金星根

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金 星根 (キム・ソングン)
高陽ワンダーズ 監督 #38
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 日本の旗 京都府京都市右京区
生年月日 1942年12月3日(71歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

金 星根キム・ソングン김성근1942年12月13日 - )は、韓国プロ野球監督・コーチ。京都府京都市右京区出身。

韓国プロ野球6球団で監督を務め、2011年までの監督通算1238勝は韓国プロ野球史上、金応龍(キム・ウンヨン)韓国語版の1463勝(22年、1125敗65分)に次ぐ歴代2位の記録である。

来歴・人物[編集]

在日韓国人2世。京都府立桂高等学校を卒業後、韓国に渡る。釜山東亞大學校中退。飛躍の決定的な土台作りになったのはテスト生として参加した1961年南海キャンプ[1]鶴岡一人監督以下、黄金期の南海選手たちや、松葉徳三郎からトレーニング法を学んだ[1]。1960年代に韓国実業野球界の投手として活躍し、後に監督を務めた。当初は在日ということで母国・韓国でも反応が冷たかったという。しかし、1982年に韓国プロ野球が発足すると実業団時代の手腕を買われ、OBベアーズの投手コーチに就任。1984年には監督に就任した。

以降、万年最下位チームだった太平洋ドルフィンズサンバンウル・レイダースなどをプレーオフに引き上げ、2002年には不振に苦しんでいたソウル本拠の人気チームLGツインズを戦力の整っていない状況にもかかわらず、韓国シリーズにまで進出させるなど、Bクラスチームの建て直しについては右に出るものはないと言われて、今まで在任したすべてのチームをポストシーズンに導いた実績を誇る。

ただ、10数年の監督生活の間、通算勝利数は2位であるが、2007年までは韓国シリーズ優勝を経験していないことから、一般的には「土台作りから始めるべきであるBクラスチーム向きで、優勝を狙うチームには合わない」と評されてきた。そして、彼がいた時はチームが目を見張るような巻き返しを見せながら、彼が去った後は故障者続出でチームがBクラスに逆戻りするパターンを繰り返すことや、毎試合のごとく信頼できる特定の中継ぎ投手を軸に複数のリリーフのつぎ込む試合運びのため、勝利のために選手、特にピッチャーを酷使するという評価もある。

他の専門家にも一目置かれる眼目と選手たちへの面倒見のよさから、赴任中の所属チームの選手たちとの信頼関係は非常に厚く、選手生命にも影響しかねない負傷を持っている選手が自分を省みず彼のために試合に強行出場して結果を残したこともあるほど。そして前述のように無名の選手を鍛えて使え物にさせる手腕に恵まれたことなどで彼がチームを去った後でも彼を慕う選手は多い。だが、いつも任せられるチームが戦力の整っていない崩壊寸前のチームや財政的に苦しい弱小チームであったため、球団フロントとは戦力補強に大幅な支援をしつこく要求することで衝突が多く、いつもギクシャクしていた。これが彼がいつもBクラスチームの再建の手腕を振るって結果を残しながらも、契約満了の前に解任される主な原因であると言われる。

特に、2002年シーズン後は、前年6位のLGツインズをAクラスに引き上げ、準プレーオフ、プレーオフを勝ち抜いて、韓国シリーズでも巨大戦力を誇る三星ライオンズをも手こずらせる戦いぶりを見せた。この一戦で韓国シリーズ10回優勝を達成した敵将の金応龍をして「作戦や投手交代、代打起用などの采配が怖いほど当たりすぎて、まるで野球の神様と対敵するような思いをさせられた」と言わしめた。

しかし、韓国シリーズの終了後、新しく就任した球団社長が彼のスタイルである管理野球が嫌いだった上に、自らと親交がある李廣煥前監督をチームに復帰させるため、「君の野球はLGツインズの(追求する)野球ではない」という理解しがたい理由をつけて彼を解任したことから、球団はファンの激しい批判の嵐に会った。彼の退団のあと、チーム成績は3年連続の6位と全く振るわず、2006年は球団史上初の最下位に転落した。

類稀なBクラスチームの再建の手腕のため、フリーの時は、ほぼ毎年シーズンオフに不振に陥った下位チームの新監督候補として囁かれる。たとえば、2005年のオフ、「プレイオフ進出さえできればほぼ毎試合満員御礼が出来る」と言われながら最近低迷ぶりが目について観客動員に苦戦したロッテ・ジャイアンツや9度の優勝を誇りながら昔の面影を失いつつある伝統の名門、起亜タイガースの監督候補としてマスコミに取り上げられることもあった。

2005年には千葉ロッテマリーンズのチームコーディネーターに就任、日本の野球に適応できずに不振に苦しんでいた李承燁の担当コーチとして、彼の復活を影で支えた立役者になった。韓国時代から選手の小さなフォームの変化による技術的な問題点を見抜く能力があり、李承燁のほかに、大松尚逸などロッテの若手選手たちにもその能力を認められ、彼らにもワンポイントアドバイスを求められるようになった。2005年シーズンの後、ロッテ球団は、李承燁の残留を目論む一方、彼のこのような能力を高く評価して2006年には1・2軍巡回コーチに就任させ、韓国プロ野球出身指導者で初めて日本プロ野球の正式コーチになった人物となる。

