ワイバーン

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紋章に使われるワイバーン。

ワイバーンwyvern または wivern)は、イギリス紋章学に見られる図像の一つ。およびそこから派生した架空の怪物である。

概要[編集]

一般的にはドラゴンの頭、コウモリの翼、一対のワシの脚、ヘビの尾に、尾の先端には矢尻のようなトゲを供えた空を飛ぶ竜とされる。その口からは時に赤い舌が伸び、また炎を吐いていることもある。この「二足の竜」の図像は、イギリスを除くヨーロッパではドラゴンの一般的な形態の一つとして扱われており、「二足の竜」をワイバーンとしてドラゴンから区別するのはイギリス及びイギリスの旧植民地に特有のことである[1]

ワイバーンは現在においてもイギリスで人気のある図像の一つである。大学や会社、スポーツチーム、あるいは行政区など様々な団体がワイバーンの図像や名前を用いている。

語源[編集]

中期英語で用いられていた "wyver" (ワイバー)という単語は古フランス語の "wivre" に由来する。この "wyver" に "bittern" や "heron" (サギ)などに見られる接尾辞の "-n" を付与したとされるのが "wyvern" (ワイバーン)である [文献 2][文献 3]。 この "-n" の意味は明らかではないが、 "-ing" [2]の方言ではないかと推測されている。

成立[編集]

中世イングランドにおける「ワイバー」[編集]

バイユーのタペストリーに刺繍されたイングランド軍の竜の軍旗

「二足の竜」は、ヨーロッパの他地域だけではなくブリテン島においても竜の図像として一般的なものの一つであった。1066年のヘイスティングズの戦いにおいてハロルド2世率いる当時のイングランド軍が二足の竜の軍旗を用いていたことがバイユーのタペストリーには描かれている。これはブリテン島において紋章が使用されるようになった12世紀よりも前から二足の竜の図像が用いられていたことを示している。

ワイバーをクレストに用いた[3]ランカスター伯ヘンリーの印章(1301)

14世紀初頭からエドムンド・モーリーなど「ワイバー」なる怪物の図像を紋章に用いていた貴族が存在したことが紋章鑑に記録されている。このワイバーについては紋章記述しか残されていないため、どのような姿をしていたのかは現代では不明である。しかし名称が不明の竜が描かれた当時の盾が現存しており、ワイバーはこの竜の事を指していると推定されている。この竜はトカゲのような姿をしており、小さな翼が生えている事もあれば生えていないこともある[文献 3]。 このワイバーを、「王族の紋章である四足のドラゴンを使うことができなかった貴族たちがドラゴンの代わりに使用した二足の竜」とする文献がある。しかし、当時イングランドを統治していたプランタジネット家はドラゴンではなく、ライオンを紋章として使用していた[4]。そもそもこの時期イングランドの紋章学の記録にはドラゴンという単語は殆ど見られず [5] 、使用されても今日のそれとは異なり二足の竜を指しており、ワイバーとの区別は殆どされなかったとされる。嫡流ではないものの、ヘンリー3世の孫であるランカスター伯トーマスとランカスター伯ヘンリーの兄弟がワイバーをクレストとして使用していた[文献 3]こととも矛盾する。ドラゴンが王族の紋章としての地位を得るのは次節に記すテューダー朝以降の事であり、またワイバーンが成立するのも同時代の事である。

四足の竜としてのドラゴン[編集]

ヘンリー7世の用いた大紋章の一つ。彼が父から受け継いだウェールズ大公の血統を示すドラゴン、母から受け継いだランカスター家の血統を示すグレイハウンド、ランカスター家とヨーク家の結婚を示すテューダー・ローズと、ヘンリーが自らの統治の正当化に用いた3つの要素全ての象徴が含まれている。


薔薇戦争の第二次内乱によってランカスター家最後の男子となったリッチモンド伯ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)は、しかし正当な王位継承権の保持者ではなかった。幸運なことに、だからこそヨーク家はヘンリーが最後の一人となるまで彼を積極的に暗殺しようとはしなかったのだが、彼がランカスター派を率いてヨーク家と王位を争えば簒奪者として扱われる危険性があった。彼は自らの王位請求を正当化する理由を必要としていた。

一方でランカスター派に対するヨーク派は内部で権力闘争を繰り返し、決して一枚岩ではなかった。グロスター公リチャードはリヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルを処刑し、兄王エドワード4世の遺児であるエドワード5世を幽閉し、自らがリチャード3世として即位した。アンソニー・ウッドヴィルの姉(あるいは妹)であり、エドワード5世の母親であったエリザベス・ウッドヴィルはリチャード3世の追い落としを図ってヘンリー・テューダーの母親マーガレット・ボーフォートと通じ、自らの娘エリザベス・オブ・ヨークとヘンリー・テューダーを婚約させた。

