度会博文
| 東京ヤクルトスワローズ コーチ #83 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 千葉県船橋市 |
| 生年月日 | 1972年1月26日(40歳) |
| 身長 体重 |
181cm 71kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 一塁手、三塁手、外野手 |
| プロ入り | 1993年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1998年4月3日 |
| 最終出場 | 2008年10月12日(引退試合) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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度会 博文(わたらい ひろぶみ、1972年1月26日 - )は、元プロ野球選手(内野手、外野手)。現在は東京ヤクルトスワローズ二軍外野守備走塁コーチ。
ポジションは内野手だが、投手と捕手以外の全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍した。
目次 |
[編集] 来歴・人物
八千代松陰高校から中央学院大学を経て、大学2年から頭角を現し始め、首位打者3回など、数々のタイトルを手中に収める。1993年、ドラフト3位でヤクルトに入団。
入団後4年間は一軍での起用はなかったが、1996年、1997年と2年続けて二軍で3割以上を打つ活躍を見せていた。翌1998年には手薄な内野陣の中、8番三塁で開幕スタメンに抜擢されるなど、レギュラーを奪うかに見えたが、宮本慎也の復帰で1番一塁に回されるなど、スタメン定着には至らなかった。
1999年は一軍では打撃不振で、二軍中心のシーズンとなる。この年は.357で、二軍の首位打者のタイトルを獲得。その後は主に代打として活躍。また守れるポジションが多いため、緊急事態に備えて一軍ベンチに置かれることも多かった。二軍の試合に出場する事もあるが、流石に二軍では力が上で、1996年以降3割を切ったシーズンは2003年の一度だけである。
一軍ではレギュラーを奪取する事は最後までなかったが、2006年には非常に高い代打率を残し高い打撃技術を見せた。また同年は右の代打の切り札であった土橋勝征が引退したため、度会がその任を受け継ぐ形になり、主に左投手相手に起用された。2008年9月29日、現役引退を発表。神宮球場の最終戦で、同年限りで引退する真中満・小野公誠・河端龍と共に引退セレモニーが行われた。最終打席はレフトフライ。
[編集] エピソード
明治神宮外苑で草野球をしていたところ、片岡宏雄スカウトの目に留まり入団に至ったという異色の経歴の持ち主。
いつもニコニコと笑顔を絶やさずチームを元気付けるムードメーカーである。古田敦也元選手兼任監督からの信頼も厚かった。
古田敦也のブログによると、お勧めの映画は「ショーシャンクの空に」である。実は度会は一度も見たことが無いらしい。受けが良いので適当に口にしていたところ、ストーリーが分かってきたそうである。
ドラフト会議当日に、地上波テレビ中継がテレビ朝日であったが、度会が指名された時には生中継の放送時間のあと何分かの時で、実況の辻よしなり(当時テレビ朝日アナウンサー)が、「このヤクルトの指名を受けた選手は何と読むのか分からないが放送時間が無くなりました」という幕引きをした。
テレビのボウリング大会で、ヤクルト選手の代表として宮本慎也と共に出場し、何と度会がMVPを受賞したが、宮本が「度会じゃキャラが薄い。本当はテレビ局的にも他の有名選手に上げたかったんでしょうね」と冷やかしていた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | ヤクルト | 85 | 227 | 205 | 26 | 54 | 9 | 0 | 4 | 75 | 12 | 1 | 1 | 8 | 1 | 12 | 2 | 1 | 32 | 4 | .263 | .306 | .366 | .672 |
| 1999 | 19 | 41 | 38 | 3 | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 4 | 1 | .211 | .250 | .211 | .461 | |
| 2000 | 60 | 61 | 53 | 8 | 14 | 2 | 1 | 0 | 18 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 1 | .264 | .304 | .340 | .644 | |
| 2001 | 53 | 53 | 49 | 11 | 15 | 5 | 0 | 1 | 23 | 8 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .306 | .306 | .469 | .775 | |
| 2002 | 72 | 89 | 83 | 6 | 18 | 4 | 0 | 2 | 28 | 9 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 16 | 3 | .217 | .261 | .337 | .598 | |
| 2003 | 39 | 45 | 40 | 8 | 12 | 3 | 0 | 2 | 21 | 4 | 0 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 | 0 | 8 | 1 | .300 | .349 | .525 | .874 | |
| 2004 | 56 | 64 | 60 | 1 | 17 | 4 | 0 | 0 | 21 | 11 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 1 | 14 | 1 | .283 | .313 | .350 | .663 | |
| 2005 | 45 | 64 | 60 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 10 | 0 | .117 | .131 | .133 | .264 | |
| 2006 | 27 | 31 | 28 | 3 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 1 | .357 | .400 | .429 | .829 | |
| 2007 | 68 | 95 | 88 | 9 | 18 | 4 | 0 | 0 | 22 | 8 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 16 | 1 | .205 | .202 | .250 | .452 | |
| 2008 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 通算:11年 | 527 | 772 | 707 | 76 | 173 | 34 | 1 | 9 | 236 | 61 | 2 | 4 | 30 | 3 | 30 | 4 | 2 | 119 | 13 | .245 | .276 | .334 | .610 | |
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:1998年4月3日、対読売ジャイアンツ1回戦(明治神宮野球場)、8番・三塁手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回裏に桑田真澄から遊撃内野安打
- 初打点:1998年4月10日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、12回表に正津英志から右前適時打
- 初本塁打:1998年4月16日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、6回表に竹内昌也から左越2ラン
- 初盗塁:1998年4月22日、対中日ドラゴンズ4回戦(明治神宮野球場)、8回裏に二盗(投手:日笠雅人、捕手:光山英和)
[編集] 背番号
- 47 (1994年 - 2000年)
- 4 (2001年 - 2008年)
- 83 (2009年 - )
[編集] 関連項目
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