2007年からSKワイバーンズの監督に就任し、期待通り前年6位に低迷したチームを見事に再建、戦力補強も成功してシーズン序盤から首位を守って旋風を起こした。結局、球団史上初の公式戦優勝を達成して、自身2度目の韓国シリーズに進出。そして、斗山ベアーズとの対決となった韓国シリーズでは先に2敗をしたにも屈せず、その後4連勝で悲願の韓国シリーズ優勝を果たし、ついにこれまで付き纏っていた「優勝はできない監督」というイメージを払拭することに成功した。そして、韓国シリーズ優勝チームを率いて参戦した2007年のアジアシリーズでは、予選3試合を全勝して決勝戦に進出。日本の中日ドラゴンズを相手に善戦するも惜しくも敗れて準優勝に終わった。
優勝した翌年の2008年は前年に増した圧倒的な戦いぶりを見せて、公式戦で2位に13ゲーム差をつけて韓国シリーズに直行。韓国シリーズでは、斗山ベアーズとのリターンマッチを4勝1敗で制圧して、2年連続優勝を遂げた。また、シーズン中、韓国プロ野球史上2人目の監督としての公式戦1000勝を記録した。2009年は、夏場から爆発的な勢いに乗った起亜タイガースの前に屈し、公式戦2位、韓国シリーズ準優勝に終わった。2010年は序盤から首位を譲ることなく公式戦で優勝すると、韓国シリーズでも三星ライオンズを4連勝で下し、2年ぶり3度目の優勝を飾り、SKの黄金時代を築きあげた。2011年8月17日、同年限りでの監督辞任を突如発表したところ、翌18日に球団から監督を解任された。

2011年12月、2012年から韓国プロ野球2軍リーグに参戦する高陽ワンダーズの初代監督に就任した。高陽ワンダーズはプロ野球クラブの2軍とは違って、所属のプロクラブがなく独立採算制の野球チームであり、プロ球団入りを果たせなかった選手たちを集め再チャレンジをさせるための独立球団である。

長男の金廷俊(キム・ジョンジュン、김정준)はSKワイバーンズの記録課長などをつとめた球団の職員で、2006年のワールド・ベースボール・クラシック韓国ナショナルチームにも帯同していた。父がSKの監督を解任されると自身も球団職員を辞職し、2012年より野球解説者として活動している。

なお金は2010年12月、日本の高知県より「高知県観光特使」に任命されている。

略歴[編集]


監督としての成績[編集]

年度別成績[編集]

年度 チーム 順位 公式戦順位[* 1] 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差[* 2]
1984 OB 3 2 / 2 100 58 41 1 .586 -
1985 4 2 / 5 110 51 57 2 .472 22.5
1986 4 5 / 1 108 56 48 4 .538 12.5
1987 4 2 / 5 108 55 52 1 .512 8.5
1988 5 3 / 5 108 54 52 2 .509 14.0
1989 太平洋 3 3 120 62 54 4 .533 8.5
1990 5 5 120 58 59 3 .496 11.5
1991 三星 3 3 126 70 55 1 .560 11.0
1992 4 4 126 67 57 2 .540 14.0
1996 サンバンウル 3 2 126 70 54 2 .563 3.0
1997 3 3 126 71 53 2 .571 3.5
1998 6 6 126 58 66 2 .468 22.0
1999 8 4 77[* 3] 21 52 4 .288 -
2001 LG 6 6 97[* 4] 49 41 7 .544 19.0
2002 2 4 133 66 61 6 .520 15.0
2007 SK 1 1 126 73 48 5 .603 -
2008 1 1 126 83 43 0 .659 -
2009 2 2 133 80 47 6 .602 1.0
2010 1 1 133 84 47 2 .632 -
通算:19年 2229 1186 987 56 .546
  1. ^ 1988年までは前期、後期リーグの順位。1999年は2リーグ制での所属リーグでの順位。サンバンウルはマジック・リーグ所属だったため、ここでの順位はマジック・リーグでの順位。
  2. ^ 公式戦1位チームとのゲーム差。
  3. ^ 1999年7月、77試合消化時点で解任。残り試合はヘッド・コーチの金準桓(キム・ジュンファン)が監督代行として指揮。
  4. ^ 2001年5月、36試合消化時点で監督の李光殷(イ・グァンウン)が成績不振で解任。残り試合を監督代行として指揮。

ポストシーズン[編集]

  • 太字は勝利したシリーズ
年度 チーム ステージ 対戦相手 結果 星取表
1986年 OBベアーズ プレイオフ 三星ライオンズ 2勝3敗 ●○○●●
1987年 ヘテ・タイガース
1989年 太平洋ドルフィンズ 準プレイオフ 三星ライオンズ 2勝1敗 ○●○
プレイオフ ヘテ・タイガース 3敗 ●●●
1991年 三星ライオンズ 準プレイオフ ロッテ・ジャイアンツ 2勝1敗1分け ○●△○
プレイオフ ビングレ・イーグルス 1勝3敗 ●●○●
1992年 三星ライオンズ 準プレイオフ ロッテ・ジャイアンツ 2敗 ●●
1996年 サンバンウル・レイダース プレイオフ 現代ユニコーンズ 2勝3敗 ○○●●●
1997年 準プレイオフ 三星ライオンズ 1勝2敗 ●○●
2002年 LGツインズ 準プレイオフ 現代ユニコーンズ 2勝 ○○
プレイオフ 起亜タイガース 3勝2敗 ○●●○○
韓国シリーズ 三星ライオンズ 2勝4敗 ●○●●○●
2007年 SKワイバーンズ 韓国シリーズ 斗山ベアーズ 4勝2敗 ●●○○○○
2008年 4勝1敗 ●○○○○
2009年 プレイオフ 3勝2敗 ●●○○○
韓国シリーズ 起亜タイガース 3勝4敗 ●●○○●○●
2010年 韓国シリーズ 三星ライオンズ 4勝 ○○○○

脚注[編集]

  1. ^ a b 大島裕史著 『韓国野球の源流』 新幹社、2006年、p162-164

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