しかしエリザベス・オブ・ヨークはこの時点では王位継承権を失っており(後にヘンリーの手により回復)、ヘンリー本人はエリザベス・オブ・ヨークとの結婚に意欲的ではなかったこともあり、彼は別の理由を以って薔薇戦争を戦った。それは彼が父から受け継いだウェールズ大公の血統である。彼はウェールズの怪物である四足の竜のア・ドライグ・ゴッホを「ドラゴン」として戦旗や印章に取り入れることでその血統を示し[6] 、ウェールズ人の支持を集めてボズワースの戦いでリチャード3世に勝利し、薔薇戦争を終結させた。即位後しばらくは彼はランカスター家の象徴であるグレイハウンド2匹を紋章のサポーターとして用いていたが、数年後グレイハウンドとドラゴンの組み合わせへと変更している[文献 6]

テューダー期におけるワイバーンの成立[編集]

ムスベリー村の聖ミカエル教会内にあるドレーク家のモニュメントは1611年に作られた。このモニュメントにはドレークの紋章が残されている。

相違点も見られるが、二足の竜としてのワイバーンの成立とテューダー朝の関係に複数の専門家が言及している。また、それは当時の紋章官の責任であるという意見も共通して見られる。

グゥイン=ジョーンズはテューダー期にワイバーンが成立したと説明する。彼はドラゴンが二足から四足へと変わった事は大部分が紋章官達の責任であるようだとしており、二足の竜はワイバーンと呼ばれるようになったとしている[7]デニスもワイバーンという言葉が二足の竜を指すようになったのはテューダー期に始まった事だとしているが、テューダー期にはドラゴンという言葉はまだ二足の竜と四足の竜両方を指していたとしている。

バロンも同様に二足の竜としてのワイバーンの成立はテューダー期であったとするが、「紋章官の責任」についてはグゥイン=ジョーンズとは異なる見解を示している。彼は中世のワイバーはワイバーンとは別の姿であったとみなしており、テューダー期の紋章官が中世のワイバーの形状を踏まえずにドレークの紋章[8]に描かれた二足の竜を「ワイバーン」と記録してしまったことをワイバーンの成立としている。彼はこれを紋章官の「発明」(あるいは捏造)であると表現している[9]

怪物としてのワイバーン[編集]

前節までで述べた通りワイバーンは紋章学の中で発展した存在であるため、その起源となるような伝説や神話は存在しない。ワイバーンがいつ紋章学の中に限定されず想像上の怪物として扱われるようになったのかははっきりしていない。しかし傍証となる文献は残されている。1678年の辞書[文献 7] には、当時ワイバーンは紋章学以外の分野では殆ど知られていなかったと記されている[10]。また、History of Durhamは1700年以前に書かれたとされるジョン・コニャーズ卿の怪物退治についての写本を引用しているが、オックスフォード英語辞典はこれを「怪物としてのワイバーン」の初出文献であるとしている[文献 2]。しかし、この写本に登場する「ワイバーン」は巨大な毒蛇であり、翼を持った竜としての描写はされていない。1835年の劇詩「パラケルスス」ではワイバーンは登場こそしないものの、詩人アプリーレの霊によって「空を飛ぶワイバーン」が直喩に使用されている。

変形[編集]

ワイバーンの紋章への採用例は多く、様々な変形が存在する。この節では純粋にイングランドや現在のイギリス内で使用されたワイバーンの変形に限定せず、他国の竜の紋章をイングランドの紋章官がワイバーンと記録した例や、他の英語圏の国においてワイバーンとして扱われている例も含めて取り扱う。

紋章記述において、翼のないワイバーンを "wyvern sans wings" 、足のないワイバーンを "wyvern sans legs" と記録する。このような体の一部が欠けた図像はワイバーン特有の物ではなく、他の動物や怪物にも見られる。1609年にロンドン市のシェリフ[11]を務めたリチャード・ファーリントンの属するファーリントン家は翼のないワイバーンを紋章のクレストに使用していた[12]。翼のないワイバーンは、現代ではアメリカ陸軍において、第66機甲連隊や後述する第41野砲兵連隊 の紋章に使用されている [文献 9] [文献 10]

