田澤純一
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| 田澤 純一 新日本石油ENEOS No.17 |
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 生年月日 | 1986年6月6日(22歳) |
| 身長 体重 |
180cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| 経歴 | |
| ■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 | |
田澤 純一(たざわ じゅんいち、1986年6月6日 - )は、新日本石油ENEOSに所属する社会人野球選手(投手)。背番号は17。
最速156km/hのストレートとカーブ、スライダー、フォークボール、チェンジアップが持ち味の速球派投手[1]。
目次 |
[編集] 来歴・人物
小学3年から少年野球チーム「三ツ沢ライオンズ」で野球を始め、横浜市立松本中学校の軟式野球部では2年時の横浜市大会ベスト16が最高成績。横浜商科大学高等学校では1年夏からベンチ入り。2年次には背番号10で夏の甲子園に出場するも登板なしに終わる。3年夏はエースで神奈川県4強となるが、準決勝で涌井秀章を擁する横浜高等学校に3-16で敗れた。
高校卒業後は新日本石油に入社。主にリリーフを務め、入社2年目の2006年には第33回社会人野球日本選手権でベスト4進出の原動力となる。
ドラフト指名解禁年の2007年には大学・社会人ドラフトの1巡目(希望枠)候補として名前が取り沙汰されたが、リリーフ失敗など前年に比べると精彩を欠いたこと、また秋から挑戦した先発転向も結果が残せなかったことなどから、苦悩の末に「もう1年レベルアップしてからプロに行く」と残留を決意した。
2008年はJABA東京スポニチ大会準々決勝(対JFE東日本戦)で5連続・6連続を含む18奪三振を奪い、従来の記録であった16奪三振(山口高志、当時松下電器)を塗り替えると、同年夏の第79回都市対抗野球では全5試合に登板して1完封を含む4勝を挙げ、投球回数28回1/3で4失点、奪三振36・防御率1.27という成績で大会MVPに当たる橋戸賞を受賞した。
メジャーリーグ志向が強いとされ、都市対抗野球大会終了後の9月11日、記者会見でメジャーリーグ挑戦の意思を表明した[2]。
[編集] 日本代表キャリア
- 第37回IBAFワールドカップ日本代表(2007年)
[編集] 主な表彰・タイトル
- 第79回都市対抗野球橋戸賞(2008年)
[編集] 脚注
- ^ 島尻譲. "米大リーグ注目の156キロ右腕・田澤の魅力 第79回都市対抗リポート". スポーツナビ. 2008年9月11日 閲覧。
- ^ "田沢が大リーグ挑戦表明 Rソックスなどが興味". 共同通信. 2008年9月11日 閲覧。

