中島俊哉

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中島 俊哉
東北楽天ゴールデンイーグルス #8
Nakashima toshiya.jpg
2011年8月30日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県筑後市
生年月日 1980年6月10日(31歳)
身長
体重
180cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2002年 ドラフト8位
初出場 2004年3月29日
年俸 1450万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

中島 俊哉(なかしま としや、1980年6月10日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手外野手)。

愛称は「シャーパー」。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

福岡県出身。小学6年から野球を始める(それまではソフトボールをしていた)。福岡工大附高(現・福岡工大附城東高)に進学。2年時に、4番・一塁手として1997年夏の甲子園に出場。当時のエースは同学年の小椋真介。甲子園での打率は.500をマークしたが、3回戦で智弁和歌山に敗れベスト8進出はならなかった(当時の智弁和歌山には捕手として中谷仁がおり、この時対戦している)。

その後九州国際大学に進学し硬式野球部に所属。大学4年次の2002年に4番打者として大学野球選手権大会明治神宮野球大会に出場し、ともにベスト8まで進出した。

2002年のドラフト会議オリックス・ブルーウェーブから8位指名を受けて入団。オリックスが2000年のドラフトから3年間採用していた「契約金ゼロ選手」として入団している[注釈 1]背番号64

[編集] プロ入り後

2004年3月29日、7回に代打として一軍初出場を果たす。7月8日のロッテ戦で7回にダン・セラフィニから一軍初安打を打つ。一軍出場は6試合にとどまった。同年オフの選手分配ドラフトにより東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍[注釈 2]2005年は肩を痛めたこともあり一軍出場はなく、翌2006年も一軍出場はなかった。

2007年はファームでの活躍が認められ6月17日に3年ぶりに一軍登録されると[注釈 3]、当日の横浜戦(フルスタ宮城)で8番左翼手として先発出場した。その試合で2回の裏に逆転となる2点タイムリー二塁打土肥義弘から放ち、プロ初打点を挙げた。試合終了後は初のヒーローインタビューを経験し、緊張した口ぶりで話した。しかし調子を落とし、一軍に不足していた投手陣と入れ替えるようにして7月9日に二軍落ち。その約2週間後に左のハムストリングを痛め、最終日まで一軍復帰は果たせなかった。

2008年は4月上旬に一軍昇格し、左投手キラーとして相手先発投手が左投手の時にほぼ全試合と言っていいほど出場。5月28日の巨人戦(東京ドーム)で内海哲也からプロ第1号となる本塁打を放った。続く6月3日の阪神戦では、本拠地Kスタ宮城での初本塁打(プロ第2号)を放ってお立ち台に呼ばれる。そのヒーローインタビューの最中に同僚の草野大輔横川史学から祝福のペットボトルの水を思いがけず背後から浴びせられ、仰天顔の写真が翌日のスポーツ紙の一面を飾った。またこの試合後、監督の野村克也は「中島? 顔覚えたよ。国分町で会っても分かるよ」と中島を認めるコメントを出した。

その後も、夏場には右投手の時にも先発出場を果たすなどシーズンを通して好調を維持し、ほぼ1シーズン一軍に帯同し、規定打席未満ながら打率.315、5本塁打、25打点と成長を見せた。

2009年は4月半ばに一軍昇格し、前年と同じく左投手キラーとして出場をしていたが、7月に左有鉤骨を骨折し2か月間戦線離脱。結局前年を下回る成績となってしまった。しかしCSでは杉内俊哉からホームランを放つなど活躍し、気を吐いた。オフに結婚を発表した[2]。また、磯部公一の背番号8を譲り受けた[2]

2010年はキャンプで怪我をしてしまい出遅れ、夏場に一軍昇格するも、7打席しか与えられずに二軍落ちとなった。 同じ右打ちの外野手である牧田明久の台頭もあり、その後再昇格することはなかった。10月3日には第一子となる長女が誕生した[3]