多頭のワイバーンの図像も存在する。 スコットランドのパンミュレ伯爵のマウル家の紋章は、胴体の前後から首が生えた火を噴く二足の竜をクレストとして採用しており、これは "a wyvern with two heads" という紋章記述によって表現される [文献 11][13]。多頭のワイバーンの図像は、何か特殊な事柄を表現している場合がある。イギリス陸軍の最高司令官を務めたジョン・ウィルシーの紋章には左右で青と赤に塗り分けられた双頭のワイバーンがクレストとして使用されている。彼の軍人としての経歴はデヴォンシャー・アンド・ドーセット連隊から始まったため、彼はワイバーンの双頭でデヴォンドーセットを表現している[文献 13]。アメリカ陸軍第41野砲兵連隊の紋章のクレストは多頭かつ翼のないワイバーンだが、この四つの頭は第二次大戦における連隊の "four spearhead attacks" を意味している[文献 10]

ワイバーンの下半身を魚のそれに置き換えた物をシーワイバーン、あるいはシードラゴンと呼ぶ。シーワイバーンは現在ウェストドーセットで、大紋章のクレストやサポーターなどに用いられている[14]。人魚やシーライオン等とは異なり、ワイバーンの場合は下半身を魚に置き換えても全体の輪郭は大きく変わらない。そのため紋章官にも区別がつかないことがあるのか、アイルランドターフェ子爵の紋章は "wyvern, or sea-dragon" という紋章記述で記録されている[文献 14]

イタリアの貴族ブスドラーギ家の紋章は頭巾を被った人面の二足の竜を用いている。この図像はイングランドでは"wyvern with a human face"と記録されたが、ワイバーンとドラゴンを区別しないイタリアではドラゴンと記録されている[文献 15]

Wyvern sans wings Wyvern sans legs 066-Armor-Regiment-COA.png Wyvern with two heads 41FA Coat of Arms.svg
wyvern sans wings wyvern sans legs 第66機甲連隊の紋章 マウル家のクレスト 第41野砲兵連隊の紋章

関連[編集]

ヴイーヴル
フランスに伝わる二足の竜。ワイバーンと語源を同じくする。ワイバーンは仏訳される際にヴイーヴルという訳をあてられる事がある。
リンドヴルム王子
スカンジナビア半島に伝わる説話。ホルベックはこの説話を"King Wivern" と題して英訳した[文献 16]

脚注[編集]

  1. ^ 例外もある。スコットランドのダンディーの紋章のサポーターは二足の竜だが、これは紋章記述でドラゴンと記録されている[文献 1]
  2. ^ 現在分詞の-ingや動名詞の-ingとは異なり、「種(しゅ)」を意味する接尾辞である。これら3種の-ingは現在では同形だが、元々はそれぞれ別の語源を持つ。
  3. ^ バロンによる。なお、大紋章におけるサポーターのように両脇に描かれた生物については "two like wyvers ranged on either side of the shield as 'supporters'." と名言はされていない[文献 3]
  4. ^ プランタジネット家の紋章のリスト参照。このライオンは、ジョフロア4世の叙勲の際にヘンリー1世が彼に下賜したライオンの記章に由来している。
  5. ^ イングランドにおいてドラゴンの紋章について記録された最古の論文は "Tractatus de armis" である 。この文献が書かれたのはおおよそ1394年とされており、これは紋章鑑からワイバーの使用が確認できる時代から約90年後のことである。話を現実の紋章に限定しない場合には、1320年前後にトーマス・ザ・ライマーが書いた "Sir Tristrem" (トリスタンとイゾルデ)が "Tractatus de armis" より先行している。 "Sir Tristrem" に登場するアイルランドの王族マーハウス卿は、トリスタンとの一騎打ちの際にドラゴンの紋章が描かれた楯を使用している。しかし "Sir Tristrem" の内容はフランス文学として発展したトリスタンの説話が逆輸入される形でブリテン島にもたらされた物であるため、マーハウス卿とドラゴンの紋章の関係は当時のブリテン諸島の紋章文化が反映されたものとは限らない。後世の権威者たちはマーハウス卿の紋章をライオンへと変更していることをスコットは指摘している[文献 4]
  6. ^ ヘンリー・テューダーのドラゴンはウェールズのア・ドライグ・ゴッホであるというのが定説であるが、フォックス=デイビスはヘンリー3世に由来するという説もあることを紹介している[文献 5]
  7. ^ 原文は"Like the gryphon, the dragon has remained largely unaltered by heraldry, except perhaps for the extra pair of legs which it acquired in the fifteenth century, for which the heralds seem largely responsible. Earlier dragons have two legs, and are known as wyverns, and the four-legged simply as dragons." [文献 6]
  8. ^ フランシス・ドレークは世界一周の功により叙勲されたが、その際に自分はアッシュのドレーク家の血族であり、その紋章を使用する資格があると虚偽の主張を行った。この主張はアッシュのドレーク家の長であるバーナード・ドレーク卿の怒りを買い、"Worthies of Devon"によると王宮内での暴力事件にまで発展したとされる。エリザベス1世はこの問題を解決するためにアッシュのドレーク家の紋章とは別の紋章をフランシス・ドレークに与えた。本文中の「ドレークの紋章」とはフランシス・ドレークとバーナード・ドレークが使用権を争ったアッシュのドレーク家の紋章の事を示す。
  9. ^ 原文は"The wyver, who becomes wyvern in the 16th century, and takes a new form under the care of inventive heralds, was in the middle ages a lizard-like dragon, generally with small wings." [文献 3]
  10. ^ 原文ではワイバー。ここではワイバーンの意味[文献 2]
  11. ^ en:Sheriffs of the City of London. 長官とも言える役職で同時に二名が任命される。現代でもこの制度は続いている。
  12. ^ The Visitation of London in the Year 1568 [文献 8]より。この文献ではリチャード・ファーリントンが1609年に就いたのはシェリフではなく、オルダーマン(市参事会員)とされている。
  13. ^ マウル家の紋章は他にも様々な紋章記述で残されている。"dragon with two heads" とする文献や、"a wyvern, emerald, spouting fire before and behind"とする文献[文献 12]も存在する。後者を再現した図像は、口と尾両方の先端から炎を吐くワイバーンとして描かれている。
  14. ^ ウエストドーセットの大紋章はこちら(外部サイト)で確認できる。

