三菱重工長崎硬式野球部

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Mitsubishi logo.svg三菱重工長崎硬式野球部
チーム名(通称) 三菱長崎、重工長崎、三菱重工長崎
加盟団体 日本野球連盟 (社会人野球)
加盟区分 企業チーム
創部 1917年
本拠地自治体 長崎県長崎市
練習グラウンド 三菱重工業長崎造船所スポーツセンター野球場(長崎市)
チームカラー 赤色、黒色
監督 吉村忠治
都市対抗野球大会
出場回数 16回
最近の出場 2009年
最高成績 準優勝2回
社会人野球日本選手権大会
出場回数 9回
最近の出場 2010年
最高成績 優勝1回
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

三菱重工長崎硬式野球部(みつびしじゅうこうながさきこうしきやきゅうぶ)は、長崎県長崎市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである。母体は三菱重工業

三菱重工が母体の野球部5チームのうち、1917年創部の長崎は1番古い。 1991年1999年には都市対抗野球で準優勝、2001年には社会人野球日本選手権大会で優勝しており、九州の社会人野球チームでは強豪のひとつとして位置づけられる。わずかな突破口からビッグイニングを作る打線は「三菱ダイナマイト打線」とよばれる。

目次

[編集] 概要

1917年創部の歴史を誇るが、九州社会人野球界は新日鐵八幡と門司鉄道局(現・JR九州)が長年強豪チームとして君臨しており、さらにNTT九州などの台頭もあった。本格的なチーム補強が実り、念願の都市対抗野球初出場を果たすのは1975年である。

1991年の都市対抗では小島啓民・林修治・牧瀬寅男らが活躍し快進撃したが、決勝で東芝に敗れ準優勝に終わった(チームは小野賞、小島が久慈賞)。1999年には内薗直樹竹下慎太郎(大分硬式野球倶楽部から補強)・貝塚政秀・伊藤大輔らの活躍で決勝まで進んだが、またしても東芝に敗れた(伊藤が久慈賞)。

2000年には入社2年目の杉内俊哉が台頭、打線も好調で圧倒的な力で都市対抗九州予選を突破。竹下、帆足和幸九州三菱自動車)らを補強した万全の態勢で都市対抗野球に臨むが、準々決勝で優勝チームの三菱自動車川崎(現・三菱ふそう川崎)にまさかの逆転負けを喫した。

2001年都市対抗も優勝した河合楽器に2回戦敗退。しかし日本選手権では九州第1代表で出場し、初戦で日本生命を破ると勢いに乗り、社会人野球の金属バット使用が最後の大会で悲願の全国制覇を達成した。MVPは後藤隆之、首位打者賞は開田博勝、打撃賞は村上竜太郎。万全ではなかった杉内も最後には好投し、大きな手土産を作ってプロ入りしていった。

一方で、野球教室の開催など、地域密着の野球チームを目指す活動も行う。2005年にチームの公式サイトを開設、2006年にはユニフォームのロゴも"JUKO"から"Nagasaki"へ変更された("JUKO"の文字は"Nagasaki"の文字の上に残されている)。 ユニフォームはホーム用(公式戦では一塁側の時に使用)、ビジター用(公式戦では三塁側の時に使用)の二種類がある。 ホーム用は白地に紺のストライプ、ビジター用は紺地で、ホーム用のユニフォームのロゴは"Mitsubishi"、ビジター用は"Nagasaki"である。

[編集] 設立・沿革

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[編集] 練習場

  • 三菱重工業長崎造船所スポーツセンター野球場(通称・三菱球場)
長崎県長崎市稲佐町1番地

ラグビー部やマラソン部と共用しており、野球部専用の野球場ではない。

[編集] 主要大会の出場歴・最高成績

[編集] 主な出身プロ野球選手

[編集] 主な在籍選手・コーチ

[編集] かつて在籍していた選手・コーチ

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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