団野村
| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府[1] |
| 生年月日 | 1957年5月17日(54歳) |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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団 野村(だん のむら、Don Nomura、1957年5月17日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)であり、アメリカのスポーツ界における交渉代理人(エージェント)である。
日本名は野村 克晃(のむら かつあき)。KDNマネジメント社・KDNスポーツ社(ロサンゼルス市)代表。
目次 |
[編集] 人物
日本に駐留していたアメリカ軍将校の東欧系ユダヤ人と、後に再婚してプロ野球監督夫人となった日本人タレント、野村沙知代(当時の名前は、伊東芳枝)とのあいだに生まれた。
実弟は元プロ野球選手のケニー野村。継父は元プロ野球監督の野村克也、異父弟として元プロ野球選手・現プロ野球コーチの野村克則がいる。しかしながら現在、母親の野村沙知代、弟のケニー野村とは、それぞれ絶縁状態にあるという。ただし、継父の克也とは絶縁しておらず、団がマネジメントする外国人選手を野村克也が監督として獲得、起用することもあった。また2011年には「ノムラの考え」(フジテレビONE)で共演するなどしており、関係は良好である。
スポーツ選手の代理人としては、当時近鉄のエース投手だった野茂英雄のMLB挑戦の際に登場し、日本人選手を主な顧客とする契約交渉代理人の草分けとして注目された。
[編集] 生い立ち
セント・メリーズ・インターナショナル・スクール及び東京都調布市内の高校を経て[2]、カリフォルニアポリー大学を卒業[1]。インターナショナル・スクールの小学校時代の同級生には、後にDJとなるクリス・ペプラーがいた。
1978年(昭和53年)、母親の再婚が成立し、野村克也の継子となった。
[編集] プロ野球選手
1978年(昭和53年)、プロ野球球団、ヤクルトスワローズに、テスト生として入団した。ポジションは内野手。同年には「伊東 克明」(伊東は、母親の旧姓)、1979年(昭和54年)から1981年(昭和56年)までは「野村 克晃」の名前で選手登録していた。
同球団では一度も一軍でプレーすることなく、退団となった。退団後は、テレビでメジャーリーグベースボール(MLB)の解説などをしていたこともあり、ヤクルトスワローズの後輩にあたる青島健太が司会を務める番組『BSスポーツニュース』(NHK)では、ユニークな解説が見られた。例えば、年間MVPの選出の際には、独自にMVS(Most Valuable Assist)と称し、ホセ・カンセコが外野フライを頭に当ててホームランにしてしまったプレイを選出するなどしていた。
[編集] エージェントとして
野村は渡米の後、エージェントとして活動するようになった。1993年(平成5年)には、プロ野球選手、マック鈴木の代理人として、MLB シアトル・マリナーズとのマイナー契約を締結、日本人選手の代理人としての第一歩を踏み出した。同年には、ロサンゼルス市に、自らの会社、「ダン野村オフィス(後の、KDNスポーツ社)」を設立している[3]。
1995年(平成7年)、当時近鉄所属の野茂英雄のメジャーリーグ挑戦時にも代理人として登場し、注目された。この際野村は MLBコミッショナー事務局を通じて、「日本の球団を任意引退した選手の海外球団への移籍の可能性」についての質問状を日本コミッショナー事務局に送付、「日本の任意引退選手が現役復帰する際には日本国内を選ぶ場合は保有権を有する球団が優先される。海外球団とならば契約できる」とする回答を受け取った。このように日本のプロ野球協約の盲点を突くことによって野村は[3]、野茂がバファローズを任意引退によってMLB に挑戦することを可能にした。また同年、ロビンソン・チェコの代理人となり広島東洋カープと揉め、アルフォンソ・ソリアーノの参稼報酬調停にも関与した。
翌年には千葉ロッテマリーンズ投手(当時)、伊良部秀輝のメジャーリーグ移籍騒動にも代理人として係わった。野村は、伊良部が日本球界に復帰した後も代理人業務を続けた。
その後は野茂の他、マック鈴木、吉井理人らの日本人選手を始め、アメリカの選手の代理人業務も行っている。2006年(平成18年)には、日本にも関連会社を設立、日本での営業の強化と、競技を超えたスポーツビジネスの展開を目指している[3]。
