工藤博義

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工藤 博義
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県遠賀郡水巻町
生年月日 (1954-07-23) 1954年7月23日(69歳)
身長
体重
180 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1977年 ドラフト5位
初出場 1980年11月8日
最終出場 1981年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

工藤 博義(くどう ひろよし、1954年7月23日 - )は、福岡県遠賀郡水巻町[1]出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物[編集]

折尾高から社会人野球新日本製鐵八幡に進む。1974年都市対抗野球では左腕エース萩野友康を擁し、1回戦で鐘淵化学を相手に延長13回サヨナラ打を放つなど活躍。決勝に進出するが大昭和製紙北海道に延長10回惜敗。準優勝にとどまるが若獅子賞を獲得した[2]1977年都市対抗野球では盛岡鉄道管理局との1回戦に2点本塁打を放ち、強肩俊足の長距離打者として注目される[2]

1977年のプロ野球ドラフト会議阪急ブレーブスから5位指名され入団[1]

プロ1年目の1978年にはジュニアオールスターに出場し、1979年には、ウエスタンリーグで10本塁打を記録する。3年目の1980年には一軍初出場も果たすが、一軍では出場機会に恵まれず、1981年限りで現役を引退した[1]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1980 阪急 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1981 1 1 1 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
通算:2年 2 1 1 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000

記録[編集]

背番号[編集]

  • 37 (1978年 - 1981年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、197ページ
  2. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]