SKワイバーンズ

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SKワイバーンズ
各種表記
ハングル SK 와이번스
漢字 -
発音 エスケー=ワイバーンズ
エスケイ=ワイボンス
英語 SK Wyverns
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SKワイバーンズ
創設年度 2000年
ロゴデザイン
SK Wyverns insignia.svg
所属リーグ
韓国野球委員会
歴代チーム名
  • SKワイバーンズ(2000年 - )
本拠地
文鶴野球場
Munhak.jpg
収容人員 27,800人
縁故地 仁川広域市
フランチャイズの遍歴
仁川広域市京畿道江原道・以北5道(2002-現在)
永久欠番
26
獲得タイトル
韓国チャンピオン(3回)
2007|2008|2010
成績(タイトル以外)
アジアシリーズ出場(2回)(太字は優勝、斜体は準優勝)
2007・2008
日韓クラブチャンピオンシップ出場(1回)(太字は優勝、斜体は準優勝)
2010
韓国シリーズ出場(6回)(太字は勝利した年)
3勝4敗
2003200720082009201020112012
プレーオフ(4回)(太字は勝利した年)
4勝
2003200920112012
準プレーオフ(3回)(太字は勝利した年)
2勝1敗
200320052011
Aクラス(8回)
2003|2005|2007-2012
Bクラス(7回)
2000-2002|2004|2006|2013-2014
球団組織
オーナー 崔泰源(チェ・テウォン、SKグループ会長)
運営母体 SKグループ
監督 金用煕

SKワイバーンズ(エスケー・ワイバーンズ, 에스케이 와이번스)は、大韓民国のプロ野球チーム。縁故地(ホームタウン)は仁川広域市。本拠地は同市内にある文鶴野球場

2000年、アジア通貨危機で経営危機に陥った繊維メーカーのサンバンウルが傘下のプロ野球球団であるサンバンウル・レイダースを解散したあと、SKグループがその選手たちを受け入れ「新球団」として誕生した。

チーム名の「ワイバーンズ」はワイバーン(wyvern、飛龍)の複数形。

チーム略歴[編集]

2000年に韓国野球委員会とSKグループがサンバンウル・レイダースに代わる新球団の創設に合意。
本拠地は、プロチームとしてのビジネスのできる人口基盤を求めて、サンバンウルのホームである全羅北道全州市(人口およそ60万)ではなく、およそ100万以上の人口を抱えて、周辺都市まであわせると営業可能な人口基盤がおよそ200万に及ぶと考えられると同時に親会社と繋がりのある首都圏の京畿道水原市を希望。しかし、現代ユニコーンズが以前から希望していたソウルへの移転を前提として暫定的に水原市に本拠地を移動させることになり、空席となった仁川を本拠地として受け入れることになった。
なお、このとき現代ユニコーンズはSK側が仁川を本拠地として受け入れるか否かとは関係なく、ソウル移転計画を強行推進したため、仁川の市民たちはユニコーンズから見捨てられた形になって、未だに同球団に対する恨みを持っている人もある。その後、仁川を捨てた現代ユニコーンズは、暫定本拠地・水原での人気を得られず、現代グループの分裂などによる経営危機に陥り3度の売却交渉に失敗。その後、2008年から投資会社がスポンサーを募集し経営する新球団、ウリ・ヒーローズが発足して解散となった。

2002年サッカーワールドカップ誘致に伴う仁川広域市の新総合運動場建設計画によって、メインスタジアムの隣に受容人員3万人規模の文鶴(ムナク)野球場が完成。これに伴って球場の狭さと老朽化による汚さで悪名を馳せた仁川都心の桃園(ドウォン)球場から同球場に本拠地を移転。

2003年、4位でポーストシーズン進出を果たす。準プレイオフから這い上がって球団史上初の韓国シリーズ進出を果たすも、現代ユニコーンズの前に、7戦までもつれ込む接戦を演じながら惜しくも敗れる。
2004年LGツインズから元中日ドラゴンズの李尚勲(日本での登録名はサムソン・リー)が移籍するが、不振に陥りシーズン途中で電撃引退を発表。チームもまたBクラスに逆戻り。
2005年は優勝争いを続け終盤2位をキープしていたが、最終戦で斗山ベアーズに追い越され3位に転落、ハンファ・イーグルスとの準プレーオフに敗れた。
2006年は元オリックス・バファローズ塩谷和彦韓国プロ野球史上初の日本人野手(在日韓国人を除く)として所属したが、負傷によりシーズン途中で退団した。チームも塩谷の戦線離脱後、優勝争いに加わることなく6位でシーズンを終えた。

2007年から千葉ロッテマリーンズで1,2軍巡回コーチを勤めた金星根が監督に就任し、シカゴ・ホワイトソックスでコーチを歴任した李萬洙をヘッドコーチとして迎えた。それに日本から加藤初小林繁を投手コーチ、大田卓司を打撃コーチ、福原峰夫を守備コーチとして招聘。
同年度レギュラーシーズン1位で韓国シリーズに直行。プレイオフ勝者の斗山ベアーズを4勝2敗で下して悲願の初優勝を決めた。この時点で存在した韓国野球委員会所属の全球団が優勝を経験することになったが、2008年現代ユニコーンズの解散、ヒーローズの創設で、また優勝未経験の球団が出てきた。
韓国チャンピオンとして出場した同年のアジアシリーズでは予選リーグで中日ドラゴンズを破り、初めて日本球団に勝利した球団になった。しかし、予選は3戦全勝で決勝戦に進んだものの、決勝で中日に破れアジア王者とはならなかった。
2007年シーズン終了後、大田コーチが東京ヤクルトスワローズのコーチに就任するため退団し、後任に読売ジャイアンツで打撃コーチを務めていた伊勢孝夫が就任した。

