米子市民球場
| 米子市民球場 (どらドラパーク米子市民球場) Yonago Municipal Baseball Stadium |
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|---|---|
| 施設データ | |
| 所在地 | 鳥取県米子市車尾663番地1 (東山運動公園内) |
| 開場 | 1990年6月 |
| 所有者 | 米子市 |
| 管理・運用者 | 平井工業(指定管理者) |
| グラウンド | 内野:クレー舗装 外野:天然芝 |
| 照明 | 照明塔:6基 最大照度:投捕間2000Lx 内野1500Lx 外野800Lx |
| 収容能力 | |
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14,000人
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | グラウンド面積:12,839m² 両翼:92 m、中堅:120 m |
| フェンス | 3m |
米子市民球場(よなごしみんきゅうじょう)は、鳥取県米子市の米子市東山運動公園(どらやきドラマチックパーク米子)内に所在する野球場。施設は米子市が所有し、平井工業が指定管理者として運営管理を行っている。
施設命名権売却により、呼称をどらドラパーク米子市民球場としている(詳細は後述)。
目次 |
[編集] 歴史
米子市内には米子市営湊山球場があるが、施設の老朽化が著しくなり、近代的な野球場を建設する声が高まったことから建設が決定され、1990年(平成2年)6月に市東郊の東山公園内に完成。鳥取県西部初の、本格的なナイター設備を有する野球場である。
当球場完成以降、山陰両県でプロ野球の一軍公式戦が開催されるのはこの米子市民球場が唯一である。1999年(平成11年)以降、広島東洋カープ主催の公式戦が概ね年間1カード2試合開催されている(対阪神戦がほとんどだが、2006年のみ対中日戦が行われた)。この他、1992年(平成4年)からはオリックス・ブルーウェーブが不定期に主催試合を行っていた。ウエスタン・リーグ、イースタン・リーグの試合も行われた。
両翼が92m、中堅が120mと、1990年代に完成した野球場でありながら国際規格を満たさない狭隘なフィールドであり、この点を問題視する関係者も少なくない(阪神甲子園球場にラッキーゾーンがあった時代の公称値とほぼ同じになるよう設計されたため)。
コンサート会場に使われたことが一度もない(近隣にマンションがあるため騒音迷惑になるので使用は許可していない)。
[編集] 主なエピソード
- 1993年(平成5年)5月25日に行われたオリックス・ブルーウェーブ対近鉄バファローズ戦は、オリックス・野田浩司、近鉄・野茂英雄という当時の両エースが先発。投手戦を繰り広げ、2人とも延長12回を完投、2対2の引き分けに終わった。
- 1999年(平成11年)5月19日に行われた広島東洋カープ対阪神タイガース戦にプロ初先発した阪神・井川慶(現ニューヨーク・ヤンキース)は6回を投げ、4安打5四球と荒れ模様ながらも何とか2失点にまとめて降板。7回以降はリリーフが凌いで、井川はプロ初勝利をマークした。なお、この試合で阪神・野村克也監督は、その後何度か用いることになる、救援の遠山奬志に一塁を守らせて伊藤敦規をワンポイントに使う、遠山-伊藤-遠山のリレーを初めて使った。
- 2000年(平成12年)5月9日に行われたオリックス・ブルーウェーブ対近鉄バファローズ戦は、試合前から周辺で発生した霧に見舞われる中で強行された。1回、オリックスが打者14人で8点を先制すると、直後の2回に大阪近鉄が打者11人で7点を取り返すという、序盤から打ち合いの展開となった。しかし試合中盤になると、周囲の視界は真っ白。5回裏一死の時点でボールが全く見えなくなったことから試合を中断、61分間の中断を経て「続行不能」として濃霧コールドが宣告され、10-8でオリックスが勝利した。この試合に先発したオリックス・川越英隆は5回表無死で8失点でKOされたものの、試合が5回裏途中で打ち切られたため白星が転がり込んできた。この試合以降2010年までの間、公式戦が濃霧によりコールドゲームとなったケースはこれが唯一である(ただし2005年の日本シリーズでは濃霧コールドとなったケースあり。千葉マリンスタジアムの項を参照)。