参考文献[編集]

  1. ^ Fox-Davies, Arthur Charles (1915), The Book of Public Arms, London, pp. 250-251, OCLC 560904722 
  2. ^ a b c Simpson, John; Edmund Weiner (1989), Oxford English Dictionary (2 ed.), New York: Oxford University Press, ISBN 9780198611868, OCLC 17648714 
  3. ^ a b c d e Barron, Oswald (1911). “Heraldry”. In Hugh Chisholm and Walter Alison Phillips. Encyclopædia Britannica. 13 (11 ed.). United States: Horace Everett Hooper. pp. 314,315,326. OCLC 311442388. 
  4. ^ Scott, Walter (1848), The poetical works of Sir Walter Scott, 1, Edinburgh: A & C Black, p. 398, OCLC 2733147 
  5. ^ Fox-Davies, Arthur Charles (2007), A Complete Guide to Heraldry, Skyhorse Publishing Inc., pp. 225-226, ISBN 9781602390010, OCLC 100544250 
  6. ^ a b Bedingfeld, Henry; Peter Gwynn-Jones (1993), Heraldry, Leicester: Magna Books, pp. 81,117, ISBN 1854224336, OCLC 29243084 
  7. ^ Phillips, Edward (1678), The New World of English Words (4 ed.), London, OCLC 839185481 
  8. ^ Howard, Joseph Jackson; George John Armytage, ed. (1869), The Visitation of London in the Year 1568, London, p. 48, OCLC 3975450 
  9. ^ United States Army Institute of Heraldry. “TIOH - Heraldry - 66th Armor Regiment”. 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月11日閲覧。
  10. ^ a b United States Army Institute of Heraldry. “TIOH - Heraldry - 41 Field Artillery Regiment”. 2012年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月11日閲覧。
  11. ^ Deuchar, Alexander (1817), British Crests: Containing The Creats And Mottos Of The Families of Great Britain and Ireland;, London, p. 199, OCLC 606459145 
  12. ^ Kimber, Edward (1767), The Peerage of Scotland, London, p. 202, OCLC 83265558 
  13. ^ “HERALDRY OF RECENT KNIGHTS 1” (PDF). The Heraldry GAZETTE new sweries (London: The Heraldry Society) (110): 5. (2008). ISSN 0437-2980. OCLC 12857133. http://www.theheraldrysociety.com/publications/heraldrygazette/2008-Dec.pdf. 
  14. ^ Kimber, Edward (1768), The Peerage of Ireland, London, p. 15, OCLC 181836956 
  15. ^ Ménestrier, Claude-François (1696), La Nouvelle méthode raisonnée du blason, pour l'apprendre d'une manière aisée, réduite en leçons par demandes et par réponses, Lyon: Chez J. Lions, pp. 160,162 
  16. ^ Holbek, Bengt (1987), Interpretation of fairy tales: Danish folklore in a European perspective, Helsinki: Akateeminen kirjakauppa, ISBN 978-9514105487, OCLC 865305007 

関連項目[編集]