2008年は2007年以上の独走態勢で球団史上初の2年連続の公式戦優勝、韓国シリーズ優勝を達成した。
韓国チャンピオンとして2年連続で出場したアジアシリーズでは予選リーグで埼玉西武ライオンズを破ったが、台湾代表の統一セブンイレブン・ライオンズに大差で敗れて失点率で3位となり、決勝進出はならなかった。

2009年阪神タイガースなどで打撃コーチを務めた正田耕三を2軍総合コーチとして招聘。また4月中旬、日本人選手として門倉健が入団した。韓国プロ野球では非常に珍しい、日本人コーチが4人いるチーム編成だった。7月中旬湘南シーレックスバッテリーコーチ・三浦正行を臨時捕手インストラクターとして招聘。戦力的に円熟期にあり公式戦優勝の大本命として注目された。
しかしシーズン中盤に調子を落とし、起亜タイガースの予想外の快進撃もあって、終盤は韓国プロ野球新記録となる19連勝(1分けを挟む)で猛追したが、公式戦3連覇はならず2位で終えた。ポストシーズンはプレーオフから出場し、斗山ベアーズに勝ち3年連続で韓国シリーズに進出した。3年連続の韓国シリーズ進出は1986-1989年のヘテ・タイガース、2004-2006年の三星ライオンズについで3球団目で、起亜タイガースの前に3勝4敗で敗退した。2009年シーズン終了後、福原コーチが東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍内野守備走塁コーチに就任するため退団。正田コーチもオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任するため退団。

2010年からは関川浩一芹澤裕二赤堀元之の3人の日本人コーチが就任。公式戦では4月から5月にかけての16連勝もあって首位を守り続け2年ぶりに優勝し、4年連続で出場した韓国シリーズでは三星ライオンズと対戦し、球団史上初となる無傷の4連勝で2年ぶり3度目の優勝を飾った。
2010年11月45日に台湾・台中インターコンチネンタルスタジアムで行われた韓国・台湾クラブチャンピオンシップでは台湾の兄弟エレファンツと対戦し、1勝1敗となった。11月13日に日本の東京ドームで行われる日韓クラブチャンピオンシップでは日本の千葉ロッテマリーンズと対戦し、0-3で完封負け。関川コーチが楽天に戻り二軍外野守備走塁コーチに就任する為退団し赤堀コーチもオリックスに戻り管理部育成担当に就任する為退団。

2011年からは横浜ベイスターズで14年間打撃コーチ、二軍監督などを務めた田代富雄を一軍打撃コーチとして招聘し2007年から2009年までSKで3年間守備コーチを務めていた福原峰夫が2年ぶりに守備コーチとして復活した。キャンプ期間中に臨時インストラクターを務めていた小林晋哉が正式に二軍打撃コーチに就任した。同年8月18日に金星根監督が解任され、2軍監督だった李萬洙が監督代行に就任。田代、小林、福原の3コーチも辞任した。同年の公式戦は3位となり、準プレーオフで起亜を3勝1敗、プレーオフでロッテを3勝2敗でやぶり、韓国プロ野球史上初となる5年連続韓国シリーズ進出を達成したが、三星に1勝4敗で敗れた。シーズン終了後、李萬洙が正式に監督に就任した。

2012年は公式戦2位で、ポストシーズンはプレーオフでロッテジャイアンツに勝利し、自チームの記録を更新する6年連続韓国シリーズ出場を決めた。3年連続で対戦した三星ライオンズに2勝4敗で敗れ、2年連続準優勝となった。2013年は公式戦6位で、7年ぶりにポストシーズンに進出できず、韓国シリーズ連続出場記録も途絶えた。2014年は公式戦5位で、2年連続ポストシーズンに進出できず李萬洙監督も退任した。

2015年より金用煕監督が指揮を執る。

2007年から2011年まで春季・秋季キャンプは、日本・高知市野球場や沖縄県うるま市具志川野球場で実施することが多かったが、2011年秋の李萬洙監督就任後はアメリカ・フロリダ州ベロビーチにキャンプ地を変更するようになり、高知市野球場は利用しなくなった。春季キャンプでは2012年以降も具志川野球場を利用している。2013年に引き続き、2014年も秋季キャンプは鹿児島県薩摩川内市総合運動公園で実施している。

歴代監督[編集]

  • 姜秉徹(カン・ビョンチョル、2000 - 2002)
  • 曺汎鉉(チョ・ボムヒョン、2003 - 2006)
  • 金星根(キム・ソングン、2007 - 2011途中)
  • 李萬洙(イ・マンス、2011途中から終了まで : 監督代行 2012 - 2014:監督)
  • 金用煕(キム・ヨンヒ、2015 - )

主な在籍選手[編集]

投手[編集]


捕手[編集]

内野手[編集]

  • 3 羅州煥(ナ・ジュファン)
  • 14 崔廷(チェ・ジョン) 
  •   6 金聖賢(キム・ソンヒョン)
  • 36 朴正権(パク・チョングォン)


外野手[編集]


主な退団・引退選手[編集]

韓国人選手[編集]


外国人選手[編集]

在日韓国人選手[編集]

外部リンク[編集]