2010年11月にはポスティングシステムでのメジャー移籍を目指した岩隈久志の代理人を務め、最高額を入札したオークランド・アスレチックスと交渉を行う。しかし22日にアスレチックスとの交渉決裂が報じられ、当初はこれを否定したが[4]、12月6日に契約不成立が発表[5]。交渉内容については、岩隈と同じく日本からメジャーへ移籍した松坂大輔や黒田博樹の契約を比較対象として挙げたが、アスレチックスは同じくコルビー・ルイスや井川慶を比較対象として挙げ、双方の希望に隔たりがあったと自身のTwitterで明かした[6]。しかし一方で2007年にバリー・ジトがサンフランシスコ・ジャイアンツと契約した際の7年1億2600万ドルを比較対象として契約を要求したとの報道もあり、野村は日本のメディアに対してこれを否定したが、サンフランシスコ・クロニクル紙のスーザン・スラッサーは「団氏がバリー・ジトの契約を要求したことに間違いはない。それだけでなく、団氏自らが『岩隈側の要求をもっともよく説明している記事』と引用し続けたほど」と反論[7]。交渉決裂後、アスレチックスから「うそをリークして報道させた。不愉快な思いをさせた」、地元紙からも「事実と違う報道をした」という趣旨で謝罪があったことを野村を通じて岩隈に伝えたとする報道があったが[8]、サンフランシスコ・クロニクル紙はこれを否定し、野村は「『謝罪した』とする発言について明日取り消す」と同紙に連絡を入れたという(その後取り消しがあったかは不明)[7]。翌2011年8月2日には岩隈が代理人をポール・コブに変更していたことが報じられた[9]。
その後はポスティングシステムの制度改革を主張した他、日本球界の年俸調停制度の問題点を指摘[10][11]。6月には兵庫ブルーサンダーズの今村圭佑とマネジメント契約を結ぶ[12]。自身が代理人を務めていた伊良部秀輝が7月28日にロサンゼルスの自宅で死去していたことが報じられた際には「伊良部秀輝はファイターだった。彼は米国と日本の間に真の歴史をつくった」とコメントした[13]。
[編集] その他
エージェントに転身後には、コーヒーの愛好家としても知られるようになった。1日に10杯、多い時には20杯も飲むことがあるという。しかし、タバコと酒は一切口にせず、トレーニングを欠かさない。食にも気を使い、徹底した健康管理をしているという。
2010年(平成22年)7月、肺癌治療のために入院していた芸能リポーター、梨元勝の病床に、仏花として使われる「菊の花」の造花を鉢植えにした物と一緒に「Go to hell(地獄へ堕ちろ)」と書いたカードを送付したことを東京スポーツが報じた[15][16]。梨元は翌月(8月21日)死亡した。
[編集] 主なクライアント
[編集] MLB
- 野茂英雄(2008年に現役引退)
- 伊良部秀輝(2003年からNPB阪神タイガースに移籍。2004年現役引退)
- マック鈴木
- 吉井理人(2003年からNPBオリックス・ブルーウェーブに移籍。2007年現役引退)
- 中村紀洋(2005年まで)
- 薮田安彦(2010年からNPB千葉ロッテマリーンズに移籍)
- 岩隈久志(2011年まで)
- ダルビッシュ有(アーン・テレムとの提携)
- ロビンソン・テヘダ
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
[編集] 背番号
- 42 (1978年)
- 85 (1979年)
- 56 (1980年 - 1981年)
[編集] 登録名
- 伊東 克明(いとう かつあき)(1978年)
- 野村 克晃(のむら かつあき)(1979年 - 1981年)
[編集] 脚注
- ^ a b 選手名鑑 野村克晃 『ヤクルトスワローズ ファンブック』1979年度版
- ^ en:Don Nomura
- ^ a b c 著者紹介(団 野村) 『交渉力』 角川書店 2007年1月
- ^ 岩隈代理人の団野村氏、完全決裂を否定日刊スポーツ、2010年11月23日。
- ^ アスレチックス「残念」…岩隈との“破談”発表スポニチ、 2010年12月08日。
- ^ 「倍増」目安も「現状維持」日刊スポーツ、2010年11月23日。
- ^ a b アスレチクス移籍断念 岩隈久志が語る「真相」の奇怪李啓充 MLBコラム、2010年12月30日。
- ^ アスレチックス移籍断念の岩隈に聞くasahi.com、2010年12月21日。
- ^ 岩隈が団野村氏から代理人を変更日刊スポーツ、2011年8月2日。
- ^ 団氏が改革望む 入札制度の問題点指摘日刊スポーツ、2011年1月25日。
- ^ 団野村氏が講演 岩隈裏話に球界批判も…スポニチ、 2011年1月25日。
- ^ 関西独立L・兵庫の今村に米球団興味神戸新聞、2011年06月17日。
- ^ 団野村氏「伊良部秀輝はファイターだった」日刊スポーツ、2011年7月30日。
- ^ ロバート・ホワイティング 『海を越えた挑戦者たち』 松井みどり訳 角川書店 2002年 ISBN 4-04-247104-8 p12
- ^ 病床の梨元氏に「死ね」カード東スポWeb、2010年7月17日。
- ^ 2010年7月15日発行 東京スポーツ新聞 - 「死ね」カード送付事件 梨元氏断言「サッチーは知っている」とみた!
[編集] 参考文献
- 伊東信義 『姉野村沙知代』 ラインブックス 1999年6月 ISBN 4-89809-041-9
- ロバート・ホワイティング 『日出づる国の「奴隷野球」 憎まれた代理人・団野村の闘い』(松井みどり・訳) 文藝春秋 1999年11月 ISBN 4-16-355680-X
- ケニー野村『グッバイ・マミー 母・野村沙知代の真実』 新潮社 2001年9月 ISBN 4-10-449001-6
- ロバート・ホワイティング 『海を越えた挑戦者たち』(松井みどり・訳) 角川書店(角川文庫・「日出づる国の「奴隷野球」」(文藝春秋1999年刊)の改題) 2002年12月 ISBN 4-04-247104-8