2011年は4月12日のロッテ戦に相手先発が左投手の成瀬善久だったこともあり開幕スタメン出場し、2安打を記録。5月8日の西武戦では2年ぶりとなるホームランを帆足和幸から放った。しかし打率は一割台に低迷し、5月19日には左脇腹肉離れで二軍落ちとなった。8月に再昇格するも、なかなか調子を上げられないままシーズンを終えた。

[編集] プレースタイル

長打力のある打撃が武器[1]だが、ミート力に課題があった。手首の強さが売りで、それに頼った強引な打撃をしていたため対応力に難があったが、2006年の秋季キャンプからの打撃フォーム改善により対応力が向上した。中島の構えはバットのヘッドを投手側に傾けるという特徴的なものであったが、2008年の春季キャンプで更に改良し、バットを立てて構えるようになった[4]。左投手には滅法強く「左キラー」とも呼ばれ[2]、実際に左投手との対戦成績は良いが、右投手との対戦が課題である。

守備に関しては打球判断が悪く、チャージの一歩目が遅い等の課題が残る。ルーキーイヤーの2003年にはウエスタン・リーグリーグ最多失策を記録してしまった(外野手が記録するのは異例)が、年数を重ねるごとにファインプレーも増え、次第に克服してきている。また50m走を6.0秒、一塁到達4.1秒と脚力にも優れている。

[編集] 人物

愛称の「シャーパー」は地元の学校での「シャープにコンパクトに」という意味の掛け声からきている。サーパス時代にその掛け声を発したところ、チームメイトにまったく理解されず、そのまま愛称として定着した[5]。2011年現在も「シャープにコンパクトに」を意識しているという[6]

趣味は映画観賞。ラジオ番組(2007年We are Eagler!)で好きな映画を質問され、『幸福の条件』『フランケンシュタイン』を挙げた。

大学の後輩には川島慶三一輝らがおり、オフの自主トレを一緒に母校で行うなどの交流がある。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2004 オリックス 6 10 10 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .100 .100 .100 .200
2007 楽天 8 16 15 1 6 1 0 0 7 2 0 1 0 0 1 0 0 4 0 .400 .438 .467 .904
2008 81 205 178 27 56 10 1 5 83 25 1 2 1 1 21 0 4 28 5 .315 .397 .466 .863
2009 47 114 104 9 29 4 0 1 36 8 0 1 0 1 7 1 2 17 3 .279 .333 .346 .679
2010 4 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .143 .143 .143 .286
2011 43 82 72 8 14 3 0 2 23 6 1 0 7 0 2 0 1 13 0 .194 .227 .319 .546
通算:6年 189 434 386 45 107 18 1 8 151 41 2 4 8 2 31 1 7 67 8 .277 .340 .391 .733
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 64 (2003年 - 2009年)
  • 8 (2010年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

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[編集] 注釈

  1. ^ 中島以外の選手は2005年までに全員解雇されており、中島はその最後の生き残りである[1]
  2. ^ オリックスから選手分配ドラフトを経て楽天に入団した選手のうち、(2011年時点で)唯一現役選手として楽天に留まっている。
  3. ^ 楽天の創立メンバーでは最後に一軍に昇格した選手となる。

[編集] 出典

  1. ^ a b 最後の「契約金ゼロ枠」選手」 Baseball Journal(2010年5月10日)、2011年11月29日閲覧。
  2. ^ a b c 楽天の「新8マン」中島が結婚」 日刊スポーツ(2009年10月9日)、2011年11月29日閲覧。
  3. ^ 中島俊哉選手に第一子(長女)が誕生」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2010年10月9日)、2011年11月29日閲覧。
  4. ^ 中島、フォーム改良で臨む」 Infoseekニュース(2008年2月15日)、2011年11月29日閲覧。
  5. ^ シャーパーこと中島俊哉です。」 楽天イーグルスファームブログ(2006年10月23日)、2011年11月29日閲覧。
  6. ^ 星野監督、怒り爆発…会見拒否&カメラに“鉄拳”」 スポーツニッポン(2011年5月9日)、2011年9月29日閲覧。

[編集] 関連項目

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