- 2004年(平成16年)の全国高等学校野球選手権鳥取大会、秋季中国地区高等学校野球大会では、上田まりえ(現日本テレビアナウンサー)がウグイス嬢を務めた。
- 2006年(平成18年)4月22日には広島東洋カープ対中日ドラゴンズの試合が行われ、1戦目は広島・黒田博樹、中日・ルイス・マルティネスが先発。2戦目が広島・佐々岡真司、中日・山本昌のベテラン同士が先発した。1戦目の12回表の守備で、ブラウン監督は1死満塁となった際、中堅手福井に二遊間を守らせ、事実上内野手を5人として打球に備えさせた。次打者井端は三ゴロで2死となったが、二塁手東出を中堅手として内野を4人に戻した直後、福留への広池の投球を捕手の倉が捕逸し勝ち越し点を奪われ、その後も失点を重ねた広島は、奮闘むなしくこの試合に敗れた。2戦目は雨上がりでややぬかるんだグラウンド・コンディションで行われたが、ミスを連発した中日・タイロン・ウッズが、「ケンタッキーダービーで馬が走るようなグラウンドだった。プロがやるべき場所ではない」と苦言を呈した。試合は広島が佐々岡真司の好投で快勝した。
- 2007年(平成19年)には交流戦前の5月に広島東洋カープ対阪神タイガースの試合が行われ、1戦目は広島・大竹寛、阪神・下柳剛が先発し広島が勝利。2戦目は雨が降る悪天候の中広島・青木高広、阪神・福原忍の先発でまたも広島の勝利。青木高はこの試合でプロ初勝利を収めた。この試合が象徴するようにこの年の阪神は広島相手に苦戦することが多く、その年の対広島戦は負け越しに終わった。
- 2010年(平成22年)6月22日、23日には広島×阪神2連戦が行われた。
[編集] 施設命名権
米子市では財源確保などを目的として、2008年(平成20年)8月1日から9月30日までの間、当球場が所在する東山運動公園と、米子市美術館と米子市立図書館が所在する美術館・図書館エリアの2箇所の愛称を対象に施設命名権の売却先を募集した。対象は双方ともエリア全体とし、エリア内に所在する個別施設は対象外。ただし施設の呼称には命名された愛称と個別施設の名称を組み合わせ、市の広報活動などで使用するものとし、このうち東山運動公園については年額300万円以上で「体育施設エリアであることがイメージできる愛称」を条件とした。
その結果、東山運動公園には米子市に本社を置く菓子メーカー・丸京製菓1社が応募した[1]。同社は主にどら焼きを製造しているが、年間生産量は約1億3000万個にのぼり、単一工場の生産量としては日本一といわれている。同社はこれに因んで米子市を「どらやき生産量世界一のまち」と自称し、同年6月に「どらやきのまち米子」を宣言、PR活動などで街おこしを進めるプロジェクトを開始し、その一環としてこの命名権買収に名乗りを上げた。同社は「市民の日常のコミュニケーションの場として、元気と夢と感動を与える公園に」というコンセプトを基に「ドラマチック」というフレーズと「どらやき」を組み合わせた愛称「どらやきドラマチックパーク米子(略称:どらドラパーク米子)」を提案した。市は審査の上で交渉した結果、年額300万円、同年11月1日から2012年(平成24年)3月31日までの契約で同社と合意。11月5日に契約締結式を執り行い、運動公園入口で案内板の除幕式を行った。契約当初は前述の通り、エリア内の個別施設に関しては命名権の対象外としていたが、当球場は市の広報活動上では「どらやきドラマチックパーク米子市民球場」「どらドラパーク米子市民球場」などのように、愛称を組み合わせる形で表記されていた。
さらに市は2010年(平成22年)4月1日から「より市民に親しみやすい愛称にするため」として各施設にも愛称を導入し、当球場の呼称は「どらドラパーク米子市民球場(略称:どらパー市民球場)」に制定された[2]。なお、条例上の施設名称は「米子市民球場」を維持している。
[編集] 施設概要
- グラウンド面積:
- 両翼:92m、中堅:120m
- 内野:クレー舗装、外野:天然芝
- スコアボード:イニングスコア表示部=磁気反転式、選手名表示部=パネル式
- 照明設備:6基(基本は白色・オレンジ色が米子のYの字に配置)
- 収容人員:14,000人(内野:座席、外野:芝生席)
- プロ野球開催日に限り広告フェンスを設置。
[編集] 公園内その他の施設
[編集] 交通
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 東山公園(どらドラパーク米子) - 米子市ホームページ
- 丸京製菓株式会社