工藤幹夫

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工藤 幹夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県本荘市(現:由利本荘市
生年月日 1960年9月30日(51歳)
身長
体重
181cm
75kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手二塁手
プロ入り 1978年 ドラフト2位
初出場 1979年4月12日
最終出場 1984年4月12日
経歴(括弧内は在籍年)

工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手投手内野手)。

目次

[編集] 経歴

  • 1982年は先発として20勝4敗・防御率2.10の成績を収め、最多勝最高勝率ベストナインに輝く。この年の9月に右手小指を骨折し、前期優勝の西武と対戦するプレーオフは絶望と見られていたが、驚異の回復を見せて10月9日の第1戦に先発。この時は6回0/3を投げて無失点だったものの、打線の援護が無く勝ちはつかなかった。しかし、第1戦から中2日の第3戦に再び先発すると1失点完投勝利、このプレーオフ日本ハム唯一の勝利をもたらした。監督だった大沢啓二によると、医師から「プレーオフには間に合う」と聞き、世間を驚かせようと考えて、ケガの具合は伏せたままひそかに練習をさせたという[1][2]。なおこの年、レギュラーシーズンでは西武相手に6勝1敗と抜群の相性を見せていた。
  • 1983年は、前年プレーオフでの大沢監督の無理な起用が祟り、8月まで8勝8敗も9月4日に右肩を痛め、1984年を最後に一軍から遠ざかる。
  • 1986年に右肩軟骨摘出手術を受け、1988年には野手に転向したが、一軍へ上がることは出来ず、現役を引退した。
  • 現在は秋田市手形山中町でスポーツ店(クドウスポーツ)を経営しながら、社会人野球チームの由利本荘ベースボールクラブの監督兼投手を務めている[3]

[編集] エピソード

  • タレントの伊集院光は落語家時代に、野手転向後の工藤の練習風景を目にして奮起したといい、2011年に東北へ旅行した際に秋田の工藤の店を訪ね、謝意を伝えた[4]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1979 日本ハム 3 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 34 7.1 11 1 1 0 2 5 0 0 9 6 7.71 1.64
1981 22 11 2 0 0 2 9 0 -- .182 429 100.1 107 13 20 2 9 32 0 0 59 54 4.86 1.27
1982 28 24 12 3 0 20 4 0 -- .833 786 197.0 156 8 48 1 11 96 1 0 54 46 2.10 1.04
1983 24 19 5 1 0 8 8 0 -- .500 479 108.2 107 13 43 1 9 27 2 0 65 62 5.13 1.38
1984 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 0.1 2 1 1 0 1 0 0 0 4 4 108.00 9.00
通算:5年 78 56 19 4 0 30 22 0 -- .577 1734 413.2 383 36 113 4 32 160 3 0 191 172 3.74 1.20
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 記録

  • 初登板:1979年4月12日、対南海ホークス戦(後楽園球場)
  • 初奪三振:同上、打者・カルロス・メイ
  • 初勝利:1981年6月19日、対南海ホークス戦(後楽園球場)
  • オールスターゲーム出場:1回 (1982年)

[編集] 背番号

  • 15 (1979年 - 1986年)
  • 90 (1988年)

[編集] 脚注

  1. ^ 大沢啓二『球道無頼』(集英社、1996年)P183 - 184。
  2. ^ 味方を欺くこと1カ月 - スポニチ
  3. ^ 工藤幹夫(5)野球通じた人脈支えに - 読売新聞秋田支局記事
  4. ^ 伊集院光_深夜の馬鹿力』2011年1月18日放送分の発言より

[編集] 関連項目

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