(2007年 - 2008年6月22日、2010年 - )
- 中東 直瑛(なかひがし なおてる(2008年6月23日 - 2009年)
[編集] 脚注
- ^ 木村雅俊 (2008年2月16日). “「捕手・中東」猛アピール 初の紅白戦、岩本が二塁打”. 中国